断る勇気

断る”勇気”というと、
なんかネガティブな感じで、私個人も好きな言葉ではない。

しかし、いい方を変えると、自分自身のセルフコントロールをどこまでできるかに、この言葉の意味がある。

私の場合どこからどこまでを仕事といって、それ以外は仕事ではない、といえるのか?
分類してみると、お金を稼いでいる仕事、ボランティア的に無給で行っている仕事、とその中間?的な活動がある。

お金を稼いでいる仕事
 中小企業診断士として、経営コンサルタントとして活動する仕事
  経営顧問、再生支援、経営革新、商品開発、ISO等品質管理手法支援
  6次産業化事業(総括企画推進員)、佐賀市相談支援事業 統括責任者
  その他診断協会での受託事業の責任者
 GxPQAコンサルタント (医薬品臨床試験GCP監査、医薬品工場GMP監査、その他薬事コンサル)
お金を稼いでいないボランティア的な仕事
 佐賀県手をつなぐ育成会 副会長 業務(会議出席多数)
 鳥栖市手をつなぐ育成会 会長 業務(会議出席多数)
 障害児夏休み教室実行委員会
 鳥栖市民活動ネットワーク 理事
 鳥栖商工会議所 経営研究会 副会長
 中小企業診断協会 専務理事
 鳥栖コンベンションシティ委員会
 鳥栖みらい会議
 などなど

その中間
 鳥栖市嘱託員 弥生が丘南区 区長
 筑紫野市商工会 紫プロジェクト専門員

などなど、いろんな仕事を引き受けていて、だいぶ首が回らなくなってきた。

お金を稼いでいる仕事も順調、それ以外も活発である。
会議に出てしまうと仕事をもらう悪循環・・・役には立っていると思うが、その分、ほかの仕事に影響が出てしまう。

今年、”限界”という言葉の先を見てみたいという衝動で、100kmマラソンにも参加した。
しかし、体力的には限界は見えず、新な発見、自分自身の未開拓な部分を発見した。

しかし、前述の仕事全部をこなすのは、至難の業。最近特にそう思う。

こっちも限界へのチャレンジ。というかっこいい言葉も頭に浮かびながら、引き受けてしまっていたこともあるが、
そろそろ整理しなくては。。。

今年はまだ我慢の時期かもしれないが、仕事の整理は必要と思っている。
自分自身の力を集中できるところをはやく定めないといけない。

いま、ぎりぎりのような気がするが、自分自身の対応能力を信じて、なんとか乗り切りたい。
しかしそのあとは、”断る勇気”を持とう。

もっと、計画的に、人生を送るために。
 

阿蘇カルデラスーパーマラソン 

6月2日阿蘇カルデラスーパーマラソンで100km走りました。(タイム:11時間26分 天候:曇り、ときどき小雨)
目標だった100km完走で、次をどうするか? 考えているところだけど、その時の模様を記録として書きとめておきたいと思います。

大会前日(6/1)、
 夕方17:00、自宅を出発。
 車はいつものプリウスではなく、ステップワゴン。
 理由は、マラソン当日の朝のバスの時間が3:30と早い時間になるので、改めて宿をとるのをやめて、車の中で寝るようにしたためで、
 ステップワゴンだと、後部をたためば、寝るスペースを確保できるため。

 夜19:00にゴール会場である阿蘇市総合センターに到着。
 まずは、風呂、共同浴場探し。
 インターネットではたくさん共同浴場があったが、その中で、名前の気に入った「七福の湯」を探していった。
 会場の近くで、非常にシンプルな風呂で、「源泉かけ流し」 浴槽、洗い場とも本当にかけ流しの状態。
 入浴料100円。(結局、走り終わってからもここで入浴)

 夜19:30ごろ、食事調達と駐車場探し、
 夕食は近くのファミマで調達。(コンビニ カツ丼)
 駐車場は、結局会場に最も近い第一駐車場。
 第二、第三駐車場は満杯で、会場裏にあって、市の担当の方が停めていたという第一駐車場に最終のねぐらを決定。

