令和3年度 三神地区 障がい者(児)教育と福祉研修大会 講演要旨

今日は、表題にある「令和3年度 三神地区障がい者(児)教育と福祉研修大会」を基山町町民会館で開催する予定でおりましたが、
残念ながら、昨今のオミクロン株(新型コロナウイルス)の蔓延の状況により、中止とさせていただきました。

この大会は、「鳥栖市、基山町、みやき町、上峰町、吉野ヶ里町、神崎市」を、三神地区と呼び、一つのグループとして、大会を運営しておりますが、この区域の「手をつなぐ育成会(知的障害者の支援団体)」と、特別支援教育研究会(特別支援学級の先生、校長先生の会)」との合同の研修大会になりますが、歴史的には、既に60年を超える古くから実施されている研修大会です。

もともと、今から60云年前に、知的障害の子供をもつ親と、地区の校長先生が、一緒になって県に、特別支援学級の設置を陳情したことから始まった連携の大会で、その意味は深いと思います。

その研修大会で、今回は、私が講演の演者として講演する予定でした。
メインテーマは、「意思決定支援について」そして、私が用意した演題は「本人の幸せを願う意思決定の支援」というものでした。

要は、私の支援先である、地元の障害者入所施設へ提案した、意思決定支援プログラムの全容をこの講演会でお話ししようとしていたところですが、残念ながら中止。そこで、話そうとする内容をまとめて、講演要旨として、参加予定者の方々へ配布しようということになりました。

その配布用の講演要旨を、pdf版、Word版で、ここにも掲載します。

2022年三神地区大会_意思決定支援講演要旨_V3

2022年三神地区大会_意思決定支援講演要旨_V3

意思決定支援、ガイドラインで示しているのは、本人の意思をどうやって推定しようか、という取り組みですが、
ここに我々保護者の願いも込めて言うのであれば、「本人は意図していないかもしれないけれど、本人の幸せを考えたら、こういう支援をやってほしい」そう願う思いを込めた講演の要旨になります。

リアル講演では、90分から100分、お話しする予定で、もっともっと深ーくお話ししたかったのですが、講演ではなく、冊子として提供するとなると、ここまでですね。

関心のある方は、一度目を通してみてください。
そして、もっと知りたいことがあれば、連絡下さい。

この考え方は、少しでも多くの方々に知ってほしいと思っています。
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【内容】
1.はじめに
2.意思決定支援ガイドラインについて
 (ア)意思決定支援の定義
 (イ)意思決定を構成する要素
   本人の判断能力
   意思決定が必要な場面
    日常生活における場面
    社会生活における場面
    人的・物的環境による影響
  (ウ) 意思決定の基本原則
  (エ) 最善の利益
  (オ) その他各論として述べられていること
3. 本人の意思決定についての考察
4.支援の進め方を形にする。
5. 終わりに

別紙1:本人アセスメント調査表(例)
別紙2:個別支援計画(例) 
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以上です。よろしくお願いします。

牧﨑 茂

郵便投票、不在者投票の可能性

今日の夜は、鳥栖市手をつなぐ育成会の役員会でした。
議題候補はいろいろあったのですが、私の準備不足で、12月18日に予定しているクリスマス会、中心の話になりました。
中心とは少し違いますが、今回の選挙に関連して、
「郵便投票の可能性」について、少し議論しました。

要は知的障害をもつ人たち「例えば、牧崎祐太郎」が、郵便投票で、投票できるか? という問題。
今回の衆議院選挙では、
「小選挙区で1名、選んでください」
「比例代表選挙で、政党を選んでください」
「国民審査で、罷免させたい裁判官を選んでください」

小選挙区だけなら、うちの息子でも、前回の市長選挙と同じように、1回、2社択一のような選挙だと、(代理記載の補助を受けて)、私からの投票の訓練を含めて、投票行動をすることができますが、
今回は、3つも超えないといけないが壁があり、投票を実現することはできませんでした。他の保護者も同じような意見をお持ちの人も多いと思います。
か、若しくは、最初から選挙人の一人として考えていない(親)、も多いかと思います。

しかし、投票して1票の権利は、彼らももっています。
これは、うちの息子を含め、有権者としての意義であり、この点も考慮して、政治も考えてほしい。
そう、思うと、当然、我々の息子、娘の投票権も行使する意義が出てきます。。。。

