(独り言)・・自分探しって、何もしないでできるわけがない・・

学生の時、自分が何になりたいか分からない。
創業したいけど、何をしていいかわからない。

だから今は自分探し、、、よく聞く言葉ですが、何もしてないうちに、なにも経験してないのに、
自分が見える分けげない。自分自身は、自分が作っていくものだから、思ったことを経験していくしか、自分自身を見つけることなんてできない。

「じゃ 何から始めればいいの?」・・バカか、お前は。

まあ、このためにぶらぶら歩いて、ふらふらといろんな人とお付き合いして、その中で決めていくことになるので、当たり前といて場当たり前の言葉ですが、

人生は、自分が作っていくもの。最初から自分に向いていることなんて分かるわけがない。

いろいろ経験して、勉強して、興味をもって、初めて、「これ向てるかも」とか「これならできるかも」とか、

「これなら、一生やっていける」と思えるものになっていく。

そこから、経験を少しづつ積み上げていき、「これが私の天職」、「私がこの世で生きている意味」と思える時、自分の人生が見えてくる。

こう考えられたら、人生しあわせだと思います。

人生は、いろんなことを経験し、自分で作っていくもの。

と、ふと思った次第です。

おやすみなさい。

意思決定支援マニュアルの作成

ある障害者福祉施設(入所施設)の意思決定支援マニュアルを作成中です。

当初はここの施設長から「施設内の職員のレベルアップを図りたい」が、依頼内容でしたが、
話をよく聞いていくと、「意思決定支援」のキーワードの重要さをお互いで共有し、この施設でも、事業計画の中で目指していく意向が示されていました。

しかし、いざ、意思決定支援をやっていこう、意思決定支援のできる施設となろう、と考えたところで、具体的に、どうしていいか分からない。

障害者福祉施設を運営する事業所のほとんどが、こういう状態だと感じています。

そこで、私から提案したのは、意思決定支援マニュアルの作成。
これで、施設の意思決定支援モデルを明確にし、施設職員の教育訓練プログラムの実施と、個別支援計画を意思決定支援をベースとした計画書にリニューアルし、
定期モニタリングと併せて、個別支援計画を更新していくプログラム(概要)を提案し、施設で実施している支援内容(状況)をヒアリングし、私からも意思決定支援を実施するための、必要なアクションを提示して、マニュアル作成を実施しています。

とはいえ、情報の収集と、組織的な対応とするための意思の伝達に絡んで、施設の状況把握には時間がかかりました。
いろいろディスカッション、職員、施設長、サービス管理責任者等の話を聞き、理事長にもヒアリングを実施しました。

そして、最近になり、漸く、施設の全体像がつかめた気がしています。同時に、概要は語っていたけれども、なかなか見えなかった着地点も漸く見えてきました。

着地点が見えたところで、一気にやってしまいたいところですが、具体的に必要な資料作成等の業務を書き出してみると、けっこういっぱい。
ここにきて分かった情報もあり、そして施設職員の方に分かりやすいマニュアルとするために、まめに教育的な情報をマニュアル盛り込んでいこうとすると、けっこうボリューミー(笑)。

しかし、面白い意思決定支援マニュアルができそうです。
このマニュアルで、日本全国の意思決定支援のモデルができてくれるとよいと思っています。

また、支援先の福祉施設には、このマニュアルをベースとして、施設の特徴をアピールしていただき、職員のレベルアップと併せて、
来る新しい、障害者福祉の世界をリードしてほしいと思っています。

現在構築中の意思決定支援モデルは、現在、7合目、ちらっと頂上が見えました。でも、まだまだ、作業が残っている感じ。
もうひと踏ん張り。 きばっせ いこかね。

6th Global QA Conference in Sendai, Opening Ceremony

6th Global QA Conference が仙台で開催されました。(2020.02.18-20)
世界中の医療・製薬分野を中心としたQAの専門家が集まる会議です。
1999年に英国QA研究会(当時BARQA、現RQA)との会議で3局のQA団体共同で実施する国際学会の提案があり、その後、日本QA研究会(JSQA)、米国SQA、英国BARQA→RQA)とのMOUの締結を経て、2005年に第1回のGQACが米国オーランドで開催され、そこから第2回:エジンバラ、第3回:京都、第4回:ラスベガス、第5回:エジンバラの3年ごとの開催を経て、今回は、JSQAがホストとなり、仙台でGQACが開催されました。
オープニングは、”花は咲く”。
この会場で実施する意味、東日本震災地の復興を一つのテーマとして、この歌から、オープニングが始まりました。