 夜21時すぎ
 フェイスブックに、近況をアップし、就寝。

 6月2日 2:30 起床
  12時すぎたころから、周りで車のドアの開け閉めの音がしていたので、そのころから続々と、人が集まっていたものと思う。
  
 朝 3:30 バスへの乗車 スタート地点へ移動
  軽めの朝食、トイレ等をすまし、バスに乗車。
  おそらく、遠くから来ている人のうちかなりの人はこのバスに乗る。50人乗りの大型バス・・・・数台以上。

 朝 4:00 ごろ、スタート地点 阿蘇ウイナスに到着
  入口付近で、渋滞?があり、会場付近で、ゆっくり、なかなか到着しなかった。
  到着後、ばたばたと受付、着替え、ゼッケン付け、荷物預け など
  必要な準備を終えて、4:30ごろ 準備完了。
 
 朝 5:00薄暗い中、スタート
  最初は、かるい上り下りで、20km付近まで、ゆったりとしたペース。
  いつもだと、20kmというと、マラソンでも中間。ハーフだとそろそろ最後の雰囲気であるが、
  なんとも先の永い話・・・で、ようやく20kmか・・・ という感じ。
  20kmの通過時間1時間48分。
  すこし早目のペースであったらしく、おそらくのこの時点で、順位は70~100位前後。
  周りの常連組の話を聞いていると、このままのペースで走れれば、9時間台で、30位くらいには入れるとのこと。

 20kmすぎの長ーい上り坂。
 標高差400-500m以上はあるような感じであるが、長い長い、急な上り坂。
 半分くらいは走れず、歩いて登る。
 見た感じ、8割が歩き、2割が走っているような感じで、私もときどき走ったけど、走っても歩いているスピードとあまり変わらないので、上りが急になると歩きを選択。(この流れ場、最後までときどき出てきた)

 登りきったら、寒かった。
 何km走ったかは不明だけど、登りきったら、風、空気とも冷たかった。
 私の今回のウエアは、ランニング短パンで、最も軽装で、もっとも気合の入った格好。頭はいつものバンダナではなく、帽子。
 ここから、しばらく尾根つたいの間隔で、下ったり、登ったり小刻みな起伏のあるコースを走る。
 山の中(林道)というイメージのところもところどころ、
 高森もこの時間帯で過ぎたように記憶が残っている。

 なか中時間が過ぎず、朝9:00すぎ、40km付近を通過。通過タイム:4時間05分。
 6分/kmできているので、これでも結構いいペース。
 
 42.195kmは、4時間20分で通過。
  そして、待ちにまった42.195km。
  走り出してから、ずっと早く42.195すぎないかな。。
  初めての感覚を味わいたくて、本当に待ち遠しかった42.195km
  フルマラソンなら、ゴールで感慨深いものもあるところだけど、
  これから、まだ60km近く走らないと・・と思うと、体も疲れている暇はない・・気合再注入。
  ここから、私にとって未知の部分で、自分自身の体の変化に期待しつつ、RUNを継続。
  この時点で、相当程度の疲れは感じでいた。

50km通過 5時間30-5、6分くらい(午前10時30分)
 42km付近から足があまり動かなくなり、かなりの人に抜かれた。
 特に下り坂。
 ふだん、下りは体重も重いので、早いほうであるが、これくらいになると、下りは足が痛い。(足の裏と太もも)
 これくらいから、残り時間を考えだす。12時間で走りきるとして、残り6時間30分。
 いけるかな・・とおもいつつ、この後のペースダウンを覚悟。
 
 と思って、意識的にペースダウンさせた。(頭の中は、「遅くてもいいや、完走完走」)

55kmすぎ
 中間の休憩所(52km付近)での、軽い休憩(水分補給、軽めの食事、パンとおにぎり、バナナ、スイカなど)
 このあと、ぼちぼちとゆっくりペースで、走りだし、ペースをキープしていると、
 55kmすぎから、なぜか急にいったん体が軽くなる。
 おそらく、この後の5km位は、5分/kmより少し遅いくらいのペースで走っている。
 途中、下りもあったけど、早すぎるな??と意識的にペースを落とすほど。
 この間、かなりの人を抜いた。
 いわゆるこれもランナーズハイか?

