今年を振り返って 仕事・・・自分の事業について

続けて書くことにしました。

2009年4月に独立し、ホームページを作成。
同時に、事業として、
中小企業診断士としての経営コンサルタント業、
GxP QAコンサルタント事業
翻訳事業

の3本を事業の柱として、やってきました。

そして、昨年10月から、弥生が丘の中に事務所を開所し、従業員も雇いました。
私の事業の理念、将来の目標に、障害者雇用1万人の企業を作る。というのがありますが、
私の最初の障害者雇用の第1号として、最初に精神に障害をもった人を雇いました。

不安なスタートでしたが、途中まではなんとか続きそうな気がしていましたが、3ヶ月後、
突然、やっぱり無理です。やめます。と、電話で連絡があり、最初の障害者雇用は失敗に終わりました。

仕事の内容が知的労働が多く、考えることを求めているので、自分で決めて行動することのできない、障害を持った人(精神障害、アスペルガー症候群等)には、難しい仕事でした。

将来、そういう人を雇える事業をはじめることは、別で考えるとして、そこからは、
自分の事業をどうやって伸ばせるか。。。考えることにして、英語力を強みに事業を組み立てていくことにしました。

GxP QAの事業を伸ばしていこう。
そう考えて雇った2人は、英語ができるので、薬業を中心に私の仕事の内容を英訳する練習をしてもらっています。
その他、行政文書の和訳、私からのときどきのアドバイスも含めながら自主的に勉強会もやってもらっています。

そんななか、少しづつ、この事業も軌道に乗り出し、私自身も市場をつかめそうな気がしてきました。
(市場が見えた感じ)
診断士としての目が効いている気がしますが、年明けから、東京で臨床試験の監査担当者を雇うことにしました。
そして、まだ、なかなか進みませんが、資金繰りをなんとかして、事務所とあと2人ほど、監査担当者を雇いたいと考えています。

始めるからには、ここからはスピードが必要になりそうなので、来年の前半は、ほんとに忙しくなりそうです。
その間、お金も稼いでいかないといけないので、仕事自体も忙しくなることが予想されます。

どんな風に忙しいのか、想像に難くないですが、ワクワクもしています。
資金繰り、人の確保、事務所開設、営業、ほんとに忙しくなりそうです。

東京事務所では主に、GCP監査の事業を考えて展開を進めていきますが、
そのあとGMP監査、そして、
国際薬事能力で、技術コンサルティングもやっていく予定です。

診断士の事業では、
Disttyさんからのビジネスマッチングを支援するLinkers という事業の九州地区統括コーディネータをさせていただくことになりましたので、診断士ということではないかもしれませんが、診断士で構築した能力とネットワークを駆使して、この事業の拡大を図っていきたいと思っています。

おそらく、この仕事そのものは、Distty さんの事業ですが、わたしもこの仕事にかかわらせていただくことで、何か新しい発見が出てきそうな気がしています。それが楽しみで、私自身の新しい事業に繋げていくことができれば。。。なんて、甘くはないと思いますが考えています。

翻訳事業については、
今のところあまり受注はありません。もっと積極的にとは考えていますが、単なる翻訳ではなくて、訳したものを売る仕事を考えたいと思っています。どの分野、どんな翻訳になるかは、まだ、今からの検討になりますが、少しづつでも進めたいと思っています。

ほとんど振り返りにはならなかったかな。
これからのことに終始してしまった感じですね。

あまり後ろを振り返らない性格なので、しょうがないのかな。

来年1年も突っ走りたいと思います。
特にGxP QA事業。拡大します。内容は、順次報告していきます。

よいお年をお迎えください。

今年を振り返って 事業以外の仕事について

先ほど、ランニングについての今年の振り返りを書かせてもらいましたが、
次は、事業以外の仕事について、書いてみます。

仕事(本業は)は、本業でこの次に振り返りを書いてみます。

事業以外の仕事とは?
境目が難しいところもありますが、私の負っている主な役割としては、

1.鳥栖市弥生が丘南区 区長
2.鳥栖市手をつなぐ育成会会長
3.佐賀県手をつなぐ育成会副会長
4.(一社)佐賀県中小企業診断協会 専務理事
5.Toastmasters (Club District 76 Division F) Area 63 Area Governer
6.その他・・・もろもろ。