品質保証、QAというキーワードが、この会の真ん中にある言葉ですが、
監査としかとらえられていなかった、第1段階、QA(品質保証)としての第2段階、さて、これからはこの役割は、このあと、、、、どうなっていくのか。業界の動向、世界事情、いろんな環境が変化していく中、変化のきっかけを少し感じた学会でした。

福祉避難所体験キャンプ(鳥栖市)を実施してみました。

昨年(2018年8月3日~4日)にかけて、佐賀県鳥栖市で、福祉避難所体験キャンプを実施しました。

福祉避難所体験キャンプ報告書案_D4fnl_2020.02.15

発案は、鳥栖市手をつなぐ育成会(私は会長です)で、理事のかたから、福祉避難所について、鳥栖市でも3か所指定されれいるが、いざ、受け入れとなった場合、どこの指定避難所もどうしてよいか、経験もないので、そのままほったらかし?の雰囲気もあったので、

うちの会から発案し、鳥栖市、鳥栖市社会福祉協議会に声をかけ、2019年の4月に実行委員会を立ち上げました。
実行委員会とはいえ、特にメンバーリストを作るわけでもなく、市役所、社会福祉協議会の中から、関心のある部署、人が参加していただきました。

そして、いざ、福祉避難所体験キャンプを 8月3日~4日にかけて実施しました。
いざ、福祉避難所のシュミレーションをしようとすると、いくつものタイプの障害(身体、知的、精神)を持つ人、そして、それぞれの中でも行動パターンは、100人100色。

という状況なので、最終的に、言い出しっぺの手をつなぐ育成会の会員を中心に、当日の参加をお願いし、
最終的に、障害をもつ当事者:8人に保護者及び鳥栖市、鳥栖市社共のスタッフを加え、25人余りで、体験キャンプを実施しました。

この体験キャンプからは、ほんとにいろんな情報を持つことができました。
避難所としてできること、避難する当事者(保護者)が、準備しなければならないもの、など、徐々に、考え方が明確になってきている感じです。
実施してよかった、来年以降も続けないと、意味ないよね。的なコメントもありました。

そのまとめ(報告書)を下記のリンクに置いています。
良かったら見てみて下さい。
福祉避難所体験キャンプ報告書案_D4fnl_2020.02.15

おやすみなさい。

(独り言)・・障害の社会モデル・・

昨日(2/13)の、三神地区 障害者(児)教育と福祉研修大会 の話ですが、
「障害の社会モデル」の話が、なんどか出てきました。
障害者差別解消法のもととなった、障害者の権利条約の時に話題になった言葉ですが、
今回の演者の芹田さんの話で、いっそう明確になりました。

「この世の中に、障害者はいない。障害は、社会にあるもので、ヒト個人にあるものではない」
という考え方。

順番としては、逆かもしれませんが、障害が社会にあるとすると、

「背が高い人には見えても、背が低い人には見えない。(前に壁がある)」
「眼鏡をかければ見えるけど、かけないと見えない。」
「二階に行きたいけど、階段は登れない、エレベータがあれば登れる」
「一人では歩けないけど、車いすがあれば移動できる。」
「日本では、話せるけど、外国にいくと言葉が分からないので話せない。」
「私は活字の本は読めないけれど、点字の本は読める。点字でないと読めない。」
「人は長く水に潜っていられないけれど、酸素ボンベがあれば長く潜ることができる。」
「宇宙服があれば、宇宙空間に一定時間いることができるが、宇宙服がないと、宇宙空間にいることはできない。」

ということ。(できない理由が「障害」ということ。)