60km 11時20-30ふんごろ通過
 このころから、あと何時間・・・走れば、これくらいの時間をかければ、完走できる。とかなり完走を意識ししだしたし、
 完走が現実的に感じられてきた。

65km付近 ちょうど12時ごろ。
 正確に時間は測っていないが、65km付近で12時ごろ。
 あと35kmか と思いながら、もし平坦なら、4時間ぐらいかな、いや、疲れているから、足も動かないから4.5時間などと思いながら、夕方5時のゴール、12時間の記録を意識しだした。

 そもそも、日が暮れるころのゴールを覚悟していたが、意外と早くつくかも・・などとゴールがイメージできるようになっていた。

70km付近
 60kmから70kmの間は、ペースでいくと6分10-30秒/km
 登り、下りでペースに差。
 平坦、下り坂はおそらく 6分/kmくらいのスピード、登りは、7分/kmもしくは歩き。

 67.5kmすぎ、50kmにエントリーしていた高木さんが私に追い付き、声をかけてくれた。
 高木さんは、かなりいいペースで走っていた。

このころから、アップダウンを繰り返しながら、軽く登っていたような感じであるが、
 軽ーい、長ーい坂が70km過ぎに一か所。

そして、75km過ぎに、また、心臓破り…ここまで来ると、心臓というより足。走れない。の坂。
 急な坂で、山を一気に登っていく感じ。
 しかし、ここでは、また元気が出ていた。
 スピードは上がらないけど、「休まないで登れば」だけ意識して走った。
 ここを登ってしまえば、あとは尾根づたい、そして下り。最後の頑張りどころと思い、この坂を上った。

80km付近 9時間くらいで通過。
あと3時間で20km・・・などど意識。いけるいける。

82.5kmごろから、山の上、平原的な景色の中を5kmほど走り、
 上ってきた足にダメージもあり、ほとんど足が動かず、
 比較的平坦なのに、足が出なかった。動かなかった。7分/kmぐらいのペースには落ちていたとおもう。

87.5kmすぎ、一気に下り坂へここから、400-500mくらいの標高差だとおもうが、
5kmほど一気に下り。ここでも足は動かず、かなりの人に抜かれた感じ。

90kmから、のこり10kmを1kmごろにカウントダウンスタート。
92km付近、下り完了。

下りながら考えていたが、いったんくだりが終わったらエンジンをもう一度かけてみよう・・・
92kmすぎ、平坦になったところで、リスタート。
ここから、おそらくちょうど6分/kmくらいのペースにペースアップ。
意外と簡単にギアチェンジできたので、自分自身でも驚き。ここで、「人間ってすごい、こんなところでも力が出るんだ」などと一人で感心。
このペースで、3-4kmくらい走れた。最後までいけるかと思ったけど、そうはいかなかった。
残り3-4kmくらいで、またペースダウン。

のこり3.5km付近、再度エンジンをかけなおし、ちょっとだけペースアップ。
いい感じで1km走ったところで、最後のエイドステーション。
横をすかして走ろうと思っていたところ、水を差しだされ、止まって飲んでしまい。
ここで、ペースを上げることができず、のこり2kmで、あらためてエンジンをかけようと思ったけど、
もう足は動かなかった。これで10人以上には最後抜かれてしまったとおもう。

そして、最後、完走できたな・・・実感しながら、11時間26分でゴール。
一人で満足しながら、Facebookに完走を報告。

ゴール地点で、ほぼ同時にゴールした、年は私と同じか少し年上に見えるお姉さん。
わたしより、1分ほどはやくゴールしているはずであるが、満足していない様子。
女子部門で、10位以内に入れなかったことが悔しかったらしい。去年は8位だったとか?

