私にとってのマラソン (シリーズ No.8)

今日、午前中に都城から鳥栖に移動して、午後から仕事に入ろうと仕事場のデスクについたものの、なかなか、そのモードにならない。

そして、過食、過カロリーの正月を超えて、少し増えた体重を気にしながら、軽くランニング。
と思って、外を見ると雪。今は少しやんだが、走ろうとするときに雪、雨を見ると、そのままトーンダウンで、ランニング中止?となった。

とはいえ、今週末、1月の8日には指宿菜の花マラソンを走る予定である。
これで通算で9回目のフルマラソンになるが、体重は70kg(慎重172cm)を少し切るくらいになってしまっているので、ランナーとしては非常に重い体である。

しかし、昨年1年間で1880km、12月は21kmほど走っていることと、11月には、金峰三山山岳マラソン(42km)を完走できているので、なんとか走れるだろうとは思っている。

今年の目標は、6月の阿蘇カルデラウルトラマラソン。
初めてのウルトラマラソンであるが、さすがに100km走るとなると、それなりの覚悟と準備がいる。
それが理由で、「ウルトラ走る前に3本以上はマラソン走っておこう」という思いで、時期的に暴飲暴食後のレースになる指宿菜の花マラソンにも、いつもは避けているレースではなるが、エントリーした。

100kmを走るため、このレースのほかに、もう1本。フルマラソン(霞ヶ浦マラソン)を予定している。
なぜ、そこまでするか。そこのところを考察してみたい。理由は4つほどあるように思う。

一つは、趣味的な意味もある。しかし「走るのが好き」とまでは言えない。あくまで、「健康維持を目的としていること」と、「習慣になっている」としか言いようがない。「走るのが好き」と言えない以上、なんとなく趣味とは言えない。

私の場合、野球は楽しいので趣味といえるが、一人でできないので、できるときに機会がなかなか合わず、野球も趣味をやっているとまでは言い切れない。

2つめは「健康維持」を目的としているところは否めない。
走っているおかげで、からだを若く保つ、動ける体を保つ、風を引かない、体調を崩すことがない、なのでめげない精神力も付いているように感じる。

この感覚を味わっているので、「やめられない」「走らないと不安になる」こんな感じである。

3つ目は「習慣」になっているということ。
健康維持が目的であるが、習慣。とくに「走る」という良い「習慣」を身につけられていることが大きい。
なんでも、いつもやっている、年中やっているのであれば、「がんばっている」というよりは「習慣になっている」ということ。
これができると、強い。本当に強くなれる。

がんばることはそんなに続かないが、習慣になってしまうと、「がんばろう」という心への負荷もなくなってしまう。
これを体感できているのが私にとってはランニングである。

外に、英語を上達させるために聞いていた「ラジオ英会話を毎日聞くこと」と中小企業診断士の試験を受験していたころの「勉強癖(くせ)」なども、ランニングと同じく習慣化できたアクションである。

上記の2つは、多少「がんばっている」感はあったかもしれないが、成功したのは、成功までこぎつけられたのは、はやり「習慣化」できたことだとおもう。

この「習慣化」。恐ろしいもので、本当に、「きつい」、「たいへん」、「がんばる」などの接頭語が、習慣になると、本人にとって「自然」であり、何の心の負荷もかからなくなる。

人に対する挨拶・礼儀にしても、たまにしかやらないと負担になるが、いつもやっていると、自然に言葉が出てくる。
心にまったく負荷がかからなくなる。自分自身にとっても社会にとっても本当に良い状態を作り出している。
それが、「習慣化」することの、真髄的なところと思う。

そして、最後の一つが「今でも挑戦できること」。
これに、走ることの「価値」を感じている。

最近はなかなか、自己ベストは出なくなってきたが、10km・ハーフ、フルでは44歳くらいまでは自己ベストがでていた。
距離が長くなるほど、年をとっても自己ベストが出やすくなる感じであるが、いくつになっても、自己ベストが狙える・挑戦できることに、興味があり、走ることの「価値」を感じている。

これが、主な4つの理由になるしれないが、ランニングを始めたころを考えると、もうひとつある。(5つ目)
(とりとめが亡くなったかもしれないけど、失礼して書いておきます)