どの人にも、自分にできないことはたくさんあります。
それが、障害。ということ。

こう考えると、「この世の中に、障害者はいない」、「障害者」という概念がなくなることになります。
これが、障害の社会モデルの言わんとするところで、

これが、基本的人権の概念であり、障害者基本法の目的となっています。

と考えると、私たちの身の回りに障害って、たくさんあります。

その障害にたいして、どうあなたたちは対処することができますか?(社会として)

これが、合理的配慮の意味であり、「障害の社会モデル」、「基本的人権」の意味するところなのであることが、
芹田氏の話で、よく伝わりました。

おさかなの話、かなり分かりやすく、皆さんにも伝わったと思います。

昨日の三神地区大会、皆さんから、好印象の意見をいただきました。

ありがとうございました。いい大会になりました。

ホームページのリニューアル。

最近、薬事監査の事業のほうですが、リニューアルを考えています。

今までの薬事監査の仕事というと、顧客の90%以上が海外の企業又は日本に支店はあるけれど外資系の企業で、コミュニケーションは英語の会社。

 

リニューアルのポイントは、薬事監査の業務の標準化と、低価格化。

今まで、ほぼすべて、お客さん、依頼主のフォーマットで監査報告書を作成し、提供して、報酬を得るスタイルでしたが、問題点がありました。

一つは、仕事の依頼が安定しない。

これは、単発の監査業務依頼がほとんどなので、重なるときは重なり、仕事がないときは、一定期間、何の連絡もないほど。

これの対策といってはなんですが、監査業務の幅を、私の能力最大限に広げて、臨床試験の監査(GCP監査)、医薬品・医療機器・化粧品の工場の監査(GMP監査)、製造販売後安全管理業務の監査(GVP監査)及び仕事の依頼としては、一番少ないですが、非臨床試験(毒性、薬理等の動物実験)の監査と、なんでもこなすことで、その監査の依頼のムラをなくしてきました。

 

二つ目は、費用対効果が悪い。

当然、何社も複数の企業さんから提供される報告書のフォーマットで、最終的な報告書を作成することになるのですが、

お客さんによって、もしくは担当者によって、報告書作成への労力に格段に差が出てきます。

 

最悪は、中間の私みたいなコンサルタントが間に入って、仕事をもらっているケース。

このケースでは、ボリュームのある報告書のフォーマット加え、その間に入っているコンサルからの自身の質問や、勝手にお客さんの要望と思いこみ、余計な作業を指示してくるケース。いずれも、私の仕事に対してはストレスであり、「それお客さんからの質問や、コメントじゃないでしょ」が随所にあり、このケースの費用対効果は非常に悪いと感じます。

 

これらの問題の解決策として、

独自のフォーマット、プロアクティブコンサルティングのフォーマットで、薬事監査業務を実施し、監査報告書を提出する。

監査報告書のフォーマットについても、簡略化したものを考えています。

それでも、実際の監査業務では、これまで培ったスキルもありますので、依頼者が何を聞いてきても、応えられる準備と監査記録を作成します。

私のというかプロアクティブコンサルティングの信頼があれば、簡略化した報告書で、顧客は十分と思えるはずであり、

品質管理技術の発達した昨今、細かすぎる監査報告書は必要でなく、簡単、低価の監査業務が求められている、というか十分通用するし、

恐らくですが、今まで外資ばっかりだった依頼主が、内資の製薬企業からの依頼も期待できるように思います。

 

うちの会社の信頼。

このやり方を進めた場合の、成功の一つのキーポイントだと思いますが、

ここは、「自社の手順をすべて開示する」で、私自身が持っているブランド的な信頼に加え、私と一緒に仕事をしてもらえる人にも、この信頼を使ってほしい。

PACのReliability

 

これが、今やろうとしているホームページのリニューアル。

できれば、今月中にやりたいと思うのですが、マテリアルのリニューアルも、先にやっとかないといけないので、、、、

勝負の2月、3月になりそうです。

気張らんとね。ではまた。

 

 