自分では、”鉄人”の仲間入りできたかな・・・などと思っていたが、
いやー ”鉄人” は、まだまだたくさんいますね。
私自身まだまだひよっこ。

もっともっと頑張らないといけないけど、しばらくは休憩。
次は、四万十川、サロマ湖、ちょっと考えてみたい。
ウルトラは、長くて本当にきついけど、走れるとわかると、もう少し次の領域を見たくなる。

次???一度、走って都城まで帰ってみたい・・・片道 250-300kmほど。4日くらいかかるかな?

それでは、また次のチャレンジへ。頑張んべ。

 

 

 

 
 

最近”まずいな”と思うこと

最近、なにかと忙しすぎて”まずいな”と思うことが増えてきた。

ひとつは、忙しすぎて本を読む時間がないこと。
いつも、何かの仕事に追われ、気になることがほぼ常に頭の中にあるので、なかなか、ゆったりとした気分で本に目を通す時間がつくれない。
本に集中できない状態が続いている。

もうひとつは、忙しさに限界を感じること。
今までは、忙しいなりになんとか処理?できているので、修行とかトレーニングとか思えば、この忙しさも意外と前向きに考えることができる。

しかしそれでも、常になんとかできるものばかりではなく、最近は、自分で責任を履行しきれずに、関係者に迷惑とまではいかないかもしれないけど、負担や許容をお願いすることになってしまっている。

こうなると、自分の仕事を整理していくしかないが、ここで整理してしまうと、また人に迷惑をかけてしまう。
結局、ここはなんとか乗り切って行くしかない。

ここ数日は、障害児夏休み教室実行委員会の負荷が高い。
障害児夏休み教室の企画。企画そのものはいいもの。手をつなぐ育成会にとっても、障害児を持つ親、本人のためにも本当にいい事業だとおもう。
でも、こういう企画も完全にボランティアではできない。 もう少し事業性を持たせないと運営する側の負荷はそれなりに高いので、厳しい。

自分のやりたいこと。進むべき事業。
今、仕掛っている事業が終わるまでには、絞りたい。

本を読む時間がなく、”まずいな”とおもうことも多いけど、
それでも、忙しさの中で実践は積めているとおもう。

結局、もうひと踏ん張りするしかない。今しばらく、耐えることにしよう。

佐賀6次産業化サポートセンター

今年も、佐賀6次産業化サポートセンターを開設すべく、
本日、「平成24年度6次産業総合推進委託事業」の企画書を九州農政局(熊本)に提出してきました。

うまく採択されれば、7月1日くらいには、今年も「佐賀6次産業化サポートセンター」を開設します。
場所は、佐賀市のアイスクエアビル 5階の産業支援相談室をメインの事務所に、私の事務所もサブ事務所として提案しました。

昨年度は、総括プランナーとして、プランナーの方たちの仕事の取りまとめを行いつつ、自分自身もプランナーとして活動しましたが、
今年は、初回相談とそのあとのプランナー派遣業務に注力する予定です。(採択されれば)

昨年度は、佐賀県の東部地区(神埼市、みやき町、上峰町、吉野ヶ里町、基山町、鳥栖市)からの総合化事業計画の案件はありませんでした。
ことしは、東部地区からも、案件の発掘を行っていきたいと思っています。

佐賀は伝統的にそうなのかも知れませんが、西部のほうが、資源が少ない分かもしれませんが、中小企業施策を活用する例が多く、我々の立場からは、活発に見えます。

鳥栖・三養基地区は、福岡に近いことやジャンクション、鉄道など交通の要所としての資源があるからか(恵まれているからか)、新しいことへのチャレンジ精神が、少ないような気もしています。

せっかく活用できる資源があるのだから、もっともっと活かせれば、みんなの役に立つ事業もできるのに・・・
などと、いつも思っています。

私の診断士の仕事もだいぶ板についてきたので、今年こそは佐賀県東部地区でもっともっと仕事ができるよう頑張りたいと思います。

頑張ります。

体調回復?