など、いろいろありますが、仕事をしながら悩みまくった一年でした。
もともと、こんなに引き受けなきゃいいのに。。。と言われそうですが、
引き受けてしまったので仕方ないので、なんとか続けてきています。

仕事もほんとに忙しいのに・・・って。
この仕事も本業も、ここだけは忙しいことを口にしますが、
普段は、”忙しい”ことを理由とした、逃げ口上は禁句。
個人事業者としては、行ってはいけない言葉と思っています。

なので、普段はできるだけ平常を保ち・・しかし、内側は泣きそうなくらい、つらいことも。。

すべての仕事に、いろんな思いがあるので、それぞれ振り返ってみたいと思います。

1.鳥栖市弥生が丘南区 区長
鳥栖市の中に、行政区が70余り、その中でもう一人、若い人もいたような気がしますが、48歳の時に区長を引き受けてしまい、4年目になります。4年目で現在は51歳ですが、それでも、私の所属する田代区長会で14名の区長さんの私以外の平均年齢は70歳は超えると思います。その中での若手バリバリの区長です。(市内の他の区長さんでも、私より若い人?着たことがあるような気もしますが・・)

月1回の区長会、まりづくり推進協議会、町(弥生が丘南区)の班長会、そしてそれぞれの町内、地区内のイベントで拘束されることも多い。他の役での仕事や会議を入れると、休み(土日)と夜から予定が埋まる。

区長会、まち協関係の仕事は、区長会会議や文化祭、地区社会福祉協議会、交通対策協議会、体育協会、それから、区長さんだからということで、小中学校、幼稚園、保育園のイベントに呼ばれる。町の中に、できる大きな施設があると竣工式、起工式など、、呼ばれることも多い。それに、最近、選挙が続いてますが、投票所の立会の仕事も区長さんの仕事。

それに加え、町は町で、月1回の班長会、年2回の一斉清掃、お祭りのお手伝い、運動会、子供たちの見守り、子供クラブのイベント(夏休みキャンプ、餅つきなど)、65歳以上の集まりのふれあいいきいきサロンのイベント・活動への参加。年1回の敬老会。。などなど。

このほかにも、町の苦情をくことも仕事。その中で町としてできることがあれば、そのまま私の仕事になってきます。

この仕事だけでも、全部出ていれば、普通の仕事になるくらい。やることはたくさんあります。
一生懸命やっているつもりではあるけど、イベントへの欠席は多くなります。

仕事もあるし、他の所属団体のイベントも。

そんな中でも、やって観たいことがあったかた引き受けたこの仕事。
障害者福祉に繋がることは???、区長でなにが分かるんだろう、何ができるんだろう。。。と。

しかし、こうすれば。。といろいろ思いつくことはありますが、行動が間に合わない。ついていっていない。

それでも、私の「会議をまとめていく力」と「敵を作らないお人好し」の能力は、役に立っているかな?と
区長会や班長会、その他の会議体、町のなかでもいざこざ。。が起こると役に立ったと思うこともあります。

きつかった話ばかりですが、
よく動いてくれる、区長代理と会計さん、がいてほんとに助かっています。
私が普通に仕事をしていることも承知の上での 今の”役”ですので、周りの方も一応はわかてくれれいます。

しかし、出張も多くなってきた本業もあるので、適任でないことを痛感することも多くなりました。

来年、田代地区から弥生が丘地区が分離独立して、新しい地区ができます。
そのなかで、私は今のところ、区長会副会長と地区社会福祉協議会の会長職が予定されています。

状況が状況だけに、十分にこなしていける自信はありませんが、スムーズな地区の立ち上げは、今のこの仕事の大事な仕事の一つです。
それに、地区の避難所、公民館の確保、蛍を育む活動については、もう少し道筋をつけておきたいと思っています。