(独り言)・・三神地区 障害者(児)教育と福祉 研修大会・・いい大会です。

三神地区大会2019チラシ_D5(独り言)・・いい大会です・・
あえて、独り言として書きます。
いい大会だな、、と、つくづく思ったので。
今日の夜は「三神地区 障害者(児)教育と福祉、研修大会」の打ち合わあせでした。
会議は、神崎市千代田中部小学校 校長室であり、
出席者は、同小学校の校長先生、特別支援学級の先生、神崎市、みやき町、基山町、鳥栖市のそれぞれの手をつなぐ育成会の代表。
教育の現場の方と福祉側(親の会)との合同の研修大会ですが。
日本全国、どこを見ても珍しい大会。
ただ、珍しいだけではない。
教育と福祉、日本の制度、行政(国や県、市町)どこをとっても、縦割りで、横の意見交換はない。
平成18年、障害者自立支援法(現在の障害者総合支援法)の施行以来、縦割りではあるけれど、
すこしずつ、歩み寄りながら、両制度の整合性が図られてきています。
しかし、この三神地区の大会は、記録からは1958年ごろ(約60年前)から続いている大会です。
「小中学校に、特別支援学級を設置して欲しい」という要望を、1957年ごろ、障害をもつ子の親と学校の代表とで、佐賀県庁に陳情し、この関係が生まれました。
同時に、佐賀県でも、手をつなぐ育成会(当時は”手をつなぐ親の会”)の歴史が始まりました。
全国的には、この数年前に、手をつなぐ親の会の活動は、東京から始まっていますが、佐賀県では、この陳情から会の活動が始まっています。
そして、合同の研修会を企画し、正確な記録は残っていませんが、少なくとも60年以上は続いている大会になります。
この三神地区の大会に続いて、佐賀県全体の大会(現”佐賀県大会”)が始まり、手をつなぐ親の会〈現”手とつなぐ育成会”)も佐賀県全域の市町に結成されていきました。
現在は、障害者自立支援法の成立以来、障害をもつ親の相談者(障害を持つ子供をもつ、モンスターペアレントとしての役割を兼ねる)としての立場も少なくなり、
現在は、会員数も毎年減少を続けています。
まあ、会員数の減少は、しょうがないとは思いますが、この大会はいい。
教育と福祉が一緒になって、最近の課題を話し合い、学びあう。いい大会です。
私は、誇れます。
会員数の減少、各市町の手をつなぐ育成会の解散、いろんな逆境が、この大会に押し寄せてきており、
いつまで続けれれるのか。。という大会にもなっています。
それは、それでしかたのないこと。
今日の会議でもそうでしたが、大会の開催を企画しながら、学校の先生とも、いろんな意見交換ができる。
なかなか、ないですよ。こんな大会(研修会)。
三神地区の特別支援教育研究会(学校の小中学校の先生方)と同じ地域の手をつなぐ育成会の合同研修会ではありますが、
どなたでも参加できます。無料、予約の必要なし。
今回のテーマは、”身近な差別を考える”と題して、”鳥栖市の差別解消条例の紹介”と”本人の立場から見た差別”を、参加した皆さんと考えてみたいと思います。
関心のあるかた、是非、参加してみて下さい。
私も、会の進行役でおりますので、是非、是非 おいで下さい。
ということで、きょうもお疲れさまでした。
おやすみなさい。

(独り言) ・・・業態転換・・・

(独り言) ・・・業態転換・・・

 

100年企業といわれるところは、当初、始めた事業からは、商品、顧客の種類、顧客の取り方など、商売をする環境を含めて、おそらくかなり変化してきたはずである。

 

うちは変わらないよ、昔から、といわれると、そこの社長???ってことのように聞こえる。

 

業態転換のレベルの差こそあれど、すべての企業で、事業を維持、拡大していく中で、環境の変化に直面しながら、自分自身の会社(事業体)の商品を変化させ、もしくは営業する先を変化させ、顧客の数、商品の売り上げを維持してきた。それが、老舗企業の生きてきた道だと思う。

 

数年前、地元の新聞社の“読者委員会”という委員になり、2年間、新聞社の誌面に対しコメントさせていただいたことがある。その会議の際、そこの社長がいつも言っていたことが、

