障害者就労・雇用の新しいモデル

田舎型、地方型の障害者雇用・就労のモデルが、佐賀から始まります。
都会では、障害者雇用の受け皿として、ビルの清掃・メンテナンス事業での(障害者)雇用がすすんでいますが、このモデルは、その田舎番。

佐賀県相知町蕨野の棚田が、障害者施設の活躍で再生(復活)しました。
佐賀県唐津市厳木町にあるカーマンという障害者就労支援施設では、過疎と高齢化に苦しむ中山間地農家を支援し、地域での各種農産活動の支援を行っています。

農家の労働力の担い手として、障害者の活躍の場が作られています。

以下、その事例の紹介

◆唐津市相知町の棚田を再生した事例
あたりまえプロジェクトのブログ ↓
http://atarimae.jp/blog/002/2013/06/post-1177.html

相知町の蕨野(わらびの)という典型的な中山間地があり、ここの棚田は有名になってきておりますが、
ここもご多分にもれず、典型的な過疎の地域で、主な産業が農業であるにも関わらず、高齢化と人手不足のとなっています。

棚田については「NPO法人蕨野の棚田を守ろう会」が結成され、棚田の保全を行ってきたところのようですが、ここも人手不足で、棚田の景観の維持が非常に難しくなってきたところで、

その作業を、障害者授産施設であるカーマン(合同会社トランスノア)に委託し、相知町蕨野の棚田の再生が図られました。

ブログ(リンク先)は、荒れた棚田の整備をその作業所が行っているもので、草刈り、野焼き、最後の写真は、田植え前だと思いますが、(春)蕎麦が植えてある写真です。

http://atarimae.jp/blog/002/2013/06/post-1177.html

◆もうひとつ、皆さんにお知らせしたい理由は、
田舎の障害者授産施設の作業モデルとして、ある程度確立したモデルになっているためです。

都会では、ビルの清掃関係の障害者の作業モデルができており、多くの障害者がビルの清掃などの仕事に携わっています。しかし、田舎に行けば、ビルの清掃関連の業務は障害者に適した仕事であるとは言え、仕事そのものがありません。

このカーマンという作業所が行っている事業モデルは、
過疎化の進む中山間地で、農業の担い手がいなくなっていく中、後継者のいない農家、人手の足りない農家のお手伝いをその作業の中心としています。

現在は、このモデルの仕事として、上記の棚田の管理の他、原木椎茸の栽培、梨園、スダチ園等の管理運営も請け負っており、地元の農業を支える力となっています。

◆地方での農業の担い手としての福祉作業所の役割も注目され、奨励されてきているところではあるが、
直接、自分たちが農地を取得し、農業を行っていくのではなく、地域とのかかわりを持ちながら、また、地主さんから土地や権利を取得することなく、地域の農業を支えていくモデルがここにあります。

大規模な障害者施設では、広大な農地を取得し、農業、食品加工を行うところも多いのも事実ですが、
ここでは、自分たちで、資産を持つことなく、(身軽に)農業を担っていくモデルになっています。

◆福祉の方だけでなく、地方で過疎に困っている中山間地や行政の方たちにも是非関心を持っていただきたいモデルです。全国的にも発信したい、知っていただきたい、障害者の授産のモデルだと思い、紹介した次第です。

作業所名:カーマン (法人名:合同会社トランス-ノア)
施設長:河野 博 (携帯:090-2431-1466)

一週間がたちましたが、やはり、まだまだ”悔しい”気持ち。

悪夢の、というか、神様のいたずらにあってから、ちょうど一週間。
一週間前の午前2時半。Facebookでいまから走るぞーと100kmまらそんへの意気込みを投稿した直後、暗闇の中、トイレに向かう途中、アクシデント発生。

車を止めて寝ていた駐車場から、トイレに向かう途中、歩道と道路のあいだにはめてある支柱(車侵入防止用)に、歩きながら左ひざを強打。そのはずみで、こけかけて右足で踏ん張り、右の臀部(お尻)に激痛。・・・あぁーやっちまった。 かるい肉離れのよう。