私が30代半ばのころ、野球が本当に下手になってきたのを感じて、体を絞る目的で、ランニングを開始した。
最初は、1kmもろくに続けて走れなかった。体も本当に重かった。(体重は今のほうが重いかもしれない)

しかし、週1回のペースで、短い距離からランニングを始め、そして5kmぐらいに挑戦。
これを、走ったり、歩いたりしながら、とりあえず5kmのコースを回っていた。これもおおむね週1回。

そして、これを週2回に増やし、そしてランニングを初めて3年目ぐらいに、10kmぐらいのコースをラン。
これも、走ったり歩いたりしながらではあったが、2-3回目には完走できるようになった。

おそらく、このころが36歳ごろ。
そして「一大決意」フルマラソンに出てみよう。
もともと「フルマラソン」なんぞ、ランニングを始めた後も、「ほとんど無理」と思い続けていたので、自分自身では考えもしなかったが、
家内が家の外で、「マラソン走るみたいよ」などと言っていたらしく、自分にも、そのような質問が来るようになり、

ついに血迷ったように、
1999年、36歳の誕生日(5月27日)に、タバコを捨て、12月15日?の青島太平洋マラソンにエントリー。

これから、マラソンとの恐怖感と闘いながら、練習のペースアップ。
夏を過ぎるころからは、ほぼ、毎日走るようになり、走る距離も、21kmぐらいのコースもときどき走るようになった。

そして、12月、宮崎・青島にて初マラソン、初レースに参加。
ピストルの音を聞くまでは、本当に異次元にいるような気持ちだったことを覚えている。

そして、レースが始まり、25kmぐらいまでは、意外と楽に、揚々と走れていたが、
なぜかそのあと、急に、周りの人たちについていけなくなり、ずるずるとスピードダウン、どんどん抜かれて、おじちゃんにもおばちゃんにも抜かれるようなペースまでスピードが落ちた。

それから、30kmの看板を見たころから「地獄」
こんなきつい思いは、生まれて初めて。
「早く終われ」、「早く終われ」と心の中で叫んでも、そこから1kmづつ出てくる看板。
「あと12km」「あと11km」「あと10km」どんだけ長かったことか。

そして、その後1kmづつ看板は続いてでてくるが、1kmの永いこと永いこと。
いつまで達とも、次の看板が来ない。

人にも、どんどん抜かれる。
抜かれたことしか覚えていないが、本当に、そこから人を追い越した記憶はない。

「こんなきついレース誰が走るか」、「これで最初で最後のレース」「もう2度と走らない」と本気で思って走っていた。

そして、ついに完走。タイムは4時間8分。
目標タイムは「4時間を切ること」だったが、折り返し地点では1時間45分?くらいだったので、そこから、
5分/kmのスピードが7分/kmかそれ以上に遅いペースに最後はなってしまった結果である。

「悔しい」この気持ちが、本当に強かった。
走り終わって、たまたま、テレビのインタビューがあったが、その時はつい「また走ります」といっていた。
「悔しい」は、時間がたつにつれて、強くなり、だんだん、また走りたくなってきた。

そして、練習を再開し、次の年から、10km、ハーフ、フルマラソン、季節中はレースにでるようになった。

初マラソンを走っている間(特に終わりのころ)から、走り終わって頭に浮かんでくる言葉が、まったく違う。
頭の中で「悪魔」と「天使」が、それぞれ私に助言しているような感じ。

「自分の置かれている環境、体調で、気持ちの持ち方が変わる」これにきずいた瞬間をもたらしてくれた。
それがマラソンである。

この時の感動が、今でも走っていることの一番の大きな理由かもしれない。

その後のレースは自己ベストを目指すのみで、その時の感動はなくなってしまったが、
自分自身の限界付近を体感することで、新たなきずき、感動があるのでは、、、それを期待して、100kmに挑戦してみようと思っている。

長くなってしまったが、私にとってもマラソンは、「挑戦する機会を与えてくれる」「きずきを与えてくれる」もの。
そう思っている。
そして、ひょっとすると 「inspire the next」 どこかで聞いたフレーズだが、「私にとってもマラソン」はこれかもしれない。

以上・

ps:マラソンのメディテーション効果・・・。これについては、またそのうちにお話ししようかな。(閑話休題で)