今朝のランニング・・・雨の中だけど

いつもはFacebookだけですが、仕事の進捗および私の活動内容について、やはり、こっちにも書いていこうと思います。
といって、大したことではありませんが、今朝のランニング。

今朝は、大山祇神社までの15.5kmのコースと昨日思っていたのですが、
今朝の雨で、少しひるんでしまって、ランニングのスタート時間が30分ほど遅れました。
なので、12.5kmの少し短めのコースに、カッパを着て走ってきました。
これで、今月の走行距離は189.5km。いいペースで練習できています。

今朝の雨はけっこう強かったので、”練習休み”ということも考えましたが、
今晩〆切の仕事があり、また、会議も2つ(昼、夜)ほど入っているので、徹夜を覚悟して、明日練習を休めるようにと思い、雨の中出かけてきました。

走りだすといつもの通りで、特に違和感なく走れました。

よしよし。

あと、今日は午前中にお客さん一人。
午後に電話会議1件、
夜は鳥栖市手をつなぐ育成会の会議
そして、徹夜(できるかな?)の報告書作成作業になりそうです。

あ、そうそう、顧問先の資料で銀行さんへ提出する資料作成という仕事もありました。
これも、今日まで・・・ふう。

今日のランニング

先週の萩往還の後、一日休んで練習再開し、それからなんとか、朝か夕に時間をつくりランニング。今日の夕方のランニングでは、漸く疲れが抜けた感じがしました。今週は疲れが残る中、なんとか気持ちをキープし走ることができたので、今日までで今月”177km”。先週の70kmがあるので、すこし多めの数字になってます。

今週このままのペースを続け、19日の週から、もう一段、気持ちのギアを上げる予定です。500いけるかな。
仕事も猛烈に忙しくなっているので、どうなるか分かりませんが、今年のランニングの優先順位は高いですね。計画通りの練習ができますように(祈りと自己暗示)。 

報告書を書きながら、一人で感激(GCP Global Audit Guidelineの編纂について) 

 今日の午後、だいぶ遅くなりましたが、先日米国・ラスベガスに出張した時の派遣報告書を書いてました。報告書を書きながら自分で感激(涙腺に来ました)してしまいましたので、ここでも簡単ですが、その内容を報告しておきます。

 派遣内容は、4th Global Quality Assurance Conference(4thGQAC)の中で開催される、Global Audit Guidelien というセッション、パネルディスカッションへのパネラーとしての参加でした。
 このガイドラインは、米国、英国、そして日本のそれぞれの国の関係団体の代表者が参加して作成した、臨床試験の監査のガイドラインですが、もともと、日本のグループからの発案で、米国および英国の関係団体に話を持ちかけ、日本から提案した監査ガイドラインの修正、そして監査の現場で使用する9つの個別の補遺(アッペンディックス)を編纂したものです。
 私はこのガイドラインに積極的にかかわったメンバーではないのですが、いろいろな立場でこのプロジェクトの進捗と並走して今日に至りました。2007年に米国でこのガイドラインのプロジェクトを提案し、足掛け7年かけて、ガイドラインをほぼ完成させることができ、無事、4thGQACという国際会議でその内容を報告することができました。
 7年間という時間で、本当に沢山の方がこのプロジェクトにかかわり、特に最後のほうでの、JSQAのK林さんや英国のGさん、米国のEさんの活躍は素晴らしいものがありました。
 そして今までかかわってきたいろんな方の顔などが浮かんできて、派遣報告書を書きながら一人感激していた次第です。
 皆さんに最高級の賛辞を送りたいと思います。
  本当に素晴らしい仕事でした。
  お疲れさまでした。
  本当にありがとうございました。よかった。よくやった!!

パネルディスカッションでは、会場には約200名ほどの聴衆がおり、皆さんに感心をもって聞いていただきました。
今後のこのガイドラインがいろんな場所で活用されることを祈ります。

ちなみに、ガイドラインとそのアッペンディックスは、JSQA、SQAおよびRQAのそれぞれの団体の会員専用のサイトで閲覧することができます。

応援の威力 偉大です。

久しく、仕事のブログ書いてません。
近いうち再開したいと思いますが、とにかく忙しい・・・

それはさておき、
5/4 午前6時スタートの 萩往還70kmのレースに出てきました。
無事完走、ここでは”完踏”といいます。
山口市から萩にでて折り返し地点の前後の数kmは平坦ですが、あとはすべて昇ったり下ったり。
6つくらい峠を越えたような気がします。
ちゃんとトレーニングしてないと、途中で動けなく(歩くのもきつい)なりそうな感じのコースでした。
しかし、そんな中で、またいい経験をしました。
こんな感覚、走らないと、出場しないと分からないので、またいい経験をさせてもらったと、
大会のお知らせをくれたSN大学のK先生に感謝、感謝。