こんな考え方の中での、「うちの息子は投票できるのか」ですが、
投票所に投票に行く場合、代理記載をしてくれる投票の補助者はおりますが、今回の選挙のように、複数のステップがあると、意思表示の補助がかなりハードルが上がります。

親を含めて、支援者は、うちの息子のような被支援者に、多くのトレーニングをしておく必要があります。そして、投票所では、代理記載を担当する介助者(役場の職員)の負担も気になるため、なかなか投票に連れていけません。
そして、この状態を考えて、普通の保護者は、知的障害をもった息子を投票に行かせようとすることを考えません。(保護者が、投票権を必要ないと判断してしまう)

前置きも、長くなってしまいましたが、
投票所での難しい「知的障害をもった方たち」に、何とか投票する権利を行使してもらいたい。
そうすること、選挙においても彼らの存在意義を示すことができます。
ここが、今日の郵便投票の可能性、、、で、議論したポイントになります。

郵便投票ができるとすると、投票所での不慣れな代理記載人に、投票を預けるのではなく、予め、障害の内容、レベル等を伝えることも可能であり、何より、周りの目を気にせず、人ひとりの投票に、代理記載人も、注力して支援できる、ことが、この投票方法のメリットになります。
実際、自宅まで、代理投票人が来てくれるのか?、、経験のない状況が見えてきますが、
自宅でも郵便投票を含め不在者投票ができるようになれば、彼らの一票の権利も大きくなりますよね。我々健常人の一票と同じ価値を実現することできます。

この議論のなかで、ほんとにできるのか?は、グレーゾーンになりますので、ここは、これから改めて、調べていきたいポイントとなりそうです。

一票は、一票。
我が息子のような障害を持った人の一票。大きな意味を持つことができるようになりますよね。
不在者投票、郵便投票の可能性を、少し考えてみたい、調べてみたい、と思った今日の役員会でした。

おやすみなさい。

鳥栖市手をつなぐ育成会会長
牧崎 茂

備忘録・・・福祉避難所体験キャンプ・・

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備忘録・・・福祉避難所体験キャンプ・・

今日の午後、鳥栖市障害者福祉計画策定委員会の後、もう一件、打ち合わせの機会を作ってもらいました。

残念ながら、今年は福祉避難所体験キャンプは実施できませんが、いずれ続けてやる。。ということを確認させていただきました。

鳥栖市内に3か所指定されている福祉避難所ですが、次にどこでやるかは、まだ先の話として、今日の会議で、このキャンプの最終ゴールを確認することが出来たような気がします。

ゴールは、「個人の防災計画を作ること」

福祉避難所が利用されることを想定して、避難所で何ができるのか?を考えると、障害を持った方々の多様性により、何を準備しても、準備しきれるものではない。

最初から、万全の避難所を目指すのではなく、その避難所で何ができるのか?何を準備できるのか?を明確にしておくことが最も大事なことで、

そうすることで、障害をもった方、個人個人(保護者を含む)で、何を準備すれば、良いか、何を準備しておかなければならないか、、が分かる。ということ

写真の冊子は「障がいを持つ人が災害に備えるためのハンドブック」という冊子ですが、東日本大震災のころ、私の手元にあったような気がしますので、そのころ作成された冊子です。

この中で、「個人防災計画を作ってみよう」とあり、書式も用意されています。
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今日の打ち合わせで確認したのは、少人数でもよいので、福祉避難所体験キャンプを実施して、自分(保護者)で、この防災計画を作ってみてもらいましょう。。。。というもの。

