私にとっての3rdGQAC(Global Quality Assurance Conference)

昨日は、午前中、中小企業診断協会の実務従事の打ち合わせ。
私は、Y商店の生産・製造のところを担当した助言をすることになっている。

その後、とす市民活動センターの仕事で、子育て支援をテーマとした”円卓会議”と称したセミナーに参加。
ここで、みなさんが一生懸命なのに、なかなか進まない現状、子育て支援の問題点が見えたようなきがした。
ようは、ゴールの設定、方向性の設定が、まだ十分できていない。なので、輪が広がりにくい・・。といった感じのように思えた。

そのあと、町区対抗野球に参加するつもりだったが、
電話で状況を確認したところ、雨のため延期で来週に再再再延期になったとのこと。(これで何回目の雨天延期になるか?)
今度の13日は、今日のお題である3rdGQACに参加してくるので、参加できない。残念。
4回目の優勝と、打ち上げに参加できないものつらい気がする。・・・・・もう一回延期にならないかななどと考える。

それから、祐太郎の世話。帰ったら、まだパジャマのままだったので、外に連れ出し、いつもの通りドライブ。

そして、残った仕事を。  という一日でした。 仕事がなかなか終わらない。 ふーっ。

◆さて、今日の本題の3rdGQACであるが、
私がこの世界(QAの世界)に入って、今でも仕事をしているきっかけを作ってくれたイベントである。

1997年ごろ、私は、九州に転勤でこの職に就いている。
その後、日本QA研究会(JSQA)に入会し、2年目(1999年)にチャレンジのつもりで、当時の特別プロジェクトに参加した。

当時業歴としては少なかったものの、当時のGCP部会長(中江さん)の許可をもらって、プロジェクトに参加し、会議に参加するようになった。

その年の秋、BARQA(イギリスQA研究会)の年会に、JSQAからに派遣があり、特プロからの推薦で、BARQAの年会に、柳田会長、今田国際委員会委員長と3人で参加した。

その時、柳田会長が、BARQA役員との会議の中で、会相互の関係強化を目的としたMOU(Memoranndum of Understanding)の締結と同時に、将来的には米国QA研究会も巻き込んで国際学会を開きたい旨を表明された。

この後、BARQAで即、賛同を得たのち、翌2月ごろ?の米国SQAでも、会長から同様の提案がなされ、とんとん拍子に3極QA研のMOU締結と、国際学会開催へロードマップが議論されるようになった。

これらの話を契機に私も今田さんからの誘いで、JSQAの国際委員会に入ることになり、
2005年夏、委員長に就任し、2期と半年、委員長をつとめた。

2005年春の第1回GQAC(米国フロリダ),2008年秋の第2回GQAC(エジンバラ)が開催され、
私自身もこの世界で自信をつけるきっかけとなっている。

そして、3rdGQAC。
実施に当たっては、4年前は、このプロジェクトの中心にいた。
会場予約および組織委員会的な委員会の立ち上げを行ったのち、実際の計画作成に入っていくが、
中小企業診断士の合格(2007年)を契機に、会社を辞めて独立することへの思いが強くなり、
会の中心にいることはできないと判断し、徐々にではあるが、中心をほかの方にお願いするようになった。

すぱっと切り替えればよかったのか・・・という気もするが、
私自身もGQACを人生のギアチェンジのための特別なイベントとして感じているので、なかなかやめられなかった。

当初からのかかわり、国際人として生きたいという願望の2つが、この活動を細々と続けさせていただいた理由であるが、
2ndGQACからは自身の転機(期)にも活用させていただいている。

会社を辞める。独立する。 田舎の大企業に勤めている人間にとっては一大イベント。人生の転機である。
実際、会社を辞める時は、会社、家族・兄弟、反対意見が多かった。というか反対ばっかり。

それでも、自分の決めた目標を達成するため、やりたい仕事をしていくためには、会社を辞めるしかないと考えみんなの反対を押し切って会社を辞めた。

その一大イベントを切り出すタイミングに使ったのが2ndGQAC。
当時はまだ、3rdGQAC実行委員(ステアリングコミッティ)のほぼ真ん中にいたが、
ひそかに「このイベントが終わったら、次のステップ」と考えており、