今季で職を辞したいところではありますが、なかなか、そうはいかない。
もう一年、なんとか踏ん張って、次の方に引き継げればと考えています。

いろんな人とお付き合いする機会があり、ネットワーク、町の歴史、子供たちのこと、自分自身は成長させてもらっています。
この職をさせていただいて感謝の気持ちもありますが、ぎりぎりの状態です。なんとか、次に引き受けてくれる人も探さなくては。

2.鳥栖市手をつなぐ育成会会長
こっちの仕事は、今年で6年目です。
若いお母さんたちがなかなか会員になってもらえず、会の高齢化は大きな問題です。
当然、役員の方たちも、私より年上。かなり。

若いからという理由で、いろんな仕事が回ってきます。
私パソコンできないから。。。あれできない。これできない、といわれる中での会長職になっています。

この会は、歴史も古く、県の手をつなぐ育成会に先駆けてできた、佐賀の中では最も古い、知的障害者の親の会。
そのなかでの会長職は、行政や学校関係者からの注目度は高く、障害者福祉を考える団体としては責任も重い団体です。

こういう団体だから、いろいろな場面で、会長としてのの発言力もあり、おもしろい面もあります。

今年一年を振り返ると、会議体では役に立ったような気もしますが、会そのものの運営は50-60点。
月1回の役員会をなんとか回し、イベントの道筋をつける。
もっと、時間を使えれば・・と思うけど、時間がなく、気力も充実させることのできないことも多くなってきています。

この職もそろそろ、引き継ぎたいと考えているところですが、
そのためにも、新しい会員の勧誘、会としての新しい活動をなんとか展開しなくてなならないと思っています。

会としてのアンケート調査活動、法人成年後見制度、障害者差別解消法の施行に向けた活動など、考える方向性はいくつかありますが、さて、どうなるでしょう。私自身もよくわからない。時間があれば、できることはたくさんあるのですが。。。

3.佐賀県手をつなぐ育成会副会長
先日、会長交代がありましたが、なんとか会長職からは逃れました。が率直な印象。
私の地区(三神地区(神埼、吉野ヶ里、みやき町、基山町、鳥栖市など)からは会長を期待される声もありましたが、
目の前を通過する会長へのあて職に関する情報の量を見て、とても引き受けられるものではないことは分かるので、初めて”だんまり”をやり、競技の結果、長引きましたが順当に年長の副会長M岡さんが、会長職を引き受けてくれました。

とはいえ、副会長職はしばらくやめられそうもなく、いろんなイベントのリーダーを引き受けることになりそうです。
ひとつは、3月8日に計画している”ふれあいコンサート”。今のところ、事務局をやきもきさせながら、なんとか、順調に準備は進んでいますが、少しの作業がなかなかできない状況になってきています。

佐賀県の手をいつなぐ育成会の副会長、鳥栖市の会長ということで、三神地区の支部長職のような職もあります。
障害者自立支援協議会でも、分科会の会長等、”役”を引き受けることにもなっています。

鳥栖市だけでなく、三神地区、鳥栖・三養基地区でも、いろんなイベントが計画されます。
なんとか、会議の場では、処理できてはいますが、これもつらい。

ときどき、逃げ出したくもなりますが、私の存在意義、私の独立した契機にもなった活動ですので、なんとか貢献はしたいと思っています。つらいけど、頑張るしかないですね。

4.(一社)佐賀県中小企業診断協会 専務理事
私が独立して以来、もっともお世話になっている団体です。
中小企業診断士として、仕事ができるようになったのも、この団体や現会長のI藤さんには本当にお世話になっています。
そのなかで、I藤さんと一緒になって、盛り上げてきた佐賀の協会ですが、私たちの活動が、県外の協会にも影響を与えているようです。

この協会は士業ではありますが、個人差が大きく、中小企業診断士という資格をもっているからという理由だけでは、うまくいかず、
安易に診断士の先生を派遣すると、お客さんからの不満も多い士業です。

そんななか、診断士の教育、どうやって教育したら。。と各県協会から案が出されていた中、
仕事でしょう、仕事をさせながら育てていくしかないという考えで、受託事業を増やしている佐賀県協会の活動を紹介すると、各県とも、少なくとも九州各県の協会が、その考え方についづいしてきており、

