今は我慢と準備の時

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日米で強烈な同時株安(欧州はこの後)が続いていますが、国も、企業も、投資家も、先の見えない時は、我慢と準備のとき。

山登りと一緒で、根拠もなく動くといいことはありません。

少なくとも、ピークが見えるまでは、じっと我慢。

晴れた時の準備ができているところが勝ちです。今から勝負どころですよ (^-^)v

私は別にハム痛と戦ってます(笑)
走るのを休んで (笑)(笑)

写真はモクレン。
風になびいて、美しい 白 です(^-^)

(独り言)・・ちょっと自慢話?・・

もう30数年前の話になりますが、
うちの親が私の大学学生中に払ったお金の総額:は70万円以下?
正確に計算するとたぶん65万円くらい。

4年間を集計すると
入学金:12万円(当時)
授業料:入学~3年生前期まで:0円
授業料:3年生後期~卒業まで:5.6万円×3=16.8千円
仕送り:全部で:2万円×18か月分=36万円
合計:648,000円くらい?

数字は正確ではないところもありますが、
家の収入はあんまり多くなかったので、授業料免除を申請したら通って、
大学3年生の前期まで授業料免除でした。後期から半額免除で、半期112,000円の半額を3回払いました。

仕送りはというと、入学してしばらくは、月2万円と米、野菜?、宮崎市内のアパートから、実家に帰るたび、
米と家にある野菜をもってアパートに帰ってました。
そして、2年になるころ、仕送りを断り、アルバイトだけで、生活するようになりました。

とは言え、バイト先がスーパー、パン屋さん、すし屋さんだったので、夕食は、まかない的な食べ物で何とかなりましたし、
寿司屋さんと私のよく通っていたバイク屋さんからは、かなりごはんご飯をごちそうになってました。

それに、中型バイクも自分で買ったし(免許は家から出してもらったような)、2,3,4年の夏休みは、
北海道、信州、北海道と2週間くらいのバイクの貧乏旅行もしました。

親に「野球したい」と言ったら「勉強しろ」と、承認を得られず、
「大学院に行きたい」と言ったら、「さっさと就職しろ」と。

大学院は、別に学費もかかるので、親からすると「もうやめてくれ」の雰囲気もありました。

勉強は、、、少しやる気になったのは、3年生の後期、研究室に入ってから、、ですが、
成績は悪かったですねぇ。

授業はでるものの、理解しようとしていなかった。
最近、大学で講義することもありますが、後ろの方に座っている学生の気持ちはよくわかります(笑)
俺と似てるなぁぁと。自分もあーだったよなぁと(笑)(笑)

今、コロナ問題で、卒業式が話題になりますが、
私も、卒業式には、出ましたが、その時は私への卒業証書はありませんでした。

なぜ?、まだ、その時点で単位が足りていなかったから。
3月29日?最後の追試があり、何とかパスして、3月30日付で卒業証書をもらいました。

会社へ写しを見せる必要があったので、卒業証書をもらって3月31日、卒業証書をもって、就職先のH製薬にもっていき、
そのまま、社員の男性寮に入寮。持って行ったのは、ボストンバック1つの儀替えのみ。
布団は別で送っていたので、寝床はあり。

卒業の話にもどすと、
いちおう4年で卒業しましたが、成績は、クラス40人中24番目の成績。
残りの16人は留年か退学なので、結構厳しいクラスではありましたが、超ぎりぎりで卒業。
”優”、”良”、”可”が、単位ごとにつけてあったような気がしますが、パスした単位は、ほとんどが”可”。

今考えても、奇跡的な卒業でした(笑)(笑)(笑)

大学の前半、退学して、もう一度勉強しなおそう(医者になろうと思いました)と思ったこともありましたが、
結局、思い悩みはしましたが、勉強という勉強をしないまま卒業してしまいました。

大学4年間は、学業は勉強しないままではありましたが、
体育祭(宮崎大学で当時ありました)と学園祭の時の、応援団長、団長という学科のリーダー役はさせていただきましたし、
天気が良い日にふらっとでかけ、日南海岸をバイクで走った思い出などが、自分自身の今の人格を作ってくれたような気もします。

こんなことを、ニュースで流れた、卒業式中止等の情報で思い出しました。

私の話など、どうでも、良い話ですが。。。

おやすみなさい。