エジンバラから帰り、すぐに退職願を書き、家族へ相談したのち、
1-2週間、説得に時間を要したような気もするが、その後、当時の上司である斉田執行役員に話をしにいった。

私の場合、「あれが終わったら・・・・」と考えることが多く、
話を切り出すための一大イベントとして2ndGQACを考えていた。変ないみかもしれないが、大事なイベントであった。

今週末(13日)から京都で3rdGQACが始まるわけであるが、
これも私にとってのマイルストーン。

そろそろ次のステップに移るタイミングとなってきている。
どこまでステップを踏んでいくか、もう少し計画を練る必要がありそうだが、近いうちに報告するようにしたい。

私にとってのとす市民活動ネットワーク

昨日は、午前中、佐賀コロニー祭に佐賀県手をつなぐ育成会の代表として参加。
そのあと、雨の中のバルーン会場で、いい麺亭とパーソナリティのランドリーさんに会いに行った。

競技は中止だったけど皆さんにあえてよかった。それにしても、お店を出していた方々は暇そうでした。
オール半額のお店もありました。

その中で、目的地である物産館の中でいい麺亭の”米粉麺うどん” にたどり着き、米粉麺うどんを食べました。

”細くて柔らかいのにかなり腰がある。かなり な・め・ら・か” 
(写真撮り忘れましたが、こちらのウエブサイトから http://www.shokokai.or.jp/41/4132610022/index.htm )
これも売れるようになってくれれば・・・・と思う。(こちらは6次産業化)

ところで、本題の”私にとってもとす市民活動ネットワーク(T-CSON)”であるが、
代表の鈴木さんに誘われて、理事として活動している。
ときどき、このT-CSONの企画する基金訓練の講師をやったり、河内ダムの植林地の下草刈り、その他の各種イベントに参画している。

このT-CSONは、地域の市民活動グループ これをCSO(Civil Society Organization)といいますが、このNPO法人を含むCSO活動グループを支援するいわゆる”中間支援”の団体である。

活動としては、鳥栖市からの委託で鳥栖市民活動センターの運営も行っている。

◆佐賀県内に300余りあるといわれる市民活動グループ、(たとえば、私が代表を務める”鳥栖市手をつなぐ育成会”もひとつのCSO)が、どのようにしたら、活発に活動できるようになるか?

◆行政サービスの中にどのような隙間サービスがあるのか、どのようにしたらそこを埋められるか。 などを考える活動である。

「市民協働」という言葉があるが、
市役所、県ができない市民の必要とするサービスを、民間の力でどのようにしたら埋められるようになるかを考える。
これがこのT-CSONの仕事である。

この考えに共感して、参加しているのであるが、トーストマスターズと同じく、時間の関係であまり積極的に参加できていない。

ではなぜ、この活動に参加しているかというと、
「この活動を通すと行政の姿がよく見えるようになるから」

手をつなぐ育成会の活動では、福祉の部分。
中小企業診断士の分野では、農林、商工の部分 などが見えてくるが、
市・県の行政サービスの隙間は見えない。

会社の中で、研究職をやっていて、経営が見えない、わからないのと同じで、
この活動を通して、市の行政・つまり市の経営を見ている感じである。

見ているというよりは、学習中という感じであるが、わたしにとっての大事な活動であると思っている。

問題は、どの程度忙しい中活動に参加できるかどうかであるが、できる範囲でがんばりたい。

今日は、午前中診断協会の会議のあと、午後、「地域円卓会議2011 in とす」に参加してきます。

私にとってのトーストマスターズ 

 最近、忙しいと感じることが多くなった。今も本当に忙しい。
私の場合、忙しいといって、仕事、ボランティア、家事、子育て などなど、ほとんど境目がない。

私にとってどれが一番大事?・・・というものはない。
すべてが一番大事ということはないが、どのことも 「大事なこと ≒ 仕事」 のように考えている。

つまり、すべての活動がそれなりに意味があるということ、
理由、目的があるから、忙しくてもやっていられる感じである。

そこで、すこし自分自身の頭のなかの整理をも含め、私自身の活動をそれぞれ整理してみたい。
全部で、14ほど活動を列挙したらあったが、書きながらまだ増えてくるかもしれない。