以下、今日のマラソンで学んだことです。

萩往還100マラソン大会は、250km、140km、70kmと片道のウオーキング。
250kmのスタートは5/2の18:00、140kmのスタートは5/3の18:00 いずれも世を徹して走るレースです。
250、140の速い人は、私たちの70kmスタート前にゴールしてしまいますが、多くの人は私たちがゴールする5/4の午後に、続々とゴーるしてきます。250kmの人は40数時間の永旅です。

私が朝6時にスタートして250と140の速い選手が続々と帰ってくるのですが、いずれも相当きつそうな顔。
我々70kmの選手は、250kmのランナーをみるとリスペクトモードになります。みんな、そのきつそうな顔をみて、”頑張って”と声をかけます。

私もご多分にもれず、すれ違うランナー全員に”頑張って”、”ファイトファイト”、”ライスランです”、”お疲れ様です”等等声をかけました。

そして、私のほうが調子に乗ってきた20km過ぎからは、その声を大きく、元気に言うようになると、すれ違う選手たちの顔が”笑顔”に変わるケースが増えてきました。というか途中からは、みんな笑顔を返してくれるようになりました。

マラソンって、一人(個人)のプレイのみのように観られますが、”応援”の威力、で ”応援されること” により出てくる”エンドルフィンですが、応援したほうにも”エンドルフィンが”出てくることに強く感じました。

調子にのって、大声で”ファイトファイト”とすれ違う250、140の人に声をかけていると、自分自身の調子もあがっていくのが分かりました。私は、そのまま調子に乗って、おそらく60km付近(7時間目)くらいまでは、快調に走ることができました。

みんながいるから、走ることができる。いいタイムがでる。自己ベストが出せる。気持ちよく走れる。
応援の威力と偉大さを、痛感した大会でした。
マラソンって、単純だけど、いいスポーツですよ。 年取れば年取るほど、味が分ってくるスポーツです。
チャレンジできている自分自身が大好きになります。うれしくなります。

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で、ちょっと続きで60km過ぎから
この後、最後の峠にたどり着く前、長~い 長~い上り坂。
反対方向に走っていた時は快調に飛ばしたコースに、帰りで一番きついところで苦しめられました。
山の中は涼しくていいのですが、ロードの長い上り坂と直射日光と気温上昇。
頭痛と吐き気が出てきてしまいました。軽い熱中症の症状でした。

あわてて担いでいるポカリをごくごく、ウイダーインゼリーを胃袋に放り込みましたが、
熱中症の吐き気の中、よけい気分が悪くなりました。
しかし、しばらく我慢をしていると、走れはしませんでしたが、頭痛と吐き気は改善してきたので、ときどき、走りながら、長ーい上り坂と格闘を続けました。

そして、ようやく最後の峠に差し掛かり、日陰に。
この時、森の中で会うランナーはみんな笑顔。ここまでくればもう大丈夫。
私もエンジンが再開し、ここから最後まで休まず、走りきることができました。

250の人たちからするとひよっこのようなコース、レースですが、
味わいの深ーい70kmでした。

さて、この後、6月は阿蘇とサロマ100kmにチャレンジ。
目標は11時間ですが、サロマでは10時間30分を密かに狙ってます。
そして、スパルタロンの資格取得。

そして、来年、萩往還250、
早ければ来年、再来年までの間には、ギリシャでスパルタスロン(アテネ→スパルタ)チャレンジしてみたいと思います。
宣言してるだけで、気が遠くなりそう。。

