サロマ湖100kmウルトラマラソン 追伸

サロマ湖100kmウルトラマラソンで、ウルトラ5回目の挑戦で4つ目のメダルです。
100kmのレース、”おもしろい”というより”魅力”があります。
また、”レース” というより、”ゲーム” のようにも感じてます。

レースにも戦術が必要とは思いますが、本当に”頭”と”体”そして”気力”をコントロールして、駆使して、自分の設定した目標を目指して走ります。

自分の限界がどこなのか?42.195kmが限界と思っていた以前の自分。
100kmを走ると、人間として、底なしの、天井なしの可能性を感じます。

痛い、きつい、へろへろ、そして11時間46分でゴール。
このタイムに「悔しい」と思い、「体重をもう少し減らせてたら」とか、「スピードに余裕ないのでもっとスピード練習しなきゃ」とか、いろんなことを考えます。
戦術的にも、もう少し、ペースを落として走るべきだったか とか

そうすればもっといいタイムが出せてたかもしれない。

100km走っても、まだまだ限界ではないし、これからの可能性のことを考えてしまう。だから”おもしろい”という言葉が出るんだろうと思いますが、私自身はこの可能性に魅かれちゃってますね。きっと。

いつ、出場できるか分かりませんが、ギリシャのスパルタスロン目指して、まだまだいきます。

第29回サロマ湖100kmウルトラマラソン ナンバーカード届きました。

今日、出張で札幌から帰ってきたばかりだけど、
自宅に帰りついたら、第29回サロマ湖100kmウルトラマラソンの案内が届いていました。

あんなにきつかった阿蘇の100kmでしたが、改めてモチベーションにスイッチ入りました。
今度こそ10時間台をクリアしたいと思います。

阿蘇の疲れも取れてきたようなので、そろそろ、練習にもスイッチ入れていきたいと思います。

今回は、阿蘇では坂道だけが活躍の場になってしまったので、少し平地の練習も増やしたいと思います。
でも、山は好きだな。。。

このブログでは、仕事の話も少しは書かなくては・・と思いますが、とりあえず、今月までは走り続けさせていただきたいと思います。

阿蘇カルデラスーパーマラソンの総括

阿蘇カルデラマラソンの総括。

昨日「阿蘇カルデラスーパーマラソン」を走ってきました。
いろいろな思いがあって出場した大会ですので、総括しておきたいと思います。
記録:12時間06分(目標タイム:11時間、チャレンジ目標:10時間30分)
もう一つの目標:100km走っても壊れない体を作ること。

最初の目標については結果として残念でした。しかし、一応10時間30分を目指してトライしてみました結果、タイム的には惨敗に終わってしまいました。

天候の状況(気温は高くなりそう)を読めば、最初から少し飛ばしめで行くのは間違った判断だったのかもしれませんが、自分の力量を知るうえでは大事なチャレンジだったようにも思います。

走りだして、1時間後、空を見上げれば快晴。気温も高くなりそうな気配で「熱中症だけは気をつけねば」と水分補給、梅干し、軽食(パン、バナナ)はいつも以上に積極的に摂取するよう心がけて走りました。

おかげで、途中、軽い頭痛には見舞われたものの、吐き気をもようすほどもなく、また、発汗の量を見ながら(私の場合、バンダナからの汗の落ち具合)、走るスピードも考えて走りました。でも、スピート落としたら、そのまま上がらなくなってしまったのも事実ですが、これで、熱中症からは逃れ、涼しくなる(丘陵コース)80km付近までは耐えることができました。

前々回の大会では、途中2回ほど、神様が降りてきました。というか、体が軽くなる時間帯があったのですが、今回も77.5km過ぎに一回だけですがありました。

最初からペースを抑えて走っておけば、もう少し起こったような気もしますが、やはり、これも最初の飛ばし過ぎが原因だろうと思いました。

最後に、もう一つの目標「100km走っても壊れない体づくり」ですが、これは、今月もう一本100kmを走る予定なので、そのために作った目標ですが、これは、レースで掲げる目標というよりは、練習にフォーカスが当たります。

今年は、1月から300km/月のペースで走り、4月、5月はピーキングで練習量を上げ、5月までに1700kmを走る計画でした。結果、大会前までに1800kmを走ることができました。

この結果ですが、足に少々の擦り傷様の負傷はありますが、不安に感じていた右ひざ、右足首も無事耐えてくれました。ただ、日焼け跡が痛い。

今日はランニングできる状態ではありませんでしたが、2-3日で大丈夫と思います。

ですので、「もう一つ目標」は無事クリアできたようです。
6月は出張が多く、練習時間の確保が難しくなりますが、今月もう一つの大会「サロマ湖ウルトラマラソン」の100kmで、6分/kmのペースを忠実にキープし、走りぬけてみたいと思います。