すべての活動、その先には、「私の夢」があるので、その実現にむけて、完結していく。

1回目は「トーストマスターズ」

10年近く前になるかもしれないが、私は久留米トーストマスターズクラブの創設に携わった。
発起人は、当時の私たちの英語の先生であったフランク。

当時の先生からの誘いで、気軽に活動に参加した。
トーストマスターズクラブは、米国に本拠地をおくNPO法人で、「スピーチ」をテーマに、スピーチのスキルおよび会の運営、スピーチの技術向上等を通し、メンバーのリーダーシップスキルを養成するカリキュラムの内容になっている。

そのカリキュラムをマニュアル化し、世界各国にフランチャイズ化し、広まっている組織である。
ホームページを見れば今も世界、日本での活動人数もわかると思うが、私の記憶では、日本国内に7-8000人のメンバーがいる。

この活動の上記の目的以外のところの特徴は、
 ・スピーチの回数により、資格(Qualification)が付与されること、
 ・スピーチコンテスト、ユーモアスピーチコンテスト、エバ立エーターコンテスト、テーブルトピックスピーチコンテストなど、
会のなかで、各種のコンテストが用意されていること。このコンテストで、自分のスキルのレベルを客観的に確かめることができる。

私自身はこのクラブの古カブではあるが、7回のスピーチ経験しかなく、成績の悪い流年生のようなものである。
それでも、このクラブに魅力も感じているので、まだ活動を続けている。というのが本音である。

どこに・・・魅力を感じているかというと。
やはり、夢の実現のための自分自身の足りないスキルがそこにあるから。

英語力、スピーチ力 ・・・ 話す力 である。

十数年前の自分と今の自分を比較すると、存分、英語力、スピーチする能力も向上してきていると思う。
年齢とともに、それなりの”場数(ばかず)”が出きているのがその主な原因と思うが、まだまだ足りない。

特にスピーチ。
急に振られても、何とか対応することはできるようにはなったが、やはり言いたいことの半分も喋れていないことが多い。
原稿を用意していても、原稿を見ずにしゃべると、それでも3割程度は言いたいことを忘れている。
それが、英語となると、話せていないレベルは拡大する。

もっともっと、スキルを磨かなくては・・・と思いつつ、
クラブのミーティングに参加しなくては・・・とおもいつつ、
忙しさに負けて、思うように参加できない。

英語のスキルを身につけた時、診断士の資格を取った時と同じとは思うが、
「やめない気持ちが一番大事」と信じ、なんとかメンバーとして残らせてもらっている。
メンバーのみんなの温かさに感謝したい。

みんなに一度、公言したことがあるが、
そのうち、必ず、スピーチコンテストに出て勝ちます。
勝つまでスピーチコンテストにチャレンジします。

でも今年は無理ですね。・・・仕事を引き受けすぎてしまっています。
でも、やめない。必ず。

私に足りないスキルを磨き、自分を成長させ、自分の夢、目標に一歩でも近ずく、
そのための活動の一つがトーストマスターズ。

出席率の低いメンバーですみません。
そのうち、エンジンかかりますので、しばらくはご容赦を。

熊本 金峰三山山岳マラソン

山岳マラソンとは何ぞや・・・そんな興味本位で参加した昨日のマラソン。
なんと6時間11分も完走するのにかかってしまった。

自分でも未知の領域だったけど、6時間もかかるとは思っていなかった。
朝9時にスタートし、午後3時まで、 参加178人中109位。

このレースで2つ感じたことがある。というか走りながら考えたことがある。
1つは、もともと、このレース。来年の6月にある阿蘇カルデラマラソン(100km)への練習としての位置づけだった。
このあと、少なくとも、来年3月まではあと2回。フルマラソンを走る。という計画。

