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2012 年 1 月 のアーカイブ

つくづく、選択と集中

2012 年 1 月 23 日 コメントはありません

いつも書いていることではあるが、いろいろやりすぎていて、
やり始めた仕事に、なかなか集中できないことが多い。

今も、依頼を受けた臨床試験の監査(GCP監査)の準備をしながら、
・6次産業化事業の案件の報告書
・中小企業支援ネットワーク強化事業の専門家報告書
・次期のPACの事業計画

などを並行して考えている。
GCP監査については、その前提となる資料が大量にあり、適切な監査を実施するためにはそれなりの時間が必要である。

これからしばらくは、重要案件を識別しつつ、週替わりの選択と集中を繰り返していかなければならない。

次年度の事業計画では、自分自身のビジネスについても展開する時と考えているので、
選択と集中 Focus & Deep を考えていく予定である。
どこに焦点を当てていくか。 

これらを踏まえ、次年度以降、年度計画に加え、中長期計画(3~5年)も立てていくようにしたい。

以上。

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今日は休み 

2012 年 1 月 16 日 コメントはありません

今日は休みます。

昨日未明、私の義父が永眠しました。
自信の親が亡くなるときはアメリカ出張で、死に際に父に会うことはできませんでしたが、
永眠されるときに立ち会うことができました。

死に際に、心音がとまってから、一度目が開き、我々にあいさつしてから、安らかにえいみんされました。
「大往生」とはこのことかと思いました。
わが義父のご冥福を祈ります。

さて、義父の死のおかげというか、今週、すこし仕事から追われる状況から逃れることができるようです。
とはいっても、それでも残っている仕事量には、私自身も唖然とするほどになってしまっていますが、すこし、考える時間、整理する時間ができたことは、よかったと思います。

変な意味になるかも知れませんが、この点も父に感謝したいと思います。
いろいろな仕事を引き受けて、忙しい、忙しすぎるような毎日ですが、義父に、よい感じで水をさしていただきました。
とはいっても、週末からは変更の効かないセミナー講師仕事が待っており、あっという間に通り過ぎる時間かとおもいますが、
この時間も大切にさせていただきたいと思います。

以上

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閑話休題 ランニングのメディテーション効果

2012 年 1 月 9 日 コメントはありません

昨日、指宿菜の花マラソンを走ってきた。
9回目のマラソン(42.195km)であるが、何度走っても、きついレース。

目標は4時間だったけど、結局4時間32分。予定より30分以上遅い結果となった。
20km付近までは気持ちよく走れていたが、その後急激にスピードダウン。最後の10kmは本当に長かった。

課題は2つ。20km以上の長距離の走りこみと体重。次のマラソン(4月)までには、4-5kg落として65kg台で走りたい。

◆さて、ランニングのメディテーション効果についてであるが、
なかなか、解決策の見当たらない仕事や課題にぶち当たっている時、
ランニングをしている時に解決策や、行動の方向性がよく頭に浮かんでくる。

「ランニングしている時、何考えてるんですか」よく聞かれる質問であるが、
基本、ほとんど何も考えていない。

レースのときはタイムだけ、練習のときには、何も考えていないような気がするが、
悩んでいる時は、自然と、その悩みごとが頭の中に浮かんでくる。
そうすると不意に「こうしたら・・・・」と解決策が浮かんでくる。

いつも、ランニングの前は、時間(ここではランニングに使える時間)を考えて、コースを選ぶが、
10km以上のコースを選ぶときは、それなりに、時間があるときで、

走るときには、ランニングに専念する時間。
なので、少し解放感のある時間なのかもしれないが、その解放感からは、
頭の中が「かなり澄み切った」状態になる。

いつもではないが、いわゆる「ランナーズハイ」かもしれないが、走りながら「気持ちいい」と感じるときに良いアイデアが浮かぶ。
おそらく、ランナーズハイ→メディテーション(瞑想)のような感じで、
一休さんではないが、ここでよいアイデアが浮かんでいるような気がする。

時期はというと、やはり一番気持ちがよいのは”春~夏”。
私の週末のランニングコース山沿い。
季節が少し暖かくなってくると、多くの小鳥たちも活動を始める。

山沿いへ、ランニングで入っていくと、シジュウカラ、鶯、メジロ、ホホジロといったことりたちが迎えてくれる。
特に朝、明け方が一番いい。

こういう条件がそろうと、ランナーズハイになりやすく。本当に走っていて、気持ちの良い時間になる。
ここが無意識にメディテーションに入っているような気のしているところである。