まだまだいきます。

最近GMP監査のお仕事を・・

最近、よくGMP監査の依頼を頂くようになりました。

依頼主は海外からで、GMPといっても内容は様々です。
化粧品原料、医薬品の原料(添加剤)、API、そして医療機器・材料の原料。
以前は、医薬品(製品)の工場監査の依頼もありましたが、最近は、上記の原料の監査がほとんどです。

使用するスタンダードは、ICH-Q7、ISO-13485、化粧品についてはEFfCIのつくったGMP基準とさまざまですが、
ポイントとなる考え方はそうは違わないので、なんとか対応できています。

また、最大のポイントは、MAHの会社へのリスクへの対応で、そこを中心にマネジメントできている体制であるかどうか、
を監査実施の際のポイントとしています。

全体を網羅してみることができれば、このあたりもよく見えてきます。

このあたりのヒントも、そのうち、この中に書いていきたいと思います。

今日、誕生日でした。

今日、誕生日で、Facebookのほうですが思いのほか沢山のメッセージ頂きました。
ありがたいですね。こういうのが励みになります。

皆さん、本当にありがとうございます。

今日で、51歳になったわけですが、イチローのおかげか、けっこうかっこいい数字に思えます。
私自身も、「まだまだ行きます。走ります。」の気持ちでいますので、まだまだ、老けこむことは考えず頑張りたいと思います。

来週の阿蘇カルデラに向けて、けっこうハードなトレーニングをしていますが、
今朝の計測では、
身長は172cm 体重66.2kg(走る前は68kgくらい)
体脂肪率:12.0
体年齢:36歳(昨日まで35歳。51歳-15歳が計測の限界なのか?)

体年齢については、
この体重計を買ってから、ずっと-15歳。

比較的若い体を維持しているおかげで、気持ちもまだまだ前向き、年を考えずに動くこともできます。
目標は100歳まで生きること。

まだまだ、こんなもんじゃありません。まだまだいきます。

応援よろしくねがいします。

漸く看板を設置しました。

事務所を開設して、半年余りですが、
漸く、事務所の看板を設置しました。

入口が狭く、普通の表札が使えそうになかったので、考えがまとまりませんでしたが、
結局、私の名刺のまんまのデザインで、入口2か所に表札、看板を設置しました。

名刺のまんまですが、私の夢、気持ちがこもっている表札/看板です。

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薬事勉強会はじめました。

内わの話ですが、うちのスタッフ2人を対象に、
薬事の勉強をはじめました。

私の仕事の内容を理解してもらうには、まだまだ相当な時間がいりそうですが、
少しづつでも、理解が深まり、私の、会社のビジネスのエキスパンドに役に立ってくれればと思います。

先週から始めましたが、先週は、いま和訳をお願いしている、欧州GVP規制についてでした。
これについては、翻訳を通じて、日本の規制とも対比しながら勉強を進めようと思っています。

それから「GCP」
こっちも同じく、SOP通りの計画をたてて、スタッフ等を対象に勉強会を進めていきたいと思っています。

内容については、随時、ブログにもアップしたいと思います。

それでは、今日も一日頑張りましょう。

今朝のランニングで460km

今朝のランニングで、今月の走行距離が460kmになりました。
あともう少しで500.昨年の5月にはしった距離になります。

分かる人にはわかると思いますが、普通の市民ランナーにしてはけっこうすごい距離です。
なかなかこんなに練習することはできない量なんです。

なので、私もこれを続けることができるはずもなく、今月のみの目標と考えてます。
プロのアスリートであれば、これくらいは少ないくらいかもしれません。

しかし、いつもの練習量より多いので、さすがに気持ちの良い朝ランにはならなくなってきました。
ひとこと ”きつい” 。

ただ、やはり、
阿蘇カルデラでいい記録を出すため、
6月に100kmを二本走る予定ですが、こわれない丈夫な体を作るため、
自分自身をもっと磨くため、
やったことのないことにチャレンジして、今まで見えなかったものを見るため、
想像すらできなかった自分を発見するため、
・・・まだ、ありますが、後は秘密も少し。

いろんな ”ため” のために走ってます。
きっと、自分自身の役に立って、人の役に立てるようにもなってくると思います。きっと。

レースまであと少し、頑張らねば。

マラソンなんて・・・

私の人生の7不思議ではないですが、
高校や大学のころまでを考えると、今の自分は全く想像できません。

ポイントは、英語とマラソン。
英語については、別の機会に書くこととして、今日はマラソンを主に書いてみます。

英語とマラソン。いずれも、若いときには、超苦手な種目、科目でした。
マラソンの思い出は、小学校1-2年生のころの、学年で100人くらい中90番台??
中学校、高校と野球をやって走りこんでいても、学年では真ん中ぐらい。