今回のレースで、6時間も走ったこと、
このレースは過酷で、6時間のレースのうち、3つの山の登山道の上り下りの3回を含め、アップダウンは多いレースだった。
下りが得意の自分も、最後は、足が痛くてくだりも人に抜かれるような感じになってしまった。
原因は、足の筋力不足。 特に太ももについては、もっと鍛える必要がありそうだった。
仕事上、あまり走る時間は確保できないが、スクワットは太ももの裏、表用の両方やっていく必要があると感じた。
これで、もう少し、体を強くできれば、マラソンの距離が短く感じるかも・・・・

2つ目は、自分の限界?
走りながら、足が痛くなって切ってもとりあえず、動けないほど、痛くなったら止ろう、歩こうと思っていたが、
結局、最後まで、止るほどの痛みにはならなかった。

上り坂になると、太ももの裏 ハムストリングのところが痙攣を始めるので、終盤まで苦労したが、
終盤になり、軽くストレッチをやり、走り方も筋をもう少し延ばすような感じで走ったら、痙攣も治まってきた。

なので、最後の3kmぐらいは、意外と順調に走ることができた。
途中、自分の限界はどこ・・と思いながら走ったレースだったけど、

未知の領域ではあったけど、自分の限界はそこにはなかった。
その環境(自分自身のいる環境)が、当初自分の思っていた「限界」を変えてくれる・・・伸ばしてくれる。
それを実感したレースでした。

まー きつかった。

仕事は一気にやらないと

今日は恵みの雨。
というか。雨の日はほっとする。

いろいろなものが中止になり、私としては小休止。
一休さんではないが、ひとやすみ ひとやすみ といった感じ。

小休止とは言え、気になる仕事は山のようにたまっており、午前中は仕事。
昼からは、仕事から離れ、娘の学園祭やら義父のお見舞いなどなど、ゆっくり過ごした。

それから、仕事。。。に復帰しようと思ったけど、頭は動かず。
今朝は3時に起床。仕事していたので、すでに疲れた状態か。

いつものことであるが、夕方以降は、戦闘能力がかなり低下してる状態。
結局、ほとんど仕事が進まず、音楽を聴いていた。(最近はクラシック バイオリン 特にベートーベン)

朝のうちは、気分ものり、集中力もあったが、夜はだめ。
仕事は一気にやらないと、私の場合、集中力をもどすことができない。
(診断士の勉強のときにはやっていたような気もするが)

いずれにしても無理をせず、仕事はいつもの朝の対応としたい。

来年は計画的に・・・

今年も、昨年と同様”忙しさ”に悩まされる時期に入ってきた。

いろんなタイプの仕事、仕事、仕事。

とはいえ、すべて自分の責任であり、挑戦でもあるので、当たり前なのであるが、

だいぶできるスキルも固まってきたので、来年は仕事を計画して実施していきたい。

今年は、事業計画を立てらなれなかった。
昨年目標であった本も書けなかった。
いまは、本ではなく、論文として頭の中をまとめようとしているが、なかなか時間が取れない。

今年は、今いただいている仕事を粛々と、一つ一つ、できるところで処理していく。これしかない。

遭遇した動物 -久しぶりに”かささぎ”発見-

昨日12.5km、 今朝21kmあまり のランニング。
運動会の時の軽い肉離れも、1週間の休養の地、リハビリしながら、ほぼ問題なくなった。

本当だったら、今日は宮崎県の綾町で開かれる「綾照葉樹林マラソン ハーフ」に参加するはずだったんだけど、

先月、弥生が丘南区の区長になってしまったので、区が主催して開催する本日の行事「自主防災訓練」には、責任者として参加することになってしまった。

いまのところ、何もかもがよくわからないまま、区長の仕事もさせていたあいているところですが、
かなり出ごとが多くなりそうで、レースへのエントリー、野球等、日程調整が難しくなりそう。

話は、本題にもどると、、山沿いをジョギングしていて、いつもいろんな動物に遭遇する。
春先が一番気持ちよくて、小鳥が元気。いろんなきれいな”声:さえずり”を聞きながらのジョギングは爽快。