最近、超多忙状態がつづいており、体調もいまいち。
昨日、一昨日は、昼間の会議や人と会う仕事の間はなんとか対応できていましたが、
事務所に帰ると、どっと、体が動かない状態(気力がわかない状態)になり、、、、休憩。

それでも、実験と思い、夕方10kmのジョギング(いつもより時間をかけて走りました)
一汗かいて、夕食後早めの就寝、そして3時起床。←(これが異常かも)

これで体調も戻り、頭を使う仕事に入れそうな感じです。

今週も、
・事業デユーデリの報告書作成、
・6次産業化推進事業の企画書作成、
・障害児夏休み教室実行委員会の手続き、
 そして週末の
・鳥栖市手をつなぐ育成会の総会、
・鳥栖商工会議所 経営研究会の総会等、
  イベントや締め切りの迫った案件もぞろぞろ。

 ここんところ、めげない精神力の訓練をしているようです。
 
 不思議だけど、「トレーニング」とおもえると、きついこともなんとかこなせるし、継続できるものです。
 最近の発見の一つです。

ラ・フォルジュルネ鳥栖 終了

終了とはいえ、決算を含め、まだ跡かたずけが残っていますが、イベントとしては終了。

昨年の12月に議会でラフォルジュルネ開催がピンチとの話を聞き、手をつなぐ育成会からの開催要望、Joyクラブコンサートでの開催要望、そのあとコンサート会場にいた有志から署名活動へと発展し、今回のラ・フォルジュルネの鳥栖開催が繋がれました。

音楽祭をのものが、成功か、成功でないかはいろいろな方の意見を聞きたいところであるが、”音楽祭”そのもののもつ、パワーは、十分に活用できたのではないかと思う。

また、もともと私の希望は、ノーマライゼーションを志向していく中で音楽のパワーを活用したいと思い、ラフォルジュルネを応援した。

音楽は、障害があってもなくてもみんな楽しめるもの、参加できるものである。
上手、下手もあるかもしれないが、障害をもってみんなに大きな感動を与えてくれるパフォーマーやアーチストはたくさんいる。

そういう人たちもこの鳥栖に来て、ラ・フォルジュルネの鳥栖バーションを実現してほしいとおもう。

ラフォルジュルネは毎年テーマを掲げて開催される音楽祭であるが、その音楽祭に100%組み込む必要はない。

併設の音楽祭でも構わないので、Joyクラブ、荒川知子ファミリーアンサンブル、瑞宝太鼓、辻井信行さん(一流すぎるかもしれないけど)らを呼び、みんなが参加して、楽しんで、ふれあえる音楽イベントになってほしいとおもう。

自分にどれだけできるかわからないけど、声を出すこと、微力でも行動すること、実現を目指して頑張ってみたいと思う。

でも、最近 ちょ~っと 疲れぎみ。
休みたいけど、休めない。。。

どこかで改めて息抜きしなければ。。。。 

つくづく、選択と集中

いつも書いていることではあるが、いろいろやりすぎていて、
やり始めた仕事に、なかなか集中できないことが多い。

今も、依頼を受けた臨床試験の監査(GCP監査)の準備をしながら、
・6次産業化事業の案件の報告書
・中小企業支援ネットワーク強化事業の専門家報告書
・次期のPACの事業計画

などを並行して考えている。
GCP監査については、その前提となる資料が大量にあり、適切な監査を実施するためにはそれなりの時間が必要である。

これからしばらくは、重要案件を識別しつつ、週替わりの選択と集中を繰り返していかなければならない。

次年度の事業計画では、自分自身のビジネスについても展開する時と考えているので、
選択と集中 Focus & Deep を考えていく予定である。
どこに焦点を当てていくか。 

これらを踏まえ、次年度以降、年度計画に加え、中長期計画(3~5年)も立てていくようにしたい。

以上。

今日は休み 

今日は休みます。

昨日未明、私の義父が永眠しました。
自信の親が亡くなるときはアメリカ出張で、死に際に父に会うことはできませんでしたが、
永眠されるときに立ち会うことができました。