それでも、なんとか足は動いたので、走ってしまえば、痛くならないこと、痛みが消えることを祈りながら、午前5時にスタート。しかし、痛みを感じながらの100kmマラソンのスタート。

それでも、10時間この痛みを我慢したる・・・と走り出し、同じような痛みの加減で20kmすぎまで、そのあと、2kmのあいだに約400m登る急な上り坂をなんとか快調に通り抜け、そのあとの急な下り坂で、再び痛みが悪化。

走り方をいろいろ工夫しながら、いたみ回避の走り方を考えながら走ったけど、痛みは軽くならず、40km手前(37.5km付近?)のエイドステーション手前で、足が痛みで右足が動かなくなり、ついにギブアップ。

あんなに練習したのに、なぜ・・ ほんとうに悔しい思いを久しぶりにしました。
それから2-3日、いや、今まで、この悔しい気持ちはまだ晴れません。

フルマラソン以上15回目で、初の途中リタイヤ。棄権。
何度思い返しても、悔しい。悔しい。悔しい。うーん悔しい。

マラソンの次の日、車で、いつも走って通り、大会前は1週間毎日お参りした大山祇神社(おおやまつみ神社)に改めてお参り。

なぜ、・・・と神様に問いつめようと思ったけど、
この悔しさも、この歳(50)になってなかなか味わえない心境。

これを味わわせてくれたことに感謝することにしました。・・・いや、感謝してます。
おかげで、次の目標ができたので、更に一歩さき、一段上の鉄人を目指せそうな気がしてきました。

お尻の痛みが、早く治りますように、そして、抽選の”四万十川ウルトラマラソン”当選しますように。

そこで、またひとつの壁を乗り越えた私をめざして頑張りたいと思います。

”絶対にめげない” これが私の信条。

振り上げてしまった”こぶし”

私のことではないが、最近、私のまわりで”振り上げてしまったこぶし”で自分の行き場を失ってしまった人がいる。

実際、本当に行き場がないわけではないとおもうが、本人は、いろいろタラ・レバを考えてしまっているだろう。

私も経験はある。誰にもおかれ少なかれ経験はあると思う。

しかし、大人になって、仕事や自分自身の生き方が絡んでくると、悩みは深くなってしまう。

自分自身で、間違ったと思ったら・・”へへへ”っと笑い。
「もとの巣に戻る勇気」があれば、まったく問題ない。
もしくは、
しっかり気持ちを切り替えて、「このまま行くんだ」という気持ちを強く持てれば、
これも、まったく問題ないが、意外とこれができない。

自分の夢をしっかりともっていれば、多少の苦労は我慢できるだろう。

しかし、私の知るその人たちは、
「振り上げてしまったこぶし」の具体的な行き場を見極められていない。

いろいろ助言しようとしても、
男と女、先輩と後輩、同僚、付き合いがそこまで深くない、などなど、
いろいろな障壁もあって、なかなか、それらの助言も聞けない状況のよう。

こういうとき、
私に何ができるんだろう・・・と思う。

一つは、見守ること。
嫌がられるかもしれないけど、ちょっとしたふれあいを持ちながら、見守る。
これが最も大事なことで、これで、彼らの信頼できる人にすこしでも近づけるようする。

本当にできるかどうか、うまくいくかどうか分からないが、
こうすることで、最後のラインは確保できると思う。

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ここまで書いて、見守りができなくて・・・死んでしまった友人を思い出してしまった。うううううう
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そして、自分自身で冷静になって考える時間を与える。
そこで、少しでも気付きを与えられるようなメッセージを出し続けなくてはならない。