1年じゅうう必ず会うのが、カラス。昨日と、今日はいつもの”つがい”に会えなかったけど、何羽かのカラスには挨拶しながら走った。

秋口になると、イノシシにも合うようになる。特に明け方。
きょうは、子どものイノシシ -ウリボウ-  に遭遇した。

土を掘り返しながら、餌を一生懸命探していたみたいだけど、私が通りかかるのに、気がつくのが遅くて、
ほんのちかくまできたところ(約1m)で、やっぱり ”ぶひぶひ” いいながら驚いて逃げていった。

そして、”キジ” 昨日は(2羽だったのでたぶんつがい)つがいの”キジ”に遭遇。
飛んで逃げるかと思いきや、2羽とも走って藪のなかに逃げ込んでいった。
そのあと、飛び立った気配があった。

そして、昨日いちばんよかった遭遇は、”かささぎ”。
ついこの間までは、どこにでもいて、繁殖力の強さに感心してたような気がするんだけど、
昨年ぐらいから、まったく遭遇しなかった。

どうしたのか、心配していたら、久しぶりに遭遇。
よかった・・生きてた・・という感じ。

少し大袈裟かもしれないけど、心配してたんです。
でも、まだ見たのは1羽だけなので、これから多く遭遇することを期待します。

カササギ  俗称:かちガラス
カラスという名前が付いているけど、鳩ぐらいの大きさで、白と黒のツートンカラーの鳥。

見た目はきれいだけど、声はしゃがれていて、ギャーギャーといた鳴き声で、気性は荒い。
カササギ同士でもよくけんかする光景を見るし、巣に近ずくと、人間にも平気で威嚇してくるような鳥。

いいことさがし

最近、いろいろありすぎて、ついついマイナス思考気味の気持ちになってしまいますが、
一日を振り替えていいことを探すようにしたい。

昨日(19日)は、基山商工会でのセミナーは、SWOT分析等の授業(講師)だったんですが、
自分自身もSWOTしながら考えられたのは、非常によかった。

また、参加者の方とも少しお話ができたので、また仲間が増えた気がしました。

◆それと、もうひとつ、よかっったことは、
NHKの「ヒストリア 歴史秘話」を偶然テレビで見たこと。

昨日のテーマは「金子みすず」に関する秘話 であるが、

震災直後のACのコマーシャルで流れつつづけた「詩」を覚えているでしょうか。
「こだまでしょうか」がそれであるが、

これを初めて聞いた時には、自閉症の子のオウム返しをイメージしてしまい、私と私の家族はそこからこの詩の意味を考えることはできなかった。

しかし、この番組から、
「うののない言葉であること」、「みんな人とかかわりたいと思っていること」、「その寂しさ」、「ひとへの期待」を感じることができた。

一気にこの人のファンになった気がします。
私も、金子みすずさんのように、「うそのない」世界をどこまで自分自身でできるかどうかわからないけど、
がんばってみたいと思う。

———————————
こだまでしょうか

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。

そうして、あとで
さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。
———————————

一つひとつ こなす

仕事がたまってくると、つい気が焦ってしまう。
でも、頭が2つも3つもあるっわけではないし、手も頭と同じようにしか動かない。

できることは、一つずつ仕事をこなしていくこと。
「続けてやる」、「少しスピードを上げる」などの努力が必要になるだけ。
ほかにできることはない。

ここのところこんな感じ。
完全に仕事に追われている感じであるが、来年の3月まではこんな感じで行きそうである。
忙しい毎日で、今年も存分成長できそう。
—とプラス思考でいくしかない。

いつの間にか 秋

最近、少し寒くなってきた。
2週間ぐらい前に、きれいなコスモスを発見し写真にとってブログに・・・
と思いながら、時間だけが経ってしいました。

昨日は、大和特別支援学校の運動会。
うちの息子も苦手ながら、なんとか運動会に参加出来てました。

帰り道、の金立公園 —-写真を撮り忘れましたが—–
コスモスが満開。

きれいな光景に、人もいっぱい来ていました。

そのあと仕事で、気を休めることはできませんでしたが、
ほっと一息 —もう秋だね—- の瞬間でした。