なので、悩んでいる時は「走ると解決策が出てくる」これは、私なりの解決法。
といっても意識すると、できないので、いつもいつもランニングをやっていることが基本。
解決策を出したいときだけ走っても、練習不足できついだけ。

きちんと走る体が出ていれば、メディテーション効果も自然と出てくる。

これから少し寒い時期を経て、春になる。
もう少し、走りこんで、体重も減らし、メディテーションで自分の夢が浮かんでくることを期待したい。

以上。

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私にとってのマラソン (シリーズ No.8)

2012 年 1 月 4 日 コメントはありません

今日、午前中に都城から鳥栖に移動して、午後から仕事に入ろうと仕事場のデスクについたものの、なかなか、そのモードにならない。

そして、過食、過カロリーの正月を超えて、少し増えた体重を気にしながら、軽くランニング。
と思って、外を見ると雪。今は少しやんだが、走ろうとするときに雪、雨を見ると、そのままトーンダウンで、ランニング中止?となった。

とはいえ、今週末、1月の8日には指宿菜の花マラソンを走る予定である。
これで通算で9回目のフルマラソンになるが、体重は70kg(慎重172cm)を少し切るくらいになってしまっているので、ランナーとしては非常に重い体である。

しかし、昨年1年間で1880km、12月は21kmほど走っていることと、11月には、金峰三山山岳マラソン(42km)を完走できているので、なんとか走れるだろうとは思っている。

今年の目標は、6月の阿蘇カルデラウルトラマラソン。
初めてのウルトラマラソンであるが、さすがに100km走るとなると、それなりの覚悟と準備がいる。
それが理由で、「ウルトラ走る前に3本以上はマラソン走っておこう」という思いで、時期的に暴飲暴食後のレースになる指宿菜の花マラソンにも、いつもは避けているレースではなるが、エントリーした。

100kmを走るため、このレースのほかに、もう1本。フルマラソン(霞ヶ浦マラソン)を予定している。
なぜ、そこまでするか。そこのところを考察してみたい。理由は4つほどあるように思う。

一つは、趣味的な意味もある。しかし「走るのが好き」とまでは言えない。あくまで、「健康維持を目的としていること」と、「習慣になっている」としか言いようがない。「走るのが好き」と言えない以上、なんとなく趣味とは言えない。

私の場合、野球は楽しいので趣味といえるが、一人でできないので、できるときに機会がなかなか合わず、野球も趣味をやっているとまでは言い切れない。

2つめは「健康維持」を目的としているところは否めない。
走っているおかげで、からだを若く保つ、動ける体を保つ、風を引かない、体調を崩すことがない、なのでめげない精神力も付いているように感じる。

この感覚を味わっているので、「やめられない」「走らないと不安になる」こんな感じである。

3つ目は「習慣」になっているということ。
健康維持が目的であるが、習慣。とくに「走る」という良い「習慣」を身につけられていることが大きい。
なんでも、いつもやっている、年中やっているのであれば、「がんばっている」というよりは「習慣になっている」ということ。
これができると、強い。本当に強くなれる。

がんばることはそんなに続かないが、習慣になってしまうと、「がんばろう」という心への負荷もなくなってしまう。
これを体感できているのが私にとってはランニングである。

外に、英語を上達させるために聞いていた「ラジオ英会話を毎日聞くこと」と中小企業診断士の試験を受験していたころの「勉強癖(くせ)」なども、ランニングと同じく習慣化できたアクションである。

上記の2つは、多少「がんばっている」感はあったかもしれないが、成功したのは、成功までこぎつけられたのは、はやり「習慣化」できたことだとおもう。

この「習慣化」。恐ろしいもので、本当に、「きつい」、「たいへん」、「がんばる」などの接頭語が、習慣になると、本人にとって「自然」であり、何の心の負荷もかからなくなる。

人に対する挨拶・礼儀にしても、たまにしかやらないと負担になるが、いつもやっていると、自然に言葉が出てくる。
心にまったく負荷がかからなくなる。自分自身にとっても社会にとっても本当に良い状態を作り出している。
それが、「習慣化」することの、真髄的なところと思う。

そして、最後の一つが「今でも挑戦できること」。
これに、走ることの「価値」を感じている。

最近はなかなか、自己ベストは出なくなってきたが、10km・ハーフ、フルでは44歳くらいまでは自己ベストがでていた。
距離が長くなるほど、年をとっても自己ベストが出やすくなる感じであるが、いくつになっても、自己ベストが狙える・挑戦できることに、興味があり、走ることの「価値」を感じている。