九州沖縄ブロックの会合があるたびに、各県協会からの新しい受託事業や自主事業の報告が始まるようになりました。
最近では、九州だけでなく、九州外の協会からも注目されるようになってきています。

佐賀県協会も、今年度は約8000万円の売り上げを予定しています。
その中でフリーの診断士が私を含め10名あまり。皆さん忙しい毎日になっています。

最近は、事業の企画書を書く係が他の方に移ったので、以前ほど、直接的に協会の仕事をすることはなくなりましたが、それでも、お世話する仕事はたくさんあります。

また、この役職をしているから、できるネットワークもあり、得と考えられることもたくさんあります。
自分自身の成長に繋がる活動の一つであり、積極的とまではいけませんが、これもできる限り貢献できるよう尽力していきたいと思っています。

5.Toastmasters (Club District 76 Division F) Area 63 Area Governer
あまりできていないな。。。が率直な感想。
7月から引き受けている役職ですが、当初から(時間がないから)「無理でしょう」と思っていて、最初のうちは時間を見つけては、仕事をしていた部分もありますが、これも自己採点では50店前後かな。不合格です。

全国のArea Governoeが参加する、ECM会議は今まで3回行われていますが、一度も参加できていません。
第4回も2月に計画されていますが、???時間が。

それに、3月8日にはArea Speech Contestが計画されていますが、自分が責任者を務める佐賀県手をつなぐ育成会の”ふれあいコンサート”の日程と重なっていて、主催の長であるのに、参加できません。

Area内(福岡、大宰府、久留米、佐世保、長崎)のクラブを回る仕事も、なかなかできていません。今かで2か所。
各クラブ2回以上回ってください。ということですが、平日にミーティングされているところも多いので、完了はできそうにないです。
今年6月までの職ですが、どうなるか。

英語や女性の多いクラブでもあり、私に活力を与えてくれる活動の一つですので、できるだけ協力したい、自分にできることは貢献したいと思っているところですので、少しずつでも、協力できるように頑張るしかないかな。。などと考えながら、続けています。

クラブそのものの活動は好きだし、これも頑張るしかないですね。

6.その他・・・もろもろ。
鳥栖市民活動ネットワークの理事も務めていますが、今年は全く、さっぱり、活動に参加できていません。
鳥栖商工会議所の経営研究会の副会長 ・・・会議参加率、半分くらい。。かな。最近はあまり力になれていない感じです。

上記の他、あて職をいれるとまだほかにもありますが、
来年から、この後書く予定である、仕事もかなり忙しくなりそうなので、これらの仕事に使える可処分時間は、これからも少なくなってきます。来年1年、悩みは拡大しそうですが、怒られても、どうしても、乗り切っていくしかありません。

愚痴ばかりの書き込みになりましたが、これが私自身の一面です。
次は仕事について、元旦の書き込みになるかな。

以上です。

今年の振り返り まずはマラソンから

今朝のランニングで今月の走行距離が410km、一年の走行距離は4204kmになりました。
我ながらよく走りました。

◆私のランニング中はメディテーション(瞑想)の時間。
悩み事萬歳の毎日を過ごしていますが、この時間のおかげで次の一歩を決めることができます。

あとは、どうやって進むか、一歩一歩の進め方を考えるのみ。
うまくいかないときも多いのですが、この時間のおかげで、ダメなら次を考えることができます。
気持ちを前向きにしてくれる大切な時間です。

そして、いつも悩みごとの相談を聞いてくれた3つの神様。
大山祇神社の神様、河内ダムのお地蔵さん、そして朝日(天照大神様)。
今年一年ありがとうございました。

大山祇神社参り:109回
お地蔵さん参り:211回
(同じ河内ダムを登る私の練習コースで、お地蔵さんで折り返して12.5km、大山祇神社を折り返して約16kmのコースです)