そうすることで、参加した方が、どういう準備をしておかなければならないのかが、分かってくるし、

紹介されている個人の防災計画で、ここに記載されていないことで、大切なことが発見されるかもしれない。

そして「この防災計画を作成する」という行為を、少しでも多くの該当者に広めていく。周知していく。作成していただく。

こういう流れで、福祉避難所体験キャンプの目的が達成できるのでは。。と、少なくとも私は感じました。

①受け入れ施設は、その施設でできることを明確にする。
②避難する側は、自分(個人)の防災計画を作成する。

あとは、この体験キャンプを継続し、①②を少しずつでも充実させていく。

と、こういうことでしょうね。

今日の会議で、思ったこと、頭に浮かんだことを、確認できたことを、記録として、ここに書いておきます。

おやすみなさい。

(独り言)・・意思決定支援プログラム 完成・・

完成というと言い過ぎだとは思いますが、一つの形は出来上がりました。
あとは、施設でその施設の運営に合わせて使えるように仕上げていくだけの状態ということで、私の構想としては一つの形が完成したということですが、
障害者福祉にかかわる一人として、この考え方、進め方をまとめて、少しでも多くの福祉施設に伝えていきたいと思っています。
そのため、意思決定支援プログラムの内容を、論文形式にまとめていく予定ですが、このFB、私のブログ、私の会社のホームページを通じて発信し、可能であれば、手をつなぐ育成会の会報誌(手をつなぐ)への投稿も考えています。
「意思決定支援」
分かったようでなかなかわかりにくい。
「ではどうする」というと、みんな言葉に詰まってしまうところを、いままでも見てきています。
意思決定支援にたいする考え方、職員研修としての意思決定支援は今でも多数、行われているようですが、
施設として、「これがうちの意思決定支援です」と、答えられる福祉施設は少ないと感じています。あるのかな?のレベルかもしれません。
私の提案する意思決定支援プログラムは、
●意思決定支援マニュアルという文書を、基準文書として、
●意思決定支援の必要な場面を反映させた個別支援計画の作成
●職員の教育訓練(利用者のリアクションに対する推考能力の向上)、
●職員の能力評価(職員のモチベーション向上)、
●最善の利益の決定会議、
●苦情処理、問題事象処理 
の手順を併せ、PDCAサイクル的に、その施設の意思決定支援に対する支援能力を向上させていくプログラムですが、
この内容で論文として纏める予定です。
基本的に仕事とも考えて、コンサル活動のメニューの一つにもなると思いますが、
このプログラムの伝達を通じて、社会福祉、福祉施設の事業者そのものが、これから考えていかなければならない課題も伝えていければと考えている次第です。
事業スキームからコロナ禍でも安定した事業体ではありますが、同時に、守られすぎて、保守的な考え方が強すぎる業種・業界でもあります。
新しい生活様式ならぬ、
新しい福祉サービスの在り方も、考え直す時期ですね。
福祉の世界で育った人には難しいだろうな、
他の世界を経験した人なら、なんとか、、等等。
農業支援の時と同じような感覚もありますが、
いろいろな機会がふえることを楽しみいしたいと思います。

(独り言)・・手をつなぐ育成会は消滅するのか・・

(独り言)・・手をつなぐ育成会は消滅するのか・・育成会のあゆみ_001(独り言)・・手をつなぐ育成会は消滅するのか・・

手をつなぐ育成会という団体をしっていますか?
知的障害者の親の会として、1952年東京でお母さん3人が集まり、最初の会が結成されました。
そして、佐賀県では、1957年鳥栖で最初の”手をつなぐ親の会”が結成され、同時に、佐賀県特殊教育研究会(小中学校の特別研究会)
と鳥栖市手をつなぐ親の会が共同で、県に”特殊学級の設置”と”佐賀県手をつなぐ親の会”設置に向けて、共同で陳情し、1958年に、”財団法人佐賀県手をつなぐ親の会”
が結成されました。

これを契機に、県内の小中学校でも特殊学級が設置されるようになり、同時に県内の各市町村に、手をつなぐ親の会が結成されていきました。
そして、私がこの会の活動に参加しだして間もなく、西暦2000年ごろですが、現在の”手をつなぐ育成会”という名前に変わりました。

私自身も祐太郎が1歳半検診の時、自閉症と診断され、2歳のころからこの会に入り、祐太郎3歳の時1999年から、鳥栖市手をつなぐ育成会の副会長の役につき、この会の活動を開始することになりました。
副会長を8年、そして、現在鳥栖市手をつなぐ育成会の会長を拝命して、13年目?になりますが、会としては、極めて規模しい状況に面しているように感じます。

大きな流れは2つあります。
一つは、市町村合併。各市町で結成された手をつなぐ親の会は、市町村合併があった??年ごろ、合併した市町の中にある会も合併し、親の会の数が減りました。
そして、会の運営を継続していくうちに、地域のはなれたお母さん方が会の役職につくのを嫌がった??のかどうかは、不明ですが、合併を機に、末端の(元の町の)親の会のメンバーが徐々に少なくなり、
会の名前としては、残ってはいるものの、会員数は漸減していくようになりました。