 

新聞を読む、活字を読む文化がなくなってきている。

インターネットでニュースが簡単に見れる時代になり、これが、業績が伸びない大きなポイントである。と。

インターネットでの新聞も始めたが、料金の課金方法に苦労されていたように感じました。

 

これも、時代ですよね。

時代や、環境の変化や、人々の嗜好の変化を恨んだところで、会社の業績が上振れることはない。

 

では、どうするのか?ですが。

考え方として、

自分の会社の顧客や、強みの部分をもう一度、見直して、これを生かせる事業はないのか? とか、

 

会社が一番応援したい、地域の人、企業の一番の応援になる仕事の仕方は何か? など、を考えると、

 

広告力を武器に、地元の企業の活性化、商売繁盛に貢献しよう。とか、

もしくは、地元県内の各地に拠点を持ち、新聞配達は朝が早すぎて、地元の方々と触れあう時間は少ないかもしれないけれど、地元県内のネットワークは、行政以外では、強みにできるほどのネットワークをもっている。

 

これらの強みを活かせる商売はないか?が、これからの新聞社の可能性の一つだと思います。

 

私自身は、その読者委員会の委員で会ったときは、できるだけその会社の新聞を読むようにはしていましたが、ニュースのほとんどは、ネットから。なので、最近、新聞をほとんど読みません。新聞はとっているので、全くゼロではありません。

 

しかし、自分自身のライフスタイルからも推察されますが、新聞という紙の媒体は、当からずなくなるような気がします。

 

30年前には、インターネットは無かった(少なくとも自分には)のに、今は、30年前にインターネットが無かったことなど、信じない人がどれくらいいるでしょう。

 

時代は恐ろしいスピードで変化してきています。

 

環境変化を恨んでも、しょうがありません。(SWOT分析の脅威のところ)

 

この部分は、笑って忘れて、自分の強みを活かしてできる商品を作る。そして売り方を考える。これが、商売の基本だと思います。

 

新聞の会社、全国にありますが、最も地元を知り尽くした会社ばかり。

これからの地域活性化、地域創生のカギを握る事業体だと思います。

 

地域創生は、国は銀行にも期待を寄せてますが、今までのところ完全に不発です。

 

経済が伸びない日本を、何とかしてほしい。

アベノミクス。最近、首相も口にしないでしょ。経済は明らかに伸びていません。

 

そればかりか、

今回の新型コロナウイルスをトリガーに、中国発の世界恐慌の予感もあります。

力のある人は、力のある企業は、頭をフル回転して、新しいビジネスを創りだしてほしいものです。それが、業態転換。頑張ってほしいですね。

 

これからの日本を作るために。

 

(独り言) ・・・業態転換・・・

 

100年企業といわれるところは、当初、始めた事業からは、商品、顧客の種類、顧客の取り方など、商売をする環境を含めて、おそらくかなり変化してきたはずである。

 

うちは変わらないよ、昔から、といわれると、そこの社長???ってことのように聞こえる。

 

業態転換のレベルの差こそあれど、すべての企業で、事業を維持、拡大していく中で、環境の変化に直面しながら、自分自身の会社(事業体)の商品を変化させ、もしくは営業する先を変化させ、顧客の数、商品の売り上げを維持してきた。それが、老舗企業の生きてきた道だと思う。

 

数年前、地元の新聞社の“読者委員会”という委員になり、2年間、新聞社の誌面に対しコメントさせていただいたことがある。その会議の際、そこの社長がいつも言っていたことが、

 

新聞を読む、活字を読む文化がなくなってきている。

インターネットでニュースが簡単に見れる時代になり、これが、業績が伸びない大きなポイントである。と。

インターネットでの新聞も始めたが、料金の課金方法に苦労されていたように感じました。

 

これも、時代ですよね。

時代や、環境の変化や、人々の嗜好の変化を恨んだところで、会社の業績が上振れることはない。

 

では、どうするのか?ですが。

考え方として、

自分の会社の顧客や、強みの部分をもう一度、見直して、これを生かせる事業はないのか? とか、

 