自分自身の無力さを感じることもあるが、
小さな、おおきなお世話を繰り返すことしかないかな。

そして、考えてほしい、
自分の両親のこと、友人のこと、好きな人のこと、応援したい人たちのこと、
そこで、自分にできること、やるべきことを見つけてほしい。

どうしたら、この人たちの笑顔をみることができるのか、、を考えてほしい。

私も、ここで書いた友人たちをそういう気持ちで見守っていきたい。

気持ちの良い朝です

朝5時。強い日差しが、雲の隙間から入ってきました。

5月はこの時間、ランニング開始の時間。
外をみると雨も上がり、本当に気持ちよさそうで、走りたくなりました。

しかし、一昨日のマラソン前の残念な負傷。完治には少し時間がかかりそう。

歳をとってきて、怪我が多くなってきた。
今年もこれで2回目であるが、(両方とも場所は違うが肉離れ)筋肉が硬くなってきているのだろう。

しかし、まだまだ負けたくないので、
怪我が完治したあと、また、体作りをしたいと思います。

次の目標は昨日も書いた四万十川ウルトラマラソン。
そのほかにも、エントリーできそうなマラソンがあったら、エントリーしたい。

気持ちを切らさずに、最高レベルの体作りをしたい。

カルデラマラソン、途中棄権 あー悔しい。

昨日の100kmマラソン 完走できませんでした。
フルマラソン以上 15回目にして初の途中棄権。あー悔しい。

試合直前、神様のいたづらに会って、
駐車場からトイレに向かう途中、暗い中、膝の高さくらいの主柱に左足を強打。
それで、バランスを崩し、コケなかったんだけど、右足で踏ん張って、右の臀部に痛み。(軽い いつもの肉離れか?)

10時間痛みを我慢するつもりで走り出したけど、40km手前で、ついに右足が痛みで動かなくなり、
タイムも予定よりだいぶ遅れてしまったこともあり、ついに気持ちが切れてしまい、棄権。

昨年は、今年ほどの練習はしてなかったけど、
55kmすぎと92kmすぎで、神様が現れました。
(きたきたきた・・神様が自分のからだにのりうつる感じで、体が急にかるーくなったんだけど)

今年は、山の神様(大山祇神社)にランニング途中、毎回お参りしてたんだけどなぁ~。
日ごろの行いが悪いのか・・・なんて、真剣に思ってしまいました。

しかし、こんなに悔しい思いも久しぶり。

次は10月の四万十川(100kmウルトラマラソン)。
改めて、かっこいい50歳を目指して、再挑戦します。
抽選だけど、当たりますように。

走行距離 505km

自分でもたまげるほどの走行距離になりました。

100kmマラソンを前に、走りこまなきゃと思い。
5月の走行距離の目標を400kmにおき、練習をした。

4月の走行距離は、さくらマラソンのあと、膝の痛みもありしばらく休んだが、
後半走れて、267kmが月間の走行距離だった。

5/1は、4/29からの出張でインディアナポリス。
ここで、ランニングコースを見つけ、16-7km/日ほど、出張期間中走ることができた。

このあと、日本に帰り、出張もあり、調整に苦慮したが、
それでも、一日に1時間30分以上のランニング時間を確保し、14-16kmを毎日走った。

そして、16日ごろには走行距離が200kmに達し、
走れるときには、一日に2回、朝、夕走るようになった。
これで、一日の走行距離が、27.1km、朝20km走ると、32.5kmを一日に走るようになった。

最終的に、29日間のうち、3日間ランニングを休み、そのほか1日は、風邪で5kmをやっと。
そして、20km以上を走ったのが11日。
そのうち、27.1kmが3回、32.5kmが2回、30.5kmが1回、20kmが5回で、後半かなり追い込んだ。

特に20日以降、毎日朝5時にスタートし、山をのぼる20kmのコースをほぼ毎日走れたのは、我ながらよかったと思う。

コースも、かなりのアップダウンで、阿蘇カルデラスーパーマラソンにはうってつけのコースだったように思う。

いやー、こんなに練習したのは初めてで、
「ちゃんと仕事してたの」なんて言われそうですが、

おかげで、体は絞れたし、マラソンの体としても、今までで一番の仕上がりと思う。
個人的にはもう少し欲があって、もう一段の高みも見えそうなところまで来ていいる。

みたい気がするけど、それは、つぎにとっといて、
いざ、カルデラへ、

マラソンという競技は、練習量に本当に正直にタイムが出る競技なので、
今度の結果が本当に楽しみです。

さて、アスリートと呼ばれるようなタイムが出せるかどうか。

目標は10時間30分。
朝5時にスタートし、3:30分ごろ、内牧の阿蘇市総合センターにゴールできればと考えている。
せめて、10時間台(午後4時まで)ではなんとか。

