災害時に見る、本当の意味でのノーマライゼーション

被災地の映像を見るたびに思うことがもう一つ。

障害を持っている方たちはどうしているのだろう。

当然、「福祉避難所」などあるはずもなく、というか余裕などあるわけがない。

一般に専門家といわれる、医師、介護、ヘルパーおよび施設の支援員の方たち。。

今回の場合は明らかであるが、こういった方たちも被災者となり、支援に回る余裕などない。

ノーマライゼーションの意味は、

「障害をもっている方が当たり前に地域の中で暮らしていけること」

「地域で普通に暮らしていけること」である。

災害前から、当たり前に障害者と地域の人が交流できていれば、お互いがお互いのことをよく知っていれば、専門家に頼る部分も少なくなり、

こういった災害の時にでも、地域の人、被災した人同士で、支援しあうことができる。

これが、本当のい意味でのノーマライゼーションではないだろうか。

地区単位、校区単位で、どの程度障害者がいるのか、そしてその方たちはそういう障害を持った方で、どういう支援を受けているのかあらかじめ知っておくことができれば、

災害時も迅速に、専門家でなくとも対応可能かもしれない。

知的障害者の場合、単にその人の性格を知っているだけで、いろんな支援ができるし、その人のとる少し異常とも思える行動も違和感なく理解できるであろう。

それだけでもだいぶ違う。

災害に会う前に、地域の中で、障害者のことをもっともっと知ってもらうことが、ほんとの意味でのノーマライゼーションにつながるのでは。

手をつなぐ育成会の活動も、障害者の把握と市レベルの活動ではなく、地区(町区)レベルでの行動が必要なのかもしれない。いや、きっとそうである。

今後、少しそのような方面にもシフトした活動を行っていきたい。

災害はいつどのようなところから来るかわからないから災害。東北の状況は、明日は我が身なのである。