会社が一番応援したい、地域の人、企業の一番の応援になる仕事の仕方は何か? など、を考えると、

 

広告力を武器に、地元の企業の活性化、商売繁盛に貢献しよう。とか、

もしくは、地元県内の各地に拠点を持ち、新聞配達は朝が早すぎて、地元の方々と触れあう時間は少ないかもしれないけれど、地元県内のネットワークは、行政以外では、強みにできるほどのネットワークをもっている。

 

これらの強みを活かせる商売はないか?が、これからの新聞社の可能性の一つだと思います。

 

私自身は、その読者委員会の委員で会ったときは、できるだけその会社の新聞を読むようにはしていましたが、ニュースのほとんどは、ネットから。なので、最近、新聞をほとんど読みません。新聞はとっているので、全くゼロではありません。

 

しかし、自分自身のライフスタイルからも推察されますが、新聞という紙の媒体は、当からずなくなるような気がします。

 

30年前には、インターネットは無かった(少なくとも自分には)のに、今は、30年前にインターネットが無かったことなど、信じない人がどれくらいいるでしょう。

 

時代は恐ろしいスピードで変化してきています。

 

環境変化を恨んでも、しょうがありません。(SWOT分析の脅威のところ)

 

この部分は、笑って忘れて、自分の強みを活かしてできる商品を作る。そして売り方を考える。これが、商売の基本だと思います。

 

新聞の会社、全国にありますが、最も地元を知り尽くした会社ばかり。

これからの地域活性化、地域創生のカギを握る事業体だと思います。

 

地域創生は、国は銀行にも期待を寄せてますが、今までのところ完全に不発です。

 

経済が伸びない日本を、何とかしてほしい。

アベノミクス。最近、首相も口にしないでしょ。経済は明らかに伸びていません。

 

そればかりか、

今回の新型コロナウイルスをトリガーに、中国発の世界恐慌の予感もあります。

力のある人は、力のある企業は、頭をフル回転して、新しいビジネスを創りだしてほしいものです。それが、業態転換。頑張ってほしいですね。

 

これからの日本を作るために。

 

経営理念を再思考

プロアクティブコンサルティングという名前で事業を始めているが、

企業11年目がおわろうとしている。

 

当初考えていた、経営についての知識、技術は概ね身に着いたと思う。

自分で考えられるようになり、セオリーのセオリーがすんなり理解できる。

いろんな場面で、自分の引き出しから解決策、あるいは解決への方向性を考えることができるようになった。

 

次からの事業は、まさしく”プロアクティブ”。

私自身は、ビジネスプロデユーサ―になり、

「プロアクティブコンサルティング事業」

「まっきーカレー事業」を立ち上げる。

 

プロアクティブコンサルティング事業では、

”Quality Assurance in Medical Science” と題して、製薬企業が新たなビジネスを模索する中、医療の現場も新たなビジネスの機会を模索する時代に、

事業者に見合った品質保証技術を提供することにより、世界のパブリックヘルスに貢献することを理念とし、事業を立ち上げる。

 

まっきーカレー事業では、

”カレーで笑顔をつくる”と題して、材料を供給する人、まっきーカレー事業で働く人、そしてお客さん、みんなが笑顔の笑顔を作ることを理念として、事業を立ち上げる。

お店で笑顔を作り、

笑顔の仲間を広げ、

日本全国に笑顔の仲間を作り、

笑顔を世界中に広げ、

そして、障害者雇用10000人。働く人も、事業に携わる人も、カレーを食べた人も、みんなが普通に一緒に働き、暮らせる環境を作っていく。ことを、ビジョンとして、事業を開始します。

 

まだ、本当に無力。ゼロスタートですが、

ここからがビジネスプロデユーサ―ですね。

 

「必ずなる」「必ずできる」とそう思うから、「できる」

究極は、「あきらめないこと」だけが、私の特技。

 

死なない限り、この目標をもって、自分の仕事を再思考しています。

 

それぞれの事業の進捗については、このブログでも書いていきたいと思います。

では。