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今日も怒涛のような一日で

私自身、いろんな活動をしていて、毎日忙しいと感じながらも、
私は○○で忙しいんです。。。。という言葉が使いにくい。

私の一日を振り返ると
3:50起床 
4:00 GCP監査関係業務処理 (2案件)
5:30 ランニング 大山祇神社まで 15.5km 1時間25分
7:20 朝食
8:00 届きもの書類整理(区長業務、手をつなぐ育成会、監査関連データ)
10:30 仮顧問先との面談
11:30 鳥栖市手をつなぐ育成会 補助金実績報告、交付申請資料作成
12:00 鳥栖商工会議所 経営研究会 役員会
13:00 午後の会議予定 キャンセル(鳥栖三養基地区自立支援協議会運営会議、夏休み教室実行委員会、鳥栖三養基地区**会議?)
14:00 鳥栖市手をつなぐ育成会 補助金実績報告、交付申請資料作成(主に、鳥栖市手をつなぐ育成会予算、事業計画)
16:00 鳥栖市社会福祉課へ 同資料提出
16:30 フランスL-I社からの委託業務 処理・・・
20:00 事務所に来客(顧問先 経営改善計画について)・・・食事をしながら、打ち合わせ
21:30 打ち合わせ終了 (本日の業務終わり)
23:00 おそらく就寝

GCP監査準備3本、GMP監査報告 2本、GMP監査準備 1本、GMPセミナー準備、顧問先のバンクミーティング(3件分)
ここに、区長業務、育成会業務が加わり、更にランニング。

一番案内等の書類が多い、区長、育成会の資料の整理が追いつかなくなってきているのが、いかんなと思いますが、一面しょうがないとも思います。もし、仕事を拒まなかったら・・・6月いっぱいまでは紺状態は続きそうです。

商売繁盛・・・いいことも、わるいことも、丸ごと受け止めて、正々堂々といこう。

Toastmasters Divison F Speech Contest を振り返ると

遅ればせながら、Toastmasters Divison F Speech Contestの振り返り、
やはり、勝てなかったことは悔しい。
勝つつもりでさくらマラソンも欠場し、こちらのコンテストに出たのに・・・・

しかし、考えてみれば、やはり敗因はある。

その直接の原因は、集中力。
競技、競争の世界で、集中力の強さがそのまま、勝負に競り勝つ力となる。
このことは、今までも何度となく経験してきているのに、またやってしまった。

つまり、ありもしない余裕を見せてしまったこと。
スピーチの内容はともあれ、精神面でこの時点で負け。

勝ちたい気持ちを人に譲るように、余裕を見せてしまえば競り勝つことはできない。

考えてみれば、その原因、余裕を見せてしまった理由、集中力が足りなかった理由の原因もいくつか思いつくが、言い訳にしかならない。

アー悔しい。

ただし、私の場合は、あきらめないのが信条。(ただあきらめが悪いだけ)
日本一、世界一、往生際の悪い男になる。これが、私の人生の中の一つの信条。

次の機会があれば、またその次の機会があれば、勝つまで挑戦したい。
そうすれば、きっと勝てると思うし、自信にもなる。
きっと自信にして、もっと強い人間になってやる。

そして、100まで生きて、Nobel Price for Peace。

これが、今回のスピーチのおち。

ちなみに、原稿はこんな内容でした。
Title: My Fifty’s Ambition

指を鳴らす。・・・・
Dan Dan Didanda Shubidaden — Olee OO ee—(歌う)

This is the scene of whisky Commercial in 1993-94.
A young man came into the Bar and sit down in front of the Bartender.
He said, Today is my birthday, I am just thirty, I’m just turned thirty.
And The Bartender acted by Peter fork, He said, Ah Happy Birthday well is that mean you’ll be 31 next year.
The scene was a just casual talk at the bar to enjoy their drink.

However I memorized this scene very clear, because at the time of This TV commercial I was 29 years old and working at research laboratory in Tsukuba City. And the company I worked appointed me to move to newly established laboratory in Kansas, United State. I was just about 30.
At the time of this TV commercial, I was having a big dream to be a great business man, I wanted to study English, and I wanted to study United State, and I wanted to fly all over the world to make up the business. And also I was thinking, I will be a president of this company Hisamitsu Pharmaceutical some day. This was my ambition of my thirty (30). And these are the reason why I memorized this scene very clear, and I was saying “I’m just thirty”. (指)

Four years later, I was around 33-34 years old, and transferred again and delegated to the newly established section at Kyusyu Head office. At the time of my new work had stated, my younger children Youtaro was diagnosed Autistic he was two years old.

And Doctor said it is not curable disease and usually autistic children are hardly adjusts to the change of living environment. Doctor recommended me that you ‘d better not to move from here for a while.
Of course My wife was also so and deeply disappointed at the time.