死に際に、心音がとまってから、一度目が開き、我々にあいさつしてから、安らかにえいみんされました。
「大往生」とはこのことかと思いました。
わが義父のご冥福を祈ります。

さて、義父の死のおかげというか、今週、すこし仕事から追われる状況から逃れることができるようです。
とはいっても、それでも残っている仕事量には、私自身も唖然とするほどになってしまっていますが、すこし、考える時間、整理する時間ができたことは、よかったと思います。

変な意味になるかも知れませんが、この点も父に感謝したいと思います。
いろいろな仕事を引き受けて、忙しい、忙しすぎるような毎日ですが、義父に、よい感じで水をさしていただきました。
とはいっても、週末からは変更の効かないセミナー講師仕事が待っており、あっという間に通り過ぎる時間かとおもいますが、
この時間も大切にさせていただきたいと思います。

以上

閑話休題 ランニングのメディテーション効果

昨日、指宿菜の花マラソンを走ってきた。
9回目のマラソン(42.195km)であるが、何度走っても、きついレース。

目標は4時間だったけど、結局4時間32分。予定より30分以上遅い結果となった。
20km付近までは気持ちよく走れていたが、その後急激にスピードダウン。最後の10kmは本当に長かった。

課題は2つ。20km以上の長距離の走りこみと体重。次のマラソン(4月)までには、4-5kg落として65kg台で走りたい。

◆さて、ランニングのメディテーション効果についてであるが、
なかなか、解決策の見当たらない仕事や課題にぶち当たっている時、
ランニングをしている時に解決策や、行動の方向性がよく頭に浮かんでくる。

「ランニングしている時、何考えてるんですか」よく聞かれる質問であるが、
基本、ほとんど何も考えていない。

レースのときはタイムだけ、練習のときには、何も考えていないような気がするが、
悩んでいる時は、自然と、その悩みごとが頭の中に浮かんでくる。
そうすると不意に「こうしたら・・・・」と解決策が浮かんでくる。

いつも、ランニングの前は、時間(ここではランニングに使える時間)を考えて、コースを選ぶが、
10km以上のコースを選ぶときは、それなりに、時間があるときで、

走るときには、ランニングに専念する時間。
なので、少し解放感のある時間なのかもしれないが、その解放感からは、
頭の中が「かなり澄み切った」状態になる。

いつもではないが、いわゆる「ランナーズハイ」かもしれないが、走りながら「気持ちいい」と感じるときに良いアイデアが浮かぶ。
おそらく、ランナーズハイ→メディテーション(瞑想)のような感じで、
一休さんではないが、ここでよいアイデアが浮かんでいるような気がする。

時期はというと、やはり一番気持ちがよいのは”春~夏”。
私の週末のランニングコース山沿い。
季節が少し暖かくなってくると、多くの小鳥たちも活動を始める。

山沿いへ、ランニングで入っていくと、シジュウカラ、鶯、メジロ、ホホジロといったことりたちが迎えてくれる。
特に朝、明け方が一番いい。

こういう条件がそろうと、ランナーズハイになりやすく。本当に走っていて、気持ちの良い時間になる。
ここが無意識にメディテーションに入っているような気のしているところである。

なので、悩んでいる時は「走ると解決策が出てくる」これは、私なりの解決法。
といっても意識すると、できないので、いつもいつもランニングをやっていることが基本。
解決策を出したいときだけ走っても、練習不足できついだけ。

きちんと走る体が出ていれば、メディテーション効果も自然と出てくる。

これから少し寒い時期を経て、春になる。
もう少し、走りこんで、体重も減らし、メディテーションで自分の夢が浮かんでくることを期待したい。

以上。

私にとってのマラソン (シリーズ No.8)

今日、午前中に都城から鳥栖に移動して、午後から仕事に入ろうと仕事場のデスクについたものの、なかなか、そのモードにならない。

そして、過食、過カロリーの正月を超えて、少し増えた体重を気にしながら、軽くランニング。
と思って、外を見ると雪。今は少しやんだが、走ろうとするときに雪、雨を見ると、そのままトーンダウンで、ランニング中止?となった。

