(独り言)先日ちょっと嬉しいことがありました。
先週の土曜日、地区社会福祉協議会主催の男の料理教室に主催者件兼参加者として参加しましたが、その日、祐太郎が仕事が休みになってしまい、家で留守番?の状態だったのですが、
実際に参加はできませんが、一緒にいるだけならいいだろう、、と連れて行きました。
私が、開会時の挨拶をしているときに、祐は私の横で高笑い。。わっはっはっは(機嫌が良かったようで)、で、私が彼の口を私の手でふさぎながら、挨拶。。。
その時、会場の後ろのほうで、婦人会からお手伝いをしてくださっているE﨑さんが(祐太郎が来ていることを)とっても嬉しがっていて、挨拶のあと、自分のところに寄ってきて、
「小学校の時、お父さんが手をつないで、学校に行ってたときの息子さんでしょ、、、大きくなったね。。」と。
と、横から、他の民生委員さんも、そうそう小さいころしか見てなかったけど、大きくなったね。。。
いやいや、もう23ですよ。
連れてくるの迷ったんですけど、、、。
いいよ、いいよ。ぜんぜんいいよ。と皆さん優しく仲間に入れてくれました。
何が、嬉しかったかというと、
今の家に越してきて、祐太郎小学校4年生。ここに越してくる前までは、小学校が近かったので、姉と一緒に集団登校に混ぜてもらっていました。
しかし、登校の距離が長くなり、祐太郎は集団登校には入れなくなりました。嫁が送り迎え。。。。それがかなり負担そうにしてました。
私は、見るに見かねて、学校は会社の横だから、と、
それから小学6年まで、2年と10カ月、私の通勤と祐太郎の通学で、2人で登校してました。
その時、他の小学生の集団登校が7時25分ごろ、近くを出発してましたが、祐太郎の歩く速度に併せて、我々は7時10分発。
途中、他の小学生たちに抜かれながら、時間をかけてゆっくり登校してました。
息子を学校に7:50-55分ごろとどけ、わたしはそこから走って、8時ぎりぎり、会社の正門をくぐる、、時々遅刻(笑)
この時のことを、何人かの方が覚えていて、祐太郎を見ると、この時のことを話してくれる時があります。
E﨑さんもこの時のことを覚えていてくれて、嬉しそうに祐太郎にも話かけてくれました。
今の鳥栖市の教育長からも、いつも見てましたよ、、、と時々言っていただきます。
あれで、祐太郎の存在を近くの方に覚えていただいたようで、
うちの息子のような子供たちが、こうやって「地域で暮らす、育む」の意味が出てくるんだよな。
と、地域で育む意味をかみしめて、嬉しくなった次第です。
これからどうなるかは分かりませんが、いままでこうなることを期待して、祐太郎の露出度を高めに地域でも
行動してきました。
最近、区長の役をしながら、どこでも連れていけることは少なくなっていましが、今回、息子に声をかけてもらって、
ちょっとだけ、嬉しくなったしだいです。
徒然に、長くなってしまいました。
おやすみなさい