2つ目は、障害者自立支援法の成立の時。この時、全国の育成会(当時の会員数:本人ベースで32万人)が、自立支援法に賛成の立場をとり、この法の中で掲げられた、「施設から地域へ」という方針が、
別の言い方で「脱施設」、「これから新規の施設への入所は認めない」というような論調となり、施設入所者の保護者の大反対にあい、施設保護者会からの、大量脱退がありました。

これから、全国的には、知的障害者福祉協会(入所施設の親の会)と手をつなぐ育成会の関係は、離れていく結果ともなりました。

しかし、こういう流れはあったとしても、地域で(例えば、鳥栖市で、基山町で、みやき町で、神崎市で)というところでは、障害者福祉については、障害者の代弁者としての、市町の障害者福祉計画の策定の時や、
その他の地域での総合計画の中でのご意見番として、この会から委員を打診され、地域の障害者福祉を支えてきました。

障害者自立支援法(現在の障害者総合支援法)の成立は、施行当初から様々な修正が加えられ、現在は、以前から比べるとかなり行き届いた福祉の制度を地域にもたらしてくれました。
以前は、子供のことで困ったら、”手をつなぐ育成会”に相談にくれば、そこから、市町、学校、教育委員会に、直接物申す立場でもあったので、駆け込み寺的に、ニーズもありました。
そして、なによりお母さんたちの相談相手、情報の収集ルートでもありましたが、

自立支援法の成立から、各地域に相談支援センターが設置され、市町の職員も、福祉課からの移動が少なくなったり、以前と比べると、市町でも相談対応が十分できるようになってきました。
特別支援学校、特別支援教室の進展も、会の機能に対するニーズを下げる形になり、結果として、新規の会員数は増えず、私の世代を最後に、、というと、言い過ぎではありますが、会員数は増えない。

それは、佐賀の地域に限ったことではなく、全国的な現象として、新たな会員の獲得は出来ず、会員数は、減り続けました。

以前は、子供に知的障害があれば自動的に会に入会するような風潮(市町も会の紹介をすることによってい入会をあっせんしてくれていたようです)があり、わたしがこの会に所属するようになった、23年前ごろの
鳥栖市での親の会の会員は、約250人。市内全体の障害者の数が、3百数十人だったと思いますので、約2/3の入会率。

それが、市の人口も、2万人超増え、鳥栖市手をつなぐ育成会の現在の会員数は88。激減ですね。

私が会長になってからも減り続けましたので、先輩会長から、顔を合わすたびに怒られる。何をやってるんだ。と。

とは言え、鳥栖市では、なんとか会の存続は保ててはいますが、結成当初から一緒に活動を続けてきた、三神地区と言いますが、神崎市(旧古賀町、旧千代田町)、神崎郡(東脊振村、吉野ヶ里町)、みやき町(中原町、北茂安町、三根町)、上峰町、基山町にあった
にあった手をつなぐ親の会(育成会)ですが、今春、基山町手をつなぐ育成会が、解散を決め、三神地区では、鳥栖市手をつなぐ育成会と、みやき町手をつなぐ育成会の二つのみになってしまいました。

この会の活動とともに、三神地区の合同大会として、特別支援教育研究会と三神地区の手をつなぐ育成会との合同で行っている大会もあるのですが、じわじわと、この言葉、大会名が心苦しくなってきている状況もあります。

このまま、ほおっておくと、鳥栖市手をつなぐ育成会もさることながら、みやき町の育成会の後継者は?????、ほおっておけば、間違いなく、自然消滅。
佐賀県の手をつなぐ育成会も消滅。ひいては、全国手をつなぐ育成会も・・・・という、道が目に見えているような感じです。

さて、どうするか。道は「ほおっておく」か、「大きなお世話をする」か、の二社択一。

私は、私の事業に集中したい、、なので、いろいろお世話にはなったけど、「ほおっておく」が一番楽。しかし、地域の中で、この会の果たして生きている役割を考えると、
「ほおっておくことはできない」と、心の中での葛藤が続いています。

「ほおっておかない」とは、”鳥栖市手をつなぐ育成会”と”みやき町手をつなぐ育成会”の2つの会で、三神地区全部をカバーしようという考えかたになりますが、
もともと、前回の鳥栖市、みやき町及び上峰町との合併の話があった時も、会の合併を考えていた時期もあったのですが、改めて考えどころに来ているように思います。