とはいえ、今週末、1月の8日には指宿菜の花マラソンを走る予定である。
これで通算で9回目のフルマラソンになるが、体重は70kg(慎重172cm)を少し切るくらいになってしまっているので、ランナーとしては非常に重い体である。

しかし、昨年1年間で1880km、12月は21kmほど走っていることと、11月には、金峰三山山岳マラソン(42km)を完走できているので、なんとか走れるだろうとは思っている。

今年の目標は、6月の阿蘇カルデラウルトラマラソン。
初めてのウルトラマラソンであるが、さすがに100km走るとなると、それなりの覚悟と準備がいる。
それが理由で、「ウルトラ走る前に3本以上はマラソン走っておこう」という思いで、時期的に暴飲暴食後のレースになる指宿菜の花マラソンにも、いつもは避けているレースではなるが、エントリーした。

100kmを走るため、このレースのほかに、もう1本。フルマラソン(霞ヶ浦マラソン)を予定している。
なぜ、そこまでするか。そこのところを考察してみたい。理由は4つほどあるように思う。

一つは、趣味的な意味もある。しかし「走るのが好き」とまでは言えない。あくまで、「健康維持を目的としていること」と、「習慣になっている」としか言いようがない。「走るのが好き」と言えない以上、なんとなく趣味とは言えない。

私の場合、野球は楽しいので趣味といえるが、一人でできないので、できるときに機会がなかなか合わず、野球も趣味をやっているとまでは言い切れない。

2つめは「健康維持」を目的としているところは否めない。
走っているおかげで、からだを若く保つ、動ける体を保つ、風を引かない、体調を崩すことがない、なのでめげない精神力も付いているように感じる。

この感覚を味わっているので、「やめられない」「走らないと不安になる」こんな感じである。

3つ目は「習慣」になっているということ。
健康維持が目的であるが、習慣。とくに「走る」という良い「習慣」を身につけられていることが大きい。
なんでも、いつもやっている、年中やっているのであれば、「がんばっている」というよりは「習慣になっている」ということ。
これができると、強い。本当に強くなれる。

がんばることはそんなに続かないが、習慣になってしまうと、「がんばろう」という心への負荷もなくなってしまう。
これを体感できているのが私にとってはランニングである。

外に、英語を上達させるために聞いていた「ラジオ英会話を毎日聞くこと」と中小企業診断士の試験を受験していたころの「勉強癖(くせ)」なども、ランニングと同じく習慣化できたアクションである。

上記の2つは、多少「がんばっている」感はあったかもしれないが、成功したのは、成功までこぎつけられたのは、はやり「習慣化」できたことだとおもう。

この「習慣化」。恐ろしいもので、本当に、「きつい」、「たいへん」、「がんばる」などの接頭語が、習慣になると、本人にとって「自然」であり、何の心の負荷もかからなくなる。

人に対する挨拶・礼儀にしても、たまにしかやらないと負担になるが、いつもやっていると、自然に言葉が出てくる。
心にまったく負荷がかからなくなる。自分自身にとっても社会にとっても本当に良い状態を作り出している。
それが、「習慣化」することの、真髄的なところと思う。

そして、最後の一つが「今でも挑戦できること」。
これに、走ることの「価値」を感じている。

最近はなかなか、自己ベストは出なくなってきたが、10km・ハーフ、フルでは44歳くらいまでは自己ベストがでていた。
距離が長くなるほど、年をとっても自己ベストが出やすくなる感じであるが、いくつになっても、自己ベストが狙える・挑戦できることに、興味があり、走ることの「価値」を感じている。

これが、主な4つの理由になるしれないが、ランニングを始めたころを考えると、もうひとつある。(5つ目)
(とりとめが亡くなったかもしれないけど、失礼して書いておきます)

私が30代半ばのころ、野球が本当に下手になってきたのを感じて、体を絞る目的で、ランニングを開始した。
最初は、1kmもろくに続けて走れなかった。体も本当に重かった。(体重は今のほうが重いかもしれない)

