ozaki
久しぶりに昔好きだった尾崎豊の曲を聞きました。(Youtube)
このライブの当時、尾崎21歳、自分が23歳だったけど、本当に歌詞に共感して歌を聴いて、レコードも買っていたのを覚えてます。
当時、自分のほうが年上のはずなのに、尾崎のほうが、存分大人だった様な気がします。
しかし、全力で生き過ぎたのか、短い人生を終えてしまいました。
改めて、この曲聞いてぐっと きています。
http://www.youtube.com/watch?v=UPqgeuVoMsc
久しぶりに昔好きだった尾崎豊の曲を聞きました。(Youtube)
このライブの当時、尾崎21歳、自分が23歳だったけど、本当に歌詞に共感して歌を聴いて、レコードも買っていたのを覚えてます。
当時、自分のほうが年上のはずなのに、尾崎のほうが、存分大人だった様な気がします。
しかし、全力で生き過ぎたのか、短い人生を終えてしまいました。
改めて、この曲聞いてぐっと きています。
http://www.youtube.com/watch?v=UPqgeuVoMsc
もともと、今日はビジネススキルアップ研修という佐賀県就労支援室の研修(企画運営:佐賀県中小企業診断協会)で視察先の佐賀西武コロニーに行く予定を立てていた。
その後、最近になって、いろいろ仕事が立て込んできたので、
視察への参加を断念し、事務作業を行うことに昨日決めた。
場所は、佐賀市のアイスクエアビルの5階事務所でと思っていたが、
急ぎの仕事が2件ほど入り、自宅作業に切り替えた。
もともと、自宅事務所での作業が最も効率的に仕事を進められる場所ではあるが、
佐賀市産業支援相談室(佐賀6次産業化サポートセンターと併設)も私の主管になるので、その場所で・・・と思い
家を出る準備をしているところで、電話。。。。自宅作業に切り替え。こんな感じ。
いまやっと電話の案件が処理できたので、
これから、今日もともとやろうと思っていた仕事に着手予定。
今日は、
1. 6次産業化サポートセンター業務
6次産業化プランナーの評価 (明日九州農政局提出)
法認定企業のフォローアップ状況の報告 (明日九州農政局提出)
2.来週の東京での監査(臨床試験 実施医療機関の監査)の準備
3.顧問先の経営理念作成指導 などなど、
やって、夕方、息子を学校(大和特別支援学校)に迎えに行き、本日の予定終了だけど、
1.が終わって2.までいけるかどうか。いけないんだろうなぁ~。
今朝もゆっくりのペースを心がけての走りだし。
途中、足の違和感を感じながらも、徐々にペースアップして、
足の違和感が増幅するかどうかを確かめながらのRUN。
途中のペースアップで、少しだけ違和感の増幅感はあったものの、
昨日までのものより、かなり軽く感じた。
軽ーいアップダウンのあるコースで5.6km
寒ーい朝でもありますが、気持ちの良い朝になってきました。
ちょっと、快調感。いい感じ。
6次産業化事業の推進という仕事をしています、
そこで、最近思ったことがあるので、少し述べておきます。
以前は、中小企業の経営革新と同じという説明をしていたことがあります。
しかし最近は、経営革新(≒イノベーション)という言葉より、ベンチャーという言葉のほうがぴったりくるような気がしている。
農家等の農林漁業者が、自分、自社にとって新しい商品の開発、新しい販路の開拓を目指し、
農林漁業者が加工、販売に取り組むことができれば、すなわち、”6次産業化”とうことである。
「自分、自社にとって新しい商品の開発、新しい販路の開拓を目指す」こと自体は、まったく経営革新(≒イノベーション)の世界。
しかし、その実施を期待される農林漁業者の多くは、”その世界に入るのが初めて”
だから、なかなか、普通の農家が6次産業化をするのは非常に難しい側面がある。
この難しい側面があり、この壁に挑んで超えていかなければならない事業が、農林漁業者にとっての6次産業化といえる。
経験のない世界に飛び込んでいくのだから、まさしくベンチャー(冒険)。 アドベンチャーである。
実際、6次産業化に取り組んでいる農家の方々は、脱サラ組というか、農業以外の経験を持たれている方々が多い。
なのでベンチャーでもそこそこ成功イメージができる。なので、自分で夢を考えることができ、ベンチャーにチャレンジする気持ちが起こってくる。
6次産業化の難しいところを述べたが、
長期的には、ベンチャーを楽しめる人材がもっと増えてくれるようになれば、その街、その県、国はよくなってくるのだとおもう。
ようし、チャレンジャーを増やすぞ。。。。これも診断士の仕事か。
3日続けて、5,6kmのランニング。
多少の足の違和感は残っているけど、なんとか走れる。
このまま無理すると、悪化しそうな違和感だけど、この程度の調整をしばらく続けたい。
去年100km走って以来、鉄人願望が強くなったようで、