これが、主な4つの理由になるしれないが、ランニングを始めたころを考えると、もうひとつある。(5つ目)
(とりとめが亡くなったかもしれないけど、失礼して書いておきます)

私が30代半ばのころ、野球が本当に下手になってきたのを感じて、体を絞る目的で、ランニングを開始した。
最初は、1kmもろくに続けて走れなかった。体も本当に重かった。(体重は今のほうが重いかもしれない)

しかし、週1回のペースで、短い距離からランニングを始め、そして5kmぐらいに挑戦。
これを、走ったり、歩いたりしながら、とりあえず5kmのコースを回っていた。これもおおむね週1回。

そして、これを週2回に増やし、そしてランニングを初めて3年目ぐらいに、10kmぐらいのコースをラン。
これも、走ったり歩いたりしながらではあったが、2-3回目には完走できるようになった。

おそらく、このころが36歳ごろ。
そして「一大決意」フルマラソンに出てみよう。
もともと「フルマラソン」なんぞ、ランニングを始めた後も、「ほとんど無理」と思い続けていたので、自分自身では考えもしなかったが、
家内が家の外で、「マラソン走るみたいよ」などと言っていたらしく、自分にも、そのような質問が来るようになり、

ついに血迷ったように、
1999年、36歳の誕生日(5月27日)に、タバコを捨て、12月15日?の青島太平洋マラソンにエントリー。

これから、マラソンとの恐怖感と闘いながら、練習のペースアップ。
夏を過ぎるころからは、ほぼ、毎日走るようになり、走る距離も、21kmぐらいのコースもときどき走るようになった。

そして、12月、宮崎・青島にて初マラソン、初レースに参加。
ピストルの音を聞くまでは、本当に異次元にいるような気持ちだったことを覚えている。

そして、レースが始まり、25kmぐらいまでは、意外と楽に、揚々と走れていたが、
なぜかそのあと、急に、周りの人たちについていけなくなり、ずるずるとスピードダウン、どんどん抜かれて、おじちゃんにもおばちゃんにも抜かれるようなペースまでスピードが落ちた。

それから、30kmの看板を見たころから「地獄」
こんなきつい思いは、生まれて初めて。
「早く終われ」、「早く終われ」と心の中で叫んでも、そこから1kmづつ出てくる看板。
「あと12km」「あと11km」「あと10km」どんだけ長かったことか。

そして、その後1kmづつ看板は続いてでてくるが、1kmの永いこと永いこと。
いつまで達とも、次の看板が来ない。

人にも、どんどん抜かれる。
抜かれたことしか覚えていないが、本当に、そこから人を追い越した記憶はない。

「こんなきついレース誰が走るか」、「これで最初で最後のレース」「もう2度と走らない」と本気で思って走っていた。

そして、ついに完走。タイムは4時間8分。
目標タイムは「4時間を切ること」だったが、折り返し地点では1時間45分?くらいだったので、そこから、
5分/kmのスピードが7分/kmかそれ以上に遅いペースに最後はなってしまった結果である。

「悔しい」この気持ちが、本当に強かった。
走り終わって、たまたま、テレビのインタビューがあったが、その時はつい「また走ります」といっていた。
「悔しい」は、時間がたつにつれて、強くなり、だんだん、また走りたくなってきた。

そして、練習を再開し、次の年から、10km、ハーフ、フルマラソン、季節中はレースにでるようになった。

初マラソンを走っている間(特に終わりのころ)から、走り終わって頭に浮かんでくる言葉が、まったく違う。
頭の中で「悪魔」と「天使」が、それぞれ私に助言しているような感じ。

「自分の置かれている環境、体調で、気持ちの持ち方が変わる」これにきずいた瞬間をもたらしてくれた。
それがマラソンである。

この時の感動が、今でも走っていることの一番の大きな理由かもしれない。

その後のレースは自己ベストを目指すのみで、その時の感動はなくなってしまったが、
自分自身の限界付近を体感することで、新たなきずき、感動があるのでは、、、それを期待して、100kmに挑戦してみようと思っている。

長くなってしまったが、私にとってもマラソンは、「挑戦する機会を与えてくれる」「きずきを与えてくれる」もの。
そう思っている。
そして、ひょっとすると 「inspire the next」 どこかで聞いたフレーズだが、「私にとってもマラソン」はこれかもしれない。

以上・

ps:マラソンのメディテーション効果・・・。これについては、またそのうちにお話ししようかな。(閑話休題で)

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