しかし、週1回のペースで、短い距離からランニングを始め、そして5kmぐらいに挑戦。
これを、走ったり、歩いたりしながら、とりあえず5kmのコースを回っていた。これもおおむね週1回。

そして、これを週2回に増やし、そしてランニングを初めて3年目ぐらいに、10kmぐらいのコースをラン。
これも、走ったり歩いたりしながらではあったが、2-3回目には完走できるようになった。

おそらく、このころが36歳ごろ。
そして「一大決意」フルマラソンに出てみよう。
もともと「フルマラソン」なんぞ、ランニングを始めた後も、「ほとんど無理」と思い続けていたので、自分自身では考えもしなかったが、
家内が家の外で、「マラソン走るみたいよ」などと言っていたらしく、自分にも、そのような質問が来るようになり、

ついに血迷ったように、
1999年、36歳の誕生日(5月27日)に、タバコを捨て、12月15日?の青島太平洋マラソンにエントリー。

これから、マラソンとの恐怖感と闘いながら、練習のペースアップ。
夏を過ぎるころからは、ほぼ、毎日走るようになり、走る距離も、21kmぐらいのコースもときどき走るようになった。

そして、12月、宮崎・青島にて初マラソン、初レースに参加。
ピストルの音を聞くまでは、本当に異次元にいるような気持ちだったことを覚えている。

そして、レースが始まり、25kmぐらいまでは、意外と楽に、揚々と走れていたが、
なぜかそのあと、急に、周りの人たちについていけなくなり、ずるずるとスピードダウン、どんどん抜かれて、おじちゃんにもおばちゃんにも抜かれるようなペースまでスピードが落ちた。

それから、30kmの看板を見たころから「地獄」
こんなきつい思いは、生まれて初めて。
「早く終われ」、「早く終われ」と心の中で叫んでも、そこから1kmづつ出てくる看板。
「あと12km」「あと11km」「あと10km」どんだけ長かったことか。

そして、その後1kmづつ看板は続いてでてくるが、1kmの永いこと永いこと。
いつまで達とも、次の看板が来ない。

人にも、どんどん抜かれる。
抜かれたことしか覚えていないが、本当に、そこから人を追い越した記憶はない。

「こんなきついレース誰が走るか」、「これで最初で最後のレース」「もう2度と走らない」と本気で思って走っていた。

そして、ついに完走。タイムは4時間8分。
目標タイムは「4時間を切ること」だったが、折り返し地点では1時間45分?くらいだったので、そこから、
5分/kmのスピードが7分/kmかそれ以上に遅いペースに最後はなってしまった結果である。

「悔しい」この気持ちが、本当に強かった。
走り終わって、たまたま、テレビのインタビューがあったが、その時はつい「また走ります」といっていた。
「悔しい」は、時間がたつにつれて、強くなり、だんだん、また走りたくなってきた。

そして、練習を再開し、次の年から、10km、ハーフ、フルマラソン、季節中はレースにでるようになった。

初マラソンを走っている間(特に終わりのころ)から、走り終わって頭に浮かんでくる言葉が、まったく違う。
頭の中で「悪魔」と「天使」が、それぞれ私に助言しているような感じ。

「自分の置かれている環境、体調で、気持ちの持ち方が変わる」これにきずいた瞬間をもたらしてくれた。
それがマラソンである。

この時の感動が、今でも走っていることの一番の大きな理由かもしれない。

その後のレースは自己ベストを目指すのみで、その時の感動はなくなってしまったが、
自分自身の限界付近を体感することで、新たなきずき、感動があるのでは、、、それを期待して、100kmに挑戦してみようと思っている。

長くなってしまったが、私にとってもマラソンは、「挑戦する機会を与えてくれる」「きずきを与えてくれる」もの。
そう思っている。
そして、ひょっとすると 「inspire the next」 どこかで聞いたフレーズだが、「私にとってもマラソン」はこれかもしれない。

以上・

ps:マラソンのメディテーション効果・・・。これについては、またそのうちにお話ししようかな。(閑話休題で)