(独り言)・・祈り・・ 第10巻
地上最強の商人、最後の言葉は”祈り”。
祈り、、どういうときに、祈りますか?
”祈り”と”お願い”は、似ているようで違う言葉ですね。
私の場合、例えば神社に、ほぼ毎日、お参りしていますが、お願い事をしたことはありません。
”祈り”。それはあるかもしれません。少なくとも、その意味を自分は分かっていなかったかもしれませんが、
自分の考え方が、間違っていないことを、神様にお話しし、私の、自分自身の心の動きをじっと見る。
神様はなかなか、私に答えを教えてはくれません。
例えば、大山祇神社。私が、ほぼ毎日、片道6.5㎞。坂道を走って登ってお参りする神社ですが、
お参り毎に、神様とお話をしています。私の考えていること、悩んでいることをお話しして、答えが導かれるのを待ちます。
しかし、なにも応えてくれません。何も答えが心に浮かんできません。
しかし、これが、このときの答えなのかもしれません。
恐らくそれは、私が子供のような考え方で、親におねだりする時のような答えを神様に期待していたのかもしれません。
恐らくそうです。
本当の答えが、私自身に分かっていなかったから、神様は答えてくれなかったのです。
これが神様のお導きであるように思います。
じっと神様と対話し、祈った言葉の答えを探す。自分自身の心の中で。
これが”祈り”の本質的なところではないかと思います。
神様との対話の中で、私の進むべき方向を、導いてくれる。
これが”祈り”の本質のような気がします。
”祈り”は”神様のお導き”を求めるもの。そしてその答えは、自分自身の中にある。
答えが聞こえていないときは、自分自身の考えが、まだ成熟していないときを意味しているように思います。
ただそれだけの事だと思います。
”祈り”。大切なことは、自分自身に、自分の思いを実行するための”能力”が身に着くよう祈ること。
物欲を祈っても、神様はなにもしてくれません。自分に必要な能力は何か。自分に足りない能力は何か。
それを求めることが、祈りの本質であると思います。
”祈り”という名の薔薇の花がありますが、この花を創った人は、何をこの花に祈ったのでしょう。
今度じっと見て、考えてみたいと思います。
お休みなさい。