(独り言)・・手をつなぐ育成会は消滅するのか・・
(独り言)・・手をつなぐ育成会は消滅するのか・・(独り言)・・手をつなぐ育成会は消滅するのか・・
手をつなぐ育成会という団体をしっていますか?
知的障害者の親の会として、1952年東京でお母さん3人が集まり、最初の会が結成されました。
そして、佐賀県では、1957年鳥栖で最初の”手をつなぐ親の会”が結成され、同時に、佐賀県特殊教育研究会(小中学校の特別研究会)
と鳥栖市手をつなぐ親の会が共同で、県に”特殊学級の設置”と”佐賀県手をつなぐ親の会”設置に向けて、共同で陳情し、1958年に、”財団法人佐賀県手をつなぐ親の会”
が結成されました。
これを契機に、県内の小中学校でも特殊学級が設置されるようになり、同時に県内の各市町村に、手をつなぐ親の会が結成されていきました。
そして、私がこの会の活動に参加しだして間もなく、西暦2000年ごろですが、現在の”手をつなぐ育成会”という名前に変わりました。
私自身も祐太郎が1歳半検診の時、自閉症と診断され、2歳のころからこの会に入り、祐太郎3歳の時1999年から、鳥栖市手をつなぐ育成会の副会長の役につき、この会の活動を開始することになりました。
副会長を8年、そして、現在鳥栖市手をつなぐ育成会の会長を拝命して、13年目?になりますが、会としては、極めて規模しい状況に面しているように感じます。
大きな流れは2つあります。
一つは、市町村合併。各市町で結成された手をつなぐ親の会は、市町村合併があった??年ごろ、合併した市町の中にある会も合併し、親の会の数が減りました。
そして、会の運営を継続していくうちに、地域のはなれたお母さん方が会の役職につくのを嫌がった??のかどうかは、不明ですが、合併を機に、末端の(元の町の)親の会のメンバーが徐々に少なくなり、
会の名前としては、残ってはいるものの、会員数は漸減していくようになりました。
2つ目は、障害者自立支援法の成立の時。この時、全国の育成会(当時の会員数:本人ベースで32万人)が、自立支援法に賛成の立場をとり、この法の中で掲げられた、「施設から地域へ」という方針が、
別の言い方で「脱施設」、「これから新規の施設への入所は認めない」というような論調となり、施設入所者の保護者の大反対にあい、施設保護者会からの、大量脱退がありました。
これから、全国的には、知的障害者福祉協会(入所施設の親の会)と手をつなぐ育成会の関係は、離れていく結果ともなりました。
しかし、こういう流れはあったとしても、地域で(例えば、鳥栖市で、基山町で、みやき町で、神崎市で)というところでは、障害者福祉については、障害者の代弁者としての、市町の障害者福祉計画の策定の時や、
その他の地域での総合計画の中でのご意見番として、この会から委員を打診され、地域の障害者福祉を支えてきました。
障害者自立支援法(現在の障害者総合支援法)の成立は、施行当初から様々な修正が加えられ、現在は、以前から比べるとかなり行き届いた福祉の制度を地域にもたらしてくれました。
以前は、子供のことで困ったら、”手をつなぐ育成会”に相談にくれば、そこから、市町、学校、教育委員会に、直接物申す立場でもあったので、駆け込み寺的に、ニーズもありました。
そして、なによりお母さんたちの相談相手、情報の収集ルートでもありましたが、
自立支援法の成立から、各地域に相談支援センターが設置され、市町の職員も、福祉課からの移動が少なくなったり、以前と比べると、市町でも相談対応が十分できるようになってきました。
特別支援学校、特別支援教室の進展も、会の機能に対するニーズを下げる形になり、結果として、新規の会員数は増えず、私の世代を最後に、、というと、言い過ぎではありますが、会員数は増えない。
それは、佐賀の地域に限ったことではなく、全国的な現象として、新たな会員の獲得は出来ず、会員数は、減り続けました。
以前は、子供に知的障害があれば自動的に会に入会するような風潮(市町も会の紹介をすることによってい入会をあっせんしてくれていたようです)があり、わたしがこの会に所属するようになった、23年前ごろの
鳥栖市での親の会の会員は、約250人。市内全体の障害者の数が、3百数十人だったと思いますので、約2/3の入会率。
それが、市の人口も、2万人超増え、鳥栖市手をつなぐ育成会の現在の会員数は88。激減ですね。
私が会長になってからも減り続けましたので、先輩会長から、顔を合わすたびに怒られる。何をやってるんだ。と。
とは言え、鳥栖市では、なんとか会の存続は保ててはいますが、結成当初から一緒に活動を続けてきた、三神地区と言いますが、神崎市(旧古賀町、旧千代田町)、神崎郡(東脊振村、吉野ヶ里町)、みやき町(中原町、北茂安町、三根町)、上峰町、基山町にあった
にあった手をつなぐ親の会(育成会)ですが、今春、基山町手をつなぐ育成会が、解散を決め、三神地区では、鳥栖市手をつなぐ育成会と、みやき町手をつなぐ育成会の二つのみになってしまいました。
この会の活動とともに、三神地区の合同大会として、特別支援教育研究会と三神地区の手をつなぐ育成会との合同で行っている大会もあるのですが、じわじわと、この言葉、大会名が心苦しくなってきている状況もあります。
このまま、ほおっておくと、鳥栖市手をつなぐ育成会もさることながら、みやき町の育成会の後継者は?????、ほおっておけば、間違いなく、自然消滅。
佐賀県の手をつなぐ育成会も消滅。ひいては、全国手をつなぐ育成会も・・・・という、道が目に見えているような感じです。
さて、どうするか。道は「ほおっておく」か、「大きなお世話をする」か、の二社択一。
私は、私の事業に集中したい、、なので、いろいろお世話にはなったけど、「ほおっておく」が一番楽。しかし、地域の中で、この会の果たして生きている役割を考えると、
「ほおっておくことはできない」と、心の中での葛藤が続いています。
「ほおっておかない」とは、”鳥栖市手をつなぐ育成会”と”みやき町手をつなぐ育成会”の2つの会で、三神地区全部をカバーしようという考えかたになりますが、
もともと、前回の鳥栖市、みやき町及び上峰町との合併の話があった時も、会の合併を考えていた時期もあったのですが、改めて考えどころに来ているように思います。
カバーしたところで、どこまで他の市町を含めてのお役に立てるのか。いろんな人と、仲間と話をして、最終的な方向性を決めないといけないと考えています。
さて、どうしますかね。明日、改めて考えて仲間に打診します。集まるか。。だけですが。
おやすみなさい。