As doctor recommended I decided not to move from I’m living. Even though I was asked from the company to move to Tokyo Office, or Factory in the United state or Office in London. These offers are happened every year but I denied because of this reason.

Like these situation my ambition was changed. I cannot move I cannot fry over the world as my earlier thought of ambition. But I did not know how I should do if the company officially appoint me to move.

From this time, I started to study national qualification of management consultant. I started to try this, because I thought I may be able to start my own business without movement.

However, this try was so difficult to me, because my basic knowledge was chemist and research in pharmaceutical area. It is far from the area I need to study. It took time a lot to pass this. But finally I could have passed this qualification in my age of 43 and started my current job in my age of 45 two years after I got Qualification.
And I saw a small light toward another ambition to be a great business man.(小声)

On the other hand,
Several months after my son was diagnosed autistic, I joined parent association of handicapped people and started supporting activity in the area of welfare. Now I do making an arrangement of welfare event such as music festival to promote interaction between general people and handicapped people. Because I believe that “Just knowing and Just understanding about handicapped people” is the best practice and most efficient way to achieve normalization that is the goal of welfare of handicapped people and this became one of the goal of my ambition.

After the birth of my son, the direction of my life tuned a lot. But my ambition was re-generated more strongly. Now I’m just fifty and thinking to alive another fifty years until 100 years old. But this way of thinking is kind of normal. Most of the parents of handicapped people like autistic want to alive more than their children, because we are anxious about their life if they become alone.

However, I found the way.
To alive another fifty years could give me a lot of chance to become great business man again. In order to be so, I want to study more, and train more physically.

I train by running more than 10km every day to make healthy and strong body. This gives me a tough mental strength and positive way of thinking.

Now my ambition is to build up the company hiring 10,000 handicapped people in next fifty years. I also want to expand my business to outside of Japan such as developing country in Africa and some place in Asia some day, and be awarded novel prize for peace in 2064 at my age one hundred (100).

Thinking these is so enjoyable to me and I would like you to watch me in my next fifty years.

Finally, I would like to say many thanks to my son giving me an energy and chance to have another ambition.

I’m just fifty, but I feel like a young man who said “I’m just thirty”.
So I enjoy my life with this memory. (指)

Dan dan dadan shubidaden …

Contest Chair

すでに一カ月が過ぎました。

すでに1か月が過ぎてしまいました。

会社の仕事で、やろうとしていたことがまだできていません。

いろんなことで時間をとられ、気になってしまい。
優先順位をつけられずに、目の前の仕事に取り組んでいます。

GxP QA コンサルティング、診断士業の仕事、今回本格的に取り組み出した翻訳業。
それぞれ徐々に独立体制を築いていきたいと思います。

早く準備しなくては・・・

また、GxP QAコンサルについてもブログ再開します。
しばらくお待ちください。・・・待っている人は? 実は私自身だったりして、私にとっては頭の整理ですが。

あけましておめでとうございます。

昨日、昨年の事業および個人の活動を振り返り、いろいろと書きましたが、

今日は、今年の抱負について、簡単に語っておきたいと思います。

今年も、例年通り、診断士としての活動、GxP QAコンサルとしての活動、その他、区長、手をつなぐ育成会役員としての活動をやっていくことになりますが、特に、会社の事業にもっと注力していこうと考えています。

会社の事業については、「経営の革新」を行うことを念頭に、
「事業の拡大」および「新しい事業への着手」を行っていきたいと思っています。

1.事業の拡大については
昨年末から着手した、GxP QAコンサル業務及び翻訳業務の本格的なテコ入れを行うことを念頭に、
1.まずは翻訳事業から生産性のあるものにしていくこと、
2.GxP QAコンサル業務をコンサルティングとQAサービスの二つのサービスに分け、
  それぞれで A.コスト、B.スタッフの養成(育成と外侮活用)、行っていきます。
 したがって、監査サービスについては値下げ?、コンサル業務については、現状か高めの値段設定 になるかと思います。
3.診断士業務を含め事業の方向性を「人材の育成(会社内・外)」に置き、
人の成長を支援する事業展開を行ってきたいと考えています。