カバーしたところで、どこまで他の市町を含めてのお役に立てるのか。いろんな人と、仲間と話をして、最終的な方向性を決めないといけないと考えています。

さて、どうしますかね。明日、改めて考えて仲間に打診します。集まるか。。だけですが。

おやすみなさい。

障害者福祉施設の意思決定支援システムの構築

現在、新型コロナウイルスの影響で、予定していた多くの仕事がキャンセル又は延期になり、
昨年の今頃は、気が狂いそうになるくらい忙しかったのに、催促される仕事がなく、比較的時間を自由に使って仕事をしています。

そんな中で、自分の中で、優先順位高く考えているのが、次の4つの仕事。

一つは、薬事監査の仕事のマニュアル化、低コスト化。
一つは、まっきーカレー事業の本格着手。
一つは、どんぐり村の再生計画(仕事となるかどうかは、今のところ不明ですが、全力で考えている)
一つは、障害者施設の意思決定支援プログラムの構築。(新商品の一つ)

の4つであるが、いずれの仕事も並行して、途中。

そのほかの通常業務も抱えながらの作業となるので、やっぱり進行速度としては遅くなってしまっています。

そんな中、今週中には、最初の原案を完成させたいと進めているのが、障害者施設の意思決定支援システムの構築。

昨日までの作業で、全体のプログラムと個別支援計画とのリンクが、何とか整理できたので、
これから、この仕組みの中でのもう一つの柱、「教育訓練プログラム」を作りこんでいきます。

イメージはあるので、それをマニュアル、具体的な手順書に落とし込んでいくところなので、
落としどころも見えているので、できれば今日中には、なんとかめどをつけたい。

そして、そのあと2つほど、仕上げの手順書を作成し、完了予定。

この仕組みが組みあがったら、私のコンサル仕事の、一つの商品・サービスとして、
販売を試みたいと思っているところです。

できたら、改めて、全容を公開します。

ということで、今日も頑張ります。(きばっせ いこかね!!)

意思決定支援マニュアルの作成

ある障害者福祉施設(入所施設)の意思決定支援マニュアルを作成中です。

当初はここの施設長から「施設内の職員のレベルアップを図りたい」が、依頼内容でしたが、
話をよく聞いていくと、「意思決定支援」のキーワードの重要さをお互いで共有し、この施設でも、事業計画の中で目指していく意向が示されていました。

しかし、いざ、意思決定支援をやっていこう、意思決定支援のできる施設となろう、と考えたところで、具体的に、どうしていいか分からない。

障害者福祉施設を運営する事業所のほとんどが、こういう状態だと感じています。

そこで、私から提案したのは、意思決定支援マニュアルの作成。
これで、施設の意思決定支援モデルを明確にし、施設職員の教育訓練プログラムの実施と、個別支援計画を意思決定支援をベースとした計画書にリニューアルし、
定期モニタリングと併せて、個別支援計画を更新していくプログラム(概要)を提案し、施設で実施している支援内容(状況)をヒアリングし、私からも意思決定支援を実施するための、必要なアクションを提示して、マニュアル作成を実施しています。

とはいえ、情報の収集と、組織的な対応とするための意思の伝達に絡んで、施設の状況把握には時間がかかりました。
いろいろディスカッション、職員、施設長、サービス管理責任者等の話を聞き、理事長にもヒアリングを実施しました。

そして、最近になり、漸く、施設の全体像がつかめた気がしています。同時に、概要は語っていたけれども、なかなか見えなかった着地点も漸く見えてきました。

着地点が見えたところで、一気にやってしまいたいところですが、具体的に必要な資料作成等の業務を書き出してみると、けっこういっぱい。
ここにきて分かった情報もあり、そして施設職員の方に分かりやすいマニュアルとするために、まめに教育的な情報をマニュアル盛り込んでいこうとすると、けっこうボリューミー(笑)。

しかし、面白い意思決定支援マニュアルができそうです。
このマニュアルで、日本全国の意思決定支援のモデルができてくれるとよいと思っています。

また、支援先の福祉施設には、このマニュアルをベースとして、施設の特徴をアピールしていただき、職員のレベルアップと併せて、
来る新しい、障害者福祉の世界をリードしてほしいと思っています。

