11月17日・・・特別な思いの日

今日は鳥栖市議会議員選挙の投票日でした。
私は11/14に、期日前投票を済ませていましたので、今日は他の用事に専念しました。

”実は”といっても知っている人も多いのですが、
私も今日の選挙の中で投票される側になっていたかもしれないので、そのことについて、”特別な思いの日”になっているので、
それについて、つづっておきたいと思います。面白くない日記のようなものですので、暇な方は見てみてください。

昨年の12月に、私は今回の市会議員選挙に出る意思があるころを何人か、特にTCCのグループの皆様に伝えました。
もともと、このTCCという地元の街づくりに関する提言を主なテーマとする団体のなかから、私を市会議員に推す声があり、
以前から政治に関心がなかったわけではないので(どちらかというと強い希望もあったかもしれない)、家内とも”激しい”相談の上、一旦出馬を決意しました。

しかし、今年の3月末、最終的に出馬を断念することにしたのですが、
その間、さまざまな思いがあり、なかなか最終的な結論を出すことができず、苦しい日々が続いていました。

出馬する、出馬しない、それぞれのロジックが頭の中を交錯し、
自分自身の立ち位置を確認し、
応援してくれる方々の顔色をうかがい、
自分の気持ちに近い人、アドバイスをくれる人を探し、
思い悩む日々が続きました。

私の結論に影響を与えたさまざまな出来事について、

◆まずは、TCC内の出来事
TCC内の多くの人は、私の出馬に賛成というか、後押ししてくださる言葉を私に伝えてくれました。
しかし、一人だけ、N会長にそのことについて、直接話を伺ってみたいとおもい、
TCCの会議の時ではなく、商工会議所の年始交換会の際に、話しかけようとトライしましたが、無視されました。
もともと、当社の社員であった私自身、会長と話すことに多少の違和感があり、(おそらく会長も感じられていたと思う)お話はしにくい雰囲気もありました。

しかし、話しかけようとして、ほぼ無視されてしまったので、
ここで、私が出馬しようと思っていた大きな柱の一つが大きくぐらつきました。

◆障害者福祉のこと
私は皆さんもご存じのとおり、知的障害者の保護者の団体である手をつなぐ育成会の鳥栖の会長、佐賀県組織の副会長をさせていただいています。
こういう背景もあり、この方面では、私自身かなりの造詣、思いがあり、この方面について、やりたいこと、進めたいことはたくさんあります。

私を推す何人かの方は、この分野での活躍を期待していました。
しかし、市会議員として何ができるのか、現在の自分の活動と比較して、市会議員になった場合、何が有利なのかということも考えました。
結果、市議会の中の会派の問題を含め、市議会議員になった場合、ひょっとすると、考える政策が2つにわかれて議論されてしまう。
反対側の会派の方から、会派が違うというだけで、反対されてしまう状況をイメージししてしまうと、
その市会議員になった場合の効果について、魅力を感じれるほどではないと判断しました。

◆区長の仕事のこと
区の3役の方たちには、比較的早い段階から、この件について相談していました。
しかし、結論から言うと、まだ、出馬してほしくない。
なぜならば、次の区長をだれがするかが決まらないから・・・・こういう理由でした。

やめてしまえば、後はなんとかなるものとは思うものの、
次にこの役を引き受けてくださる人も見つけられず、どうしようか右往左往する間に、
区長の改選を決めなければならない3月も終わりに近づいてきました。

3/22の時点では、改めて3役に区長を辞めたい意向を伝えましたが、
結局そのあとの体制を決めることができず、
このことを最終的な理由として、
3月25日の週(どこで、連絡したかは定かに覚えていませんが)
TCCのS専務に電話で、申し訳ないが市会議員には出ないことにした旨を伝えました。

しかし、今は、区長として、やろうと思っていてできていないことも多いので、
今は、そちらのこともできるだけ力を入れていきたいと思っています。

◆仕事のこと
現在、中小企業診断士での経営コンサルタント業
そして、製薬会社向けに最近ブログでも連載を書いている GxP QA コンサルタント業を仕事として行っています。
議員になった場合の、これらの仕事がどういう影響を受けるのかについても、かなり考えました。

経営コンサルタント業については、
議員になっても、多くのものはできるような気がしましたが、議会が始まった場合、
まじめに政策等の検討をすることを考えると、いくらかの制限が出てくることが考えられました。

また、GxPQAコンサルタント業については、
専門的な領域ということもあるのかもしれませんが、議会の期間等、仕事ができない日(固定されてしまう日)と、
なかなか、お客さんの期待にこたえられない状況に陥ってしまうので、続けるのは難しいことが予想されました。

お客さんたちの顔を頭に浮かべると、
そこでは”出るな”と言われているような気もしていました。

◆市長になるということ
私自身もその思いはあったのですが、何人かの方も、議員ではなくて市長に出てほしいという人もいました。
私自身、議員というより、直接政策を作ることができる”首長”職については、大きな希望と期待をもっています。
なので、議員には出馬せず、直接市長選挙に出る方向性も考えました。

この方向性は、結構硬い気もした時期もあるのですが、
議員に出ないことを決意した段階で、一時的ではありますが、政治的な方向への意欲を示す場に出にくくなったこと、
通常の仕事が、以前にもまして忙しくなり、本当に、地域での政治的な活動、TCCやみらい会議といった、街への提言をする活動にもなかなか参加できなくなり、
このことも、比較的硬かった希望である”市長選”への出馬を試みるという気持ちも、だんだん薄れていってしまいました。

◆身近で支えてくれる人のこと
TCCのメンバーの方やT新聞の社長を始め、複数の方から応援する旨の言葉を頂いておりました。
しかし、最終的に、選挙活動に踏み切れなかったのは、私自身が地の出身でなく、
気軽に苦労を頼めそうな、地元の仲間がいなかったことも大きな原因の一つになります。

特に、一昨年亡くなられた義父の存在は大きかったかもしれません。
もし、義父が存命であるならば、このことを相談した場合、喜んで応援してくれた可能性があります。
残念ながら、義父が亡くなった後に、立候補を考えることになっていたので、

義父がもし存命であったなら、その手の手配のしかた、直接応援してくれる人などに関して、
もっと具体的なアドバイスや、後押しをいただけたのではないかと思います。

しかし、残念ながら、身近で私を支えてくれる、苦労をしてくれそうな仲間を見つけることができず、
(こんなところは、私の気の小さいところもあるのだと思いますが)
最終的に、議員であれ、市長であれ、政治の方面に行く決意をするまでには材料がそろいませんでした。

今となっては、出馬する気はないのかといえば、”ない”とはっきりいえるような気がしますが、
これらの状況が、私の現在の行動に繋がっています。

◆今後のこと
昨年の今頃、選挙に出ることを一旦決意しました。
そして、この後の10年は政治をやろうとおもってもおりましたが、

その後の上記のような状態から、今は
ビジネスの世界、障害者福祉・地域福祉の単独の世界などで、生きていくことを決意しています。

私にとって福祉事業にボランティア的な側面はありますが、これもビジネスと考えています。
私の目標、障害者雇用一万人の会社を目指して、これからもまっすぐにそのことを考えて、
私の強みを生かしつつ、自分自身の事業展開を考えていきたいと思います。

これから、私ももっともっと成長し、ビジネスを膨らませていきたいと思っています。
ここまで読んでくれる人はほとんどいないとは思いますが、
もし読んでくださった方がいれば、ご協力をお願いします。

私も精一杯頑張ります。
ひとつ、よろしく。