「人を成長させるために自分自身も成長する」もしくは「人を成長させるということは自分自身も成長する(ということ)」こんな相乗効果も期待して、このようにしました。

2.新規事業への着手 については、
福祉事業、まちづくり事業を念頭においた、可能性探査に加え、
海外の障害者福祉の現状、特に発展途上国での知的障害者の状況に関する情報収集、
そして、BOPビジネスとしての、発展途上国への食料品の輸出(特に飢餓に苦しむ国)が可能とならないか、
を検討してみたいと考えています。

福祉事業については、純粋に会社の事業としてだけを考えているわけではありませんが、
実家付近でのグループホームの可能性を考えています。

以上ですが、
思っているだけでは、形にならないので、
まずは、事業の拡大について、経営革新計画を作成したいと思います。

急ぐべし。

今年の振り返り—-公私 すべて。

今年の振り返ってみます。
どうしても書けないような思いもありますが、明日につなげられるように書いてみます。

まず、仕事関係
1.GxP QA コンサルタントについて
開業以来、サービスとして、仕事をしていましたが、ことしの春から仕事の依頼が続き、好調にスタートしましたが、
途中、他の仕事も忙しかったこともあり、自分で感じましたが、サービス品質の低下がありました。
それが原因で、仕事(監査業務)の依頼のスピードがダウンしました。

また来年から、新たに仕事がスタートしますが、
サービス品質の向上と、仕事のやり方そのものも変えていきたいと思っています。

GxP QA コンサルティング業務と翻訳業務をつなげ、
この業界「製薬、医療業界」の人材育成に繋がる支援を行っていこうと思います。

GxP監査業務に限らず、国内外の医薬情報を、翻訳等の技術を使って、みんなに提供していく、
教育・訓練の機会も積極的に提供していく、ビジネスモデル作っていきたい。
そんな、感じで、来年度の事業に着手しようと思っています。

「国際薬事を極める」別の切り口だと、こんな言い方もできそうです。

2.中小企業診断士業務
こちらは、佐賀県中小企業診断協会としての業務が多くなりますが、
6次産業化、産業支援相談事業、よろず相談室事業等、を行いながら、
顧問先の支援とやはりここでも、「人材育成」をテーマとして、
情報提供およびセミナービジネスを展開してみたいと思っています。
特に「シーダーシップセミナー」はやって見たいと思っています。

構想、スタッフ(チーム構想)はあるので、是非、形にしていきたいと思っています。

3.上記の2つの仕事を併せて、
今年の10月から、自宅近くに事務所を借りて、2人を雇用することになりました。
やはり、気になるのは、固定費。

まだ、事務所を構えたからといって、生産性が増加したわけではなく、
一定の生産性を確保するには、しばらくは我慢が必要です。

しかしm我慢ばかりでは解決しないので、
GxP QA、翻訳。中小企業診断士 それぞれでできることを手を抜かずにやる。
これを信条に、3人で頑張りたいと思います。

GxP QA に関しては、もう一人専門家のパートナーがほしいです。
私の事務所(会社)の特徴は英語力ということになりますが、
上記の専門家の場合、そこをとわず、外国、国内に契約コンサルタントを確保したいと思っています。
(特に、GCPとGMP)
英語については、英語が(ある程度)使えるCRCや薬剤師、臨検技師のような人が適任で、
育てながら専門性を高めていくような人材育成をしていきたいと考えていますが、

資金面を含め、しばらくは厳しいかじ取りが迫られそうです。

4.手をつなぐ育成会関連、障害者支援の仕事
私のライフワークで、今後も続けていく活動ですが、
今年もなかなか、育成会の会員が集まらない、協力者がいない、少ない、そして仕事が忙しい中、
孤軍奮闘した感があります。

もっと時間があれば、
もっと協力してくれる人がいれば、
もっと自分にマネージメント能力があれば、
などと、毎回、回想し、今はしょうがない。。。と自身で納得しながら、ことしも進んできました。

鳥栖市手をつなぐ育成会の会長、佐賀県手をつなぐ育成会の副会長 という役職で、
ほんとに休日はなく、平日の会議に出なければならないことも多いので、
ストレスのかかる仕事が最も多いのがこのエリアの仕事(ほぼ無給)ですが、

個人的な、ライフワーク(障害者支援)の仕事であることと、
私の将来ビジョンに
”障害者雇用1万人の企業をつくる”
を掲げていますが、そのためには、
やはり、このエリアでの見識も高めていくことも私自身に求められているものと考えています。