英語については、高校から予備校、偏差値39点台が最高の点数。
辞書なんて、大学を出るまでもっていたことがありませんでした。
そんなことあるのか・・と思うかもしれませんが、ときどき必要になるときに姉から借りてたくらいで、高校時代、予備校時代に英語の辞書なしで過ごしました。

さて、マラソンに戻りますが、
マラソンも英語と同じく苦手種目。
短距離は100m12秒、50mを6.2秒くらいで走っていたので、そこそこ速い方でしたが、
マラソンとなると、とんとだめでした。

私の脈も平常で75-80/minと普通の人よりは多い脈拍で、心臓が小さい、肺活量は小さい、心肺能力が低い。
こんな感じでした。

脈拍については、今も同じで、この部分だけみると、とてもマラソン、しかも100kmを走る人間とは思えない体にも思えます。
耳当てして、脈拍を測りながら運動するインドアの機器がありますが、その機器を使用すると、あっという間に、脈拍は150を超えてしまいます。ピーピーすぐうるさくなるので、たまにそんな機器を使うことがあると、あえて耳当てせずに使うようにしてます。

そんな自分ですが、50歳を過ぎ、いまは、マラソンでアスリートを目指そうとしています。
ウルトラランナーとしてですが、本気で。

マラソンも昔速く走れた方は、続けるのは大変と思いますが、
私ぐらいに遅いと、じわじわ自己ベストも目指せるので、年取ってからでも楽しい競技です。

30歳代半ばくらいに、「野球下手になったな」という思いで、体を絞り直そうと思い、始めたランニングですが、
距離やスピード、少しずつ、ステップアップしていく自分が楽しくなってきました。

それにはまってしまい、10km、ハーフ、フルマラソンについて、毎年、何レースか参加するようになりました。
そして、49歳の時、はじめて100kmマラソンにチャレンジしました。

これがすごかった。
走りそのものは「死闘」という言葉がぴったり。
しかし、その中でも、60kmすぎと92km過ぎに、神様が降りてきて、体が軽くなった感覚を覚えてます。

42.195をはじめて走った時、こんな長いレース・・・二度とは知らない。とレース後半で思ったことを覚えてますし、
練習にしても、42.195を意識するときはかなりの練習量をつまなくては。。。。と思ってました。

それが、100kmを経験してみると、人間の限界が分からなくなる。
走れるんじゃん、とか、まだまだいける、こんな感じを抱くようになりました。
実際、100kmのときの42.195kmを通過するとき、、、、へぇ~ こんな感じで通り過ぎることができるんだ。と、比較的簡単に通り過ぎてしまったこをを覚えてます。

今は、毎日、20km以上。といっても、今の時期だけで、阿蘇カルデラスーパーマラソンに備えてのトレーニング。
今月は、いまのところ、319.7km(20日時点)けっこう走ってますが、あと10日で200km超を走りこむ予定です。

今までの人生の中でも、頑張っているほうだと思いますが、
長い距離を走ると、違う世界が見えるような気がして「いや見えてる」。

そこが超長距離のだいご味と思います。
今の体、172cm 体重:68-69kgくらい。体脂肪率:12-13%
けっこう絞れているからだとは思いますが、まだ、もうしこし絞っていく予定です。

6/7に阿蘇を走りますが、その先に見えるギリシャで開かれる「スパルタスロン」
ここへの出場資格をとった時、また、このレースを走った時、アスリート、鉄人、そんな言葉でよばれるような人材になりたい。そう思って走ってます。・・・・いかん、長くなってしまった。

苦手が、仕事や得意技になってくる。
人生っておもしろい。脳を使っていないことがよくわかるし、その可能性もよくわかる。
そんな感じですね。

これからも「鉄人系オジサンアスリート」を目指して、体を鍛えていきます。
応援よろしく。

阿蘇カルデラスーパーマラソン ナンバーカード引き換え券届きました。

阿蘇カルデラスーパーマラソンの ナンバーカード引換券が届きました。
1年待った、ナンバーカード。
昨年、バカな話ですが、直前の朝2:30ごろ、暗い中でトイレに向かう途中、突起物があり、転倒・・・しそうになるところを右足で踏ん張ったら、右も臀部を肉離れしたもよう。そのまま、なんとか足は動いたので、走りだしました。しかし、35km付近で、痛みが耐えきれなくなり、ついにギブアップ。マラソン初の途中棄権。

甲子園を目指した高校3年の時も、最後の夏は右ひじをやられて、背番号18で、最後の夏をベンチで終えた。
その時の悔しさ・・・これを思い出すくらい、悔しい50歳の阿蘇カルデラでした。

しかし、現在の気持ちの高ぶり方は、、この年にして、楽しい、いい気分です。
年取ってからでも、こんなチャレンジャブルな気分にさせてくれるスポーツに出会えたことはラッキーですね。

いざ、100kmの旅。そして、目指すはスパルタスロン。