現在構築中の意思決定支援モデルは、現在、7合目、ちらっと頂上が見えました。でも、まだまだ、作業が残っている感じ。
もうひと踏ん張り。 きばっせ いこかね。

福祉避難所体験キャンプ(鳥栖市)を実施してみました。

昨年(2018年8月3日~4日)にかけて、佐賀県鳥栖市で、福祉避難所体験キャンプを実施しました。

福祉避難所体験キャンプ報告書案_D4fnl_2020.02.15

発案は、鳥栖市手をつなぐ育成会(私は会長です)で、理事のかたから、福祉避難所について、鳥栖市でも3か所指定されれいるが、いざ、受け入れとなった場合、どこの指定避難所もどうしてよいか、経験もないので、そのままほったらかし?の雰囲気もあったので、

うちの会から発案し、鳥栖市、鳥栖市社会福祉協議会に声をかけ、2019年の4月に実行委員会を立ち上げました。
実行委員会とはいえ、特にメンバーリストを作るわけでもなく、市役所、社会福祉協議会の中から、関心のある部署、人が参加していただきました。

そして、いざ、福祉避難所体験キャンプを 8月3日~4日にかけて実施しました。
いざ、福祉避難所のシュミレーションをしようとすると、いくつものタイプの障害(身体、知的、精神)を持つ人、そして、それぞれの中でも行動パターンは、100人100色。

という状況なので、最終的に、言い出しっぺの手をつなぐ育成会の会員を中心に、当日の参加をお願いし、
最終的に、障害をもつ当事者:8人に保護者及び鳥栖市、鳥栖市社共のスタッフを加え、25人余りで、体験キャンプを実施しました。

この体験キャンプからは、ほんとにいろんな情報を持つことができました。
避難所としてできること、避難する当事者(保護者)が、準備しなければならないもの、など、徐々に、考え方が明確になってきている感じです。
実施してよかった、来年以降も続けないと、意味ないよね。的なコメントもありました。

そのまとめ(報告書)を下記のリンクに置いています。
良かったら見てみて下さい。
福祉避難所体験キャンプ報告書案_D4fnl_2020.02.15

おやすみなさい。

(独り言)・・障害の社会モデル・・

昨日(2/13)の、三神地区 障害者(児)教育と福祉研修大会 の話ですが、
「障害の社会モデル」の話が、なんどか出てきました。
障害者差別解消法のもととなった、障害者の権利条約の時に話題になった言葉ですが、
今回の演者の芹田さんの話で、いっそう明確になりました。

「この世の中に、障害者はいない。障害は、社会にあるもので、ヒト個人にあるものではない」
という考え方。

順番としては、逆かもしれませんが、障害が社会にあるとすると、

「背が高い人には見えても、背が低い人には見えない。(前に壁がある)」
「眼鏡をかければ見えるけど、かけないと見えない。」
「二階に行きたいけど、階段は登れない、エレベータがあれば登れる」
「一人では歩けないけど、車いすがあれば移動できる。」
「日本では、話せるけど、外国にいくと言葉が分からないので話せない。」
「私は活字の本は読めないけれど、点字の本は読める。点字でないと読めない。」
「人は長く水に潜っていられないけれど、酸素ボンベがあれば長く潜ることができる。」
「宇宙服があれば、宇宙空間に一定時間いることができるが、宇宙服がないと、宇宙空間にいることはできない。」

ということ。(できない理由が「障害」ということ。)

どの人にも、自分にできないことはたくさんあります。
それが、障害。ということ。

こう考えると、「この世の中に、障害者はいない」、「障害者」という概念がなくなることになります。
これが、障害の社会モデルの言わんとするところで、

これが、基本的人権の概念であり、障害者基本法の目的となっています。

と考えると、私たちの身の回りに障害って、たくさんあります。

その障害にたいして、どうあなたたちは対処することができますか?(社会として)

これが、合理的配慮の意味であり、「障害の社会モデル」、「基本的人権」の意味するところなのであることが、
芹田氏の話で、よく伝わりました。

おさかなの話、かなり分かりやすく、皆さんにも伝わったと思います。

昨日の三神地区大会、皆さんから、好印象の意見をいただきました。

ありがとうございました。いい大会になりました。