2017.05.06 スパルタスロン – 行けるかも
スパルタスロン – 行けるかも。
萩往還マラニック250㎞ の話の続き(FBで書いてます)ですが、内容の分析です。
前回(昨年の大会)では、途中、仙崎公園から静が浦往復の約12㎞が暴風雨のため、キャンセル。その結果、全行程が約238㎞になりましたが、私自身の記録は、48時間の制限時間に間に合わず、48時間と10-20分?くらい。だったのが、(タイムオーバー)
今回は、約42時間でゴール。その差 約6時間。
なぜ、一気に6時間も短縮になったかを分析してみると。
要因は大きく2つ。
「作戦面」と「体力」。。。。とその2つの関係。
◆作戦面は、宗頭文化センター(176㎞地点付近)での、休憩をほとんど取らなかったことが一番大きいと思います。
(どこで仮眠をとるか、仮眠をとるのか取らないのか)
昨年は、ここで2時間+30分くらい?(定かではありません)
昨年は、夜9時ごろ、宗任に到着。しかも、気力はかなり低下しており、宗頭で食事、着替えの他、仮眠を1時間ほど。
結局、ここで、2時間あまりを過ごし、夜の11時過ぎ?20分ごろ、再スタート。
そのあと、三見駅(188㎞地点)に到着時も、眠気は収まらず、ここでさらに10-20分の仮眠(椅子に座ったまま)
今回はどうだったかというと、
宗任には、午後8:30ころ到着。体を拭いて、着替えして、そのまま再スタート(記録では9:01分)
(この時点で昨年と2時間あまり違います。)
仮眠はというと、三見駅で10分の仮眠を試みましたが、
私自身に眠気が襲ってきている状態ではなかったので、眠れず、単に10分目をつむって再スタート。
この後、午前3時-4時ごろの虎ケ崎で、猛烈な睡魔に襲われ、
人目を忍んで、普通の公園のベンチで5-10分くらい?の仮眠。・・・ここでは、ちゃんと落ちることができました。
(一瞬ですが、完全に睡眠状態になりました)
このあとは、ゴールのお昼の12時まで、ほぼ睡魔に襲われることはありませんでした。
仮眠をどこで撮るのか、どの程度寝るのか。
自分自身を知らないと、なかなか判断できないところではあると思いますが、2日間(足掛け3日)で、寝たのは、おそらく5分未満。
こういう状態で、走りつ続けた、走れた。結果として作戦面という話になりますが、功を奏した、一つの要因であると思います。
◆そして体力面。
一つは練習量。月間300㎞を超える走行距離を17か月間続けてきているので、この練習のおかげで、足は最後まで残ってました。(痛いところは、あちこち ありましたが)
今年に入っても平均で 月間375㎞のランニング。
このおかげで、足はのこり(ウルトラランナーならわかる言葉)けっこう、最後まで、調子のよい区間では6分台で走れるくらいの足があったようです。
◆(要因は作戦面を考慮した体力)
ここでのポイントは、調子の出し方、(無意識に)調子が出てくるタイミングを自分自身で知っていれば、自信のスピードは、ある程度コントロールできます。
今回も、いったんエイドで足を止めると(止めないと苦しいので、ここで休むのは必須ですが)、そのあと足が動かない。思うように動かない。
しかし、今回の私の呪文「おそくても、前へ 前へ」
これを、萩往還道の帰り、ずっと口ずさみながら、走り。
不規則な小走りが、徐々にリズムが出てきて、足と呼吸のタイミングが合いだし、15-20分を過ぎるころには、
ランナーズハイを感じるような、力の抜けた軽い走りができるようになっていました。
自分自身が「このあと ここうなる 」とわかっていれば、
少々きつくても我慢できるもんです。
最後のピークとなった状態をどこまで引っ張れるか。
コースや、時間、自分の気力等を考えながら、
止まって、走る、、を繰り返して、250㎞走りますが、
呪文の「おそくても、前へ 前へ」を繰り返し、繰り返し、口ずさみながら、250㎞のランニングのリズムを作っていきました。
結果、合計で6時間あまり、昨年より早い時間(しかも距離は+12㎞)にゴールすることができました。
◆これでも、反省点はいくつか出てくるので、
来年は、もっといいタイムで、、、と。
妄想に終わらないよう、現在の練習を最低でも来年の9月まで(あと17か月)続けようと思った次第。
◆スパルタロンの日本からの参加資格
参加資格をよく見ると
「萩往還250㎞を42時間で走れる人」とありました。
私の記録は42時間12分。
ひょっとすると、ダメもとではなくても行けるかもしれません。来年1月のエントリー、日本枠からトライしてみます。
まだまだ「鉄人系おっさんアスリート」への道は続きます。
歳を重ねながらの体力勝負への挑戦。よかねぇ。
この歳で、チェストー。 気合が入ります。
みちゅっくんやん(見ててくださいね)
おもしりかもよ(楽しいと思いますよ)