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◆記録で振り返ってみたいと思います。
今年で一番良かったタイムは、各距離で、
10km 鳥栖ロードレース 記録:46分54秒 (自己ベスト44分43秒 at 2008年1月)
 ・・・なんとか46分台
ハーフ 横島町いちごマラソン 記録:1時間39分(自己ベスト1時間37分22秒 at2006年2月)
 ・・・超久しぶりに100分を切りました。
フルマラソン :青島太平洋マラソン 記録:3時間42分16秒(自己ベスト1時間42分12秒)
 ・・・練習内容も充実し、一皮むけた感じのするレースでした。
100km サロマ湖ウルトラマラソン 記録:11時間46分 (自己ベスト11時間26分)
 ・・・阿蘇カルデラも走りましたが、どちらも暑さと、ペース配分が未熟でした。
その他
70km  萩往還70km 記録:8時間35分
42km 金峰三山山岳マラソン 記録:5時間02分 (自己ベスト33分短縮)

◆昨年(2013年)は、怪我が多く、1月の左足、ふくらはぎとアキレス腱の間付近の軽い肉離れ?から始まり、 
阿蘇カルデラ出走直前の転倒、そして右臀部の肉離れ、35km付近途中棄権、
9月に1月の肉離れの再発、10日前になんとか痛みがとれ、四万十川ウルトラマラソンに出走。
途中棄権覚悟でスタートラインに立ち、走っている途中で発生した膝の痛みと格闘しながらの完走。
この時、人生のドラマを感じましたね。

この悔しさから、今年6月阿蘇カルデラとサロマの2つの100kmを走る計画を立て、
100km走っても壊れない体を目標に、300km/月をノルマに練習することを決意し、
予定通り、6月の100km 2本 を走り、体も壊さず、乗り切ることができました。

記録は、目標としていた10時間台、あわよくば10時間30分には遠く及ばず、サロマ湖で11時間46分、自己ベストから20分遅いタイムでのゴールとなりました。

練習してきた割には、どこか虚しい結果でした。 

そして、次のレースとして想定していた、四万十川ウルトラマラソンの抽選に落選し、
同じ日に行われる 出水ツルマラソン(42.195km)に出走。

今年の練習量と一つだけ、ニンジンを目の前にぶら下げ、3時間40分台を目指して走りだしましたが、
この日、暑さが厳しかった(最高気温32度)こともありますが、最初飛ばし過ぎで、後半の途中気持ちもキレてしまい、なんと4時間30分の大敗北。

昨年の阿蘇以来、ほんとに悔しい思いをしました。

ここから、気分が変わりました。
もう一度、ニンジンをぶら下げ直し、
次は「絶対に取りこぼししない/できない」と決意し、練習量を増やしました。
体重も減らす決意をしました。(減量開始)
長い距離の練習に加え、6kmの短い距離の練習もするようになりました。

そして臨んだ青島太平洋マラソン。
サプリには一切頼らないようにしよう。「素で勝負」を心に決め。
レーススタート。

前半、ペースのつかみ方が分からず、4分50-55秒/kmペースで走りだし、
どこかで5分ちょうどくらいに落とさなきゃと思いながら、30km付近まではそのペースが続き、
そのあと、(予想通り?)急に失速してしまい、結果は、自己ベストに4秒足りない3時間42分16秒。

とりこぼしちゃった。

30km付近で、これで休まず走れれば、自己ベスト、そして3時間30分台、間違いなしと思っちゃって、気が緩んでしまったようで、
失速が始まり、結局、自己ベスト付近の記録にとどまってしまいました。

この時、気持ちを切らさず、緩めず、あと5km走れていたら・・・は後の祭り。

しかし、終わってしばらくして、考えてみると、
10月の出水ツルマラソンの惨敗以後、ほんとによく頑張りました。
練習内容を変えたおかげで、記録もベストの時付近まで持ってくることができるようになりました。

「どうやって年齢に打ち勝っていくか?」
これが当面の課題ですが、糸口を見つけたような気がしています。

ニンジンと神様たちに感謝し、
来年は今年破れなかった記録を1つでも多く破り、
スパルタスロン、グレートレースに挑戦できるよう、頑張りたいと思います。

まだまだ往生際の悪いアスリートを目指します。