こんど、42.195km をどんな感覚で通り過ぎることができるのか、も改めて楽しみ。

42.195kmを3時間台、
50kmを4時間台で走りぬけることができれば、上記の記録も見えてくる。

間違いなく、楽なレースでもないのに、本当に楽しみになってきた。
頑張ります。

http://www.e-marathon.jp/asocaldera/index.php?menuindex=6

 

50になりました。

昨日、誕生日を迎え50歳になりました。
Facebookではたくさんのおめでとうメッセージ。
本当にありがたいと思います。感謝、感謝。

50歳。
私は常々100歳まで生きることを表明していますが、
ちょうど、昨日が折り返し地点。

マラソンだと、ぶりっと、気合が入って、改めてエンジンをかけ、
しばらく行くと、失速していきます。

しかし、この50歳は、マラソンの折り返しとも似ているけど、
備えながら、すすむ時間がある。

そのまま進んでしまうと、きっといつものマラソンになってしまうが、
将来、次を予測して、備えることができれば、失速のスピードも遅くなる。

これからの人生、しっかり準備しながら、どこまでもどこまでも走り続けたい。
そして、うちの息子よりも長生きして、少しでも多くの人に貢献できるように頑張りたい。

そして、あいつは本当にいい男だった。・・・と死ぬときには言われたい。

次の50年。きっと目を見開いて、将来をしっかり凝視して、準備して、負けない人生を過ごしたい。

着々と準備はすすんでいます。

4月7日のさくらマラソンの後、完全にスイッチの入った6月1日の阿蘇カルデラスーパーマラソンに向けて、順調に調整が進んでいます。

5月は今日25日の時点で、走行距離422km。
月間としては今までの最高距離。
このまま29日までは練習する予定なので、500kmまで到達するかもしれない。

一日20km以上走る日も、今日で6日目。
6日間で152.1kmのランニング。

おかげで、この6日間で体も一気に絞られてきている。
今朝の走った後の体重 63.8kg(そのあと、水分補給、食事でおそらく65kgにはなっていると思うが)
今年1月末の時点からすると、約6kgの減量に成功。

今回、食事減量をほとんどやっていないので、
単純に運動で体重を減らすことに成功している。

体脂肪率も今朝は10.8
これも過去最高。

あと2日で50歳。
50歳のアスリート。
60歳でも、70歳でも、80歳でもアスリートでいたい。

自分で負荷をかけてきつい練習しているけど、目標があるとこれも心地よい。

今からの50年間。かっこよく生きて見せたい。

PACJの平成25年3月期を振り返って

昨季は、ほぼ個人事業として独立して平成21年4月に事業を開始して、4回目の決算。
正確な数字はまだ出すことができないが、PACJの売上高は約1400-1500万円ほど、一人でやっている事業所としては、まずまずの数字と思います。

内訳は、当社でやっている3事業(経営コンサル、QAコンサル、翻訳)のうち
中小企業診断士の事業で約900万円~1000万円、その他がQAコンサルティング業務で、
仕事としては、他の社会的な役割の仕事も多いので、上記の売り上げでもスーパーマン的に働かなければならないような状況である。

今後は、製薬会社(海外ベンチャー)のQAコンサル業務が増えてくるものと考えている。
中小企業診断士としての経営コンサルタントのニーズも増えてきているのが現状であるが、現状はこれ以上増やせない。

課題はもっと組織的に動けるような体制を作ることだと考えている。
翻訳事業およびその他の新規事業で会社として動けるような体制構築をしたい。

・事業計画を練る。(翻訳事業等のマーケティングを中心に)
・外に事務所を作る。(現在は自宅事務所)

こうすれば、もっと会社らしくなり、もうひとつ次のステップへの足がかりともなる。
今季は、またこうして、具体的な事業計画を立て、一歩先へ進んでいきたい。