なので、文句を言わず、前に進めます。

5.区長としての町の仕事(お世話)
今年の春、市会議員に出る、出ないの話で、区長を辞めることも考えていましたが、
結局、継続を決断。

市会議員に推してくれた方たちには申し訳ありませんが、
個人的には良かったと思っています。

この問題に関して、たらればは、数限りなくあるように思いますが、
市議会議員に出なかったことは、ある意味自然な流れに沿ったものと感じるので、
個人的には、今は完全に納得できています。

それよりは、「障害者雇用1万人の会社を作る」だけを考え、
仕事にまい進することが大事なことだと、改めて思っています。

さて、今年で、区長業務2年がたちました。
故藤田区長が亡くなってから、急きょ、引き継いだ区長の仕事ですが、
町の仕事で面倒をみることにもやりがいは感じてます。

障害者支援も中心は地域共生、ノーマライゼーションですが、
区長という役職は、これをもっとも身近で実践できる役のように思います。

なので、これを実感できるような活動ができるようになるまでは、
この仕事続けないといけません。

しかし、永く役にとどまっているだけではだめなので、
今見えている形を速く実現したいと思います。

まずは、災害対策から。

6.体に関すること
今年もいろいろありました。
ラインニングは怪我に悩まされながら、年間走行距離は昨年を上回りそうです。
体もだいぶ絞れたように感じますが、来年は、一層絞りこんで、50歳代の力を試してみたいと思っています。

印象に残るのは、阿蘇100kmでのスタート直前の怪我、
練習不足で臨んだ四万十ウルトラでの完走。

そして、100km完走で満足している自分とランにスピードが出なくなっていることが、残念に感じている自分がいることにきずきました。

そして来年の目標ができました。
100kmマラソン 3回 完走
42.195km フルマラソンで 3時間42分を切ること(自己ベスト)

これができるころには、体脂肪率も10%をきる体ができているかな?

来年の自分にこうご期待。。。自分が一番期待していたりして。。。それしかないか!

GxP QA コンサルタントという仕事 GCPについて(10) GCP適合性調査-1 

今朝は久しぶりに息子とマリンワールドへ行きました。
私のスケジュールの特徴かもしれませんが、土日、夕方以降から用事が埋まります。
なので、最近もずっと休日になると朝から外に出ていくので、朝、息子もがっかりすることが多かったようです。

今朝は、私が家内を空港まで送っていく予定だったので、息子も着替え、一緒に出かける構えでしたので、
一緒に福岡空港まで送り、そのままマリンワールドへ行きました。

息子の大好きな場所の一つで、ちょっと罪滅ぼしができたかなって感じです。
しかし、午前中で家に帰ってきたので、息子は消化不良のよう。
仕事も残っているし、仕方ないですね。

さて、ちょっと間が空きましたが、今日からGCP適合性調査について少し話をします。
我々のQAの仕事は、このGCP適合性調査を意識して行いますが、この調査の行為の内容がそのまま、私たちの仕事といってもよいようなものです。

ですので、どういう視点で、データ調査が実施されるのか、何を確認されるのか、といったことを研究することが我々の仕事の質を上げていきます。

今日は、まず最初のところなので、具体的な内容は次回以降に回すとして、
日本では、PMDA(Pharmaceutical and Medical Device Agency 独立行政法人医薬品医療機器総合機構)が査察当局として、GCP適合性調査を実施します。

PMDAのような組織のことを、英語ではMonitoring Authorityといいます。
英国では、MHRA(Medicines and Healthcare products Regulatory Agency)
米国では、FDA Food and Drug Administrationがそれに当たります。

しかし、英国、米国とも厳密には、医薬品・医療機器の国内の管理体制の内容が異なるため、まったく同じ機能の組織ではありませんが、これらの組織を査察当局、規制当局ということばで表現します。

これから説明していくGCP適合性調査に関しては、
実際にPMDAが調査実施場所で使用する、GCP適合性調査チェックリストというものがあるので、この内容にそって解説をしていきます。

日本では、このチェックリストと運用通知がそのマニュアル的なものになりますが、
米国では、Compliance Guidance Manual、英国では、日本と似たような調査に際してそろえておくべき文書についての案内通知がありますので、項目によっては、それらに対比しながら、日本の適合性調査を説明していきたいと思います。

といいつつ、今日は、出かける時間になってしまいました。
具体的な内容は次回以降に記述します。

それでは。