昨日(2/13)の、三神地区 障害者(児)教育と福祉研修大会 の話ですが、
「障害の社会モデル」の話が、なんどか出てきました。
障害者差別解消法のもととなった、障害者の権利条約の時に話題になった言葉ですが、
今回の演者の芹田さんの話で、いっそう明確になりました。

「この世の中に、障害者はいない。障害は、社会にあるもので、ヒト個人にあるものではない」
という考え方。

順番としては、逆かもしれませんが、障害が社会にあるとすると、

「背が高い人には見えても、背が低い人には見えない。(前に壁がある)」
「眼鏡をかければ見えるけど、かけないと見えない。」
「二階に行きたいけど、階段は登れない、エレベータがあれば登れる」
「一人では歩けないけど、車いすがあれば移動できる。」
「日本では、話せるけど、外国にいくと言葉が分からないので話せない。」
「私は活字の本は読めないけれど、点字の本は読める。点字でないと読めない。」
「人は長く水に潜っていられないけれど、酸素ボンベがあれば長く潜ることができる。」
「宇宙服があれば、宇宙空間に一定時間いることができるが、宇宙服がないと、宇宙空間にいることはできない。」

ということ。(できない理由が「障害」ということ。)

どの人にも、自分にできないことはたくさんあります。
それが、障害。ということ。

こう考えると、「この世の中に、障害者はいない」、「障害者」という概念がなくなることになります。
これが、障害の社会モデルの言わんとするところで、

これが、基本的人権の概念であり、障害者基本法の目的となっています。

と考えると、私たちの身の回りに障害って、たくさんあります。

その障害にたいして、どうあなたたちは対処することができますか?(社会として)

これが、合理的配慮の意味であり、「障害の社会モデル」、「基本的人権」の意味するところなのであることが、
芹田氏の話で、よく伝わりました。

おさかなの話、かなり分かりやすく、皆さんにも伝わったと思います。

昨日の三神地区大会、皆さんから、好印象の意見をいただきました。

ありがとうございました。いい大会になりました。