もっとしっかりトレーニングできるようになりまたい。
”やま”・・・はしりてーっ て感じです。
はやくよくなれ。
今日、大学の先輩から、「あえてよかった 遇」の冊子をいただきました。
中身は、私の大学の後輩で、会社でも後輩 日渓智行君を偲ぶ冊子。
彼は、6年半前の真夏の7月31日?気温30数度のなか、野球の後、ランニングしていて途中で熱中症で倒れました。
若くて、スポーツマン、気のいい後輩で、会社でも周りの人間の面倒をよく見てくれました。
彼の死の訃報を聞いたのは、私の出張中で、葬式にも間に合わず、後で一人でご焼香をしに行ったのを覚えてます。
自分より、若いのに・・と思う気持ちからか、
もっと、いろんなことをしたかったろうに・・・という、気持ちからか、
なぜだかわからないけど、涙がとまりません。
改めて、ご冥福をお祈りします。
私は、彼の分まで、精一杯生きようとおもいます。
頼み事はしません。楽しみに、見守っていてください。
筑紫野市商工会で進めている”紫(むらさき)プロジェクト”
私も専門家として参加させていただいています。
商工会のメンバーが中心となって絶滅危惧種の”紫草”の栽培を手掛けています。
そこから地域振興、産業振興の種を膨らませていこうとするプロジェクト。
このプロジェクトについて、いろんな角度から話すことがあります。
時間があれば、ゆっくり、この話も書きたいのですが、今日は一つだけ。
紫と書いて”ゆかり”と読みます。
古今集にある「紫の一本(ひともと)ゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る」
(紫草が一本あるがために、武蔵野に生えている草は皆いとしいと見えるのです)という歌から、「紫」は“縁(ゆかり)”の色とされています。このことから、紫は縁結びの色であるといえますが、
同じ縁でも、額田王と大海人皇子の有名な歌からは、紫の不思議な魔力を感じさせます。
「あかねさす紫野行き標野(しめの)行き野守は見ずや君が袖振る(万葉集)」
「紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも(万葉集)」
天智天皇の妻であった額田王との天地天皇の実弟の大海人皇子との関係をうたった歌ですが、一旦引き裂かれた二人が未だに紫(ゆかり)で結ばれていることを示す歌のようです。
紫は強力な縁(ゆかり)の色であるということでしょうか。
(うたの訳)
茜色のあの紫草の野を行きその御料地の野を歩いているとき 野の番人は見ていないかしら ああ あなたそんなに袖を振ふらないでよ
紫草のように香れる君がもし憎かったなら いまは兄の妻の君を どうして恋い慕うことがあるものか
更科日記でも、源氏物語の一節に「紫のゆかり」というものがあったとされています。具体的にどの部分を指すのか、どういう内容だったのかを示す記述はないのですが、源氏物語の”若紫”の話が有力なようです。
これも、どちらかというと、複雑な恋愛のお話なので、“紫のゆかり”から、紫(むらさき)の魔力ような、人と人とをひきつける力を感じます。
私も紫の色の魔力に魅せられてしまっているのかもしれませんが、
このプロジェクトに魅せられています。
もともと、朝は早いのですが、
休みの日の朝の時間は特にいい。日曜日。
本当に静かな時間です。
このまま時間がゆったり流れてくれるといいのに・・・と思います。
さて、仕事を始めるか。
たーくさん、仕事残ってます。
今日は、朝4:30起床
仕事を少しこなして、6時過ぎから、超スローペースでランニング。たぶん3.5kmくらい。
しかし、足の違和感はまだ残っていたので、まだまだリハビリは続いている感じ。
そのあと、スクワット200回、腕立て伏せ50回、それから、ダンベル上げでしばらく時間を使って、最後に深ーい、ゆっくりの腕立て伏せ10回で仕上げ。途中は、野球の素振りを少々。・・・しかし、十分に走れないと、汗の量はすくない。
そのあと、1週間のうちに山のように届く文書の整理、机の周りの整理をしながら、優先順位の低い仕事を整理。
しかし、これが終わらない。
朝は、区のリサイクルに参加しようと思っていたのに、子供のご飯作りと、部屋の整理をしていたら、すっかり忘れてしまってました。
そのまま11:30すぎ、午後からの諫早湾干拓農業者の審査委員会に出席するため、諫早へ。
会議は13:30からはじまり、長くなりそうでしたが、
牛津で、通夜に行かなくてはならなかったので、会議を途中退席。4:45ころ。
18:00から通夜に参列。(佐賀県手をつなぐ育成会事務局の方のお父様)
その後、20:00から区の班長会。
今日も、忙しい一日でした。。。。明日へ続く。
昔、海外を飛び回る企業戦士を夢見ていた時代が私にもありました。
今でもそのけ(気)はあるのかもしれないけど、今回の時間は本当に悲しい。
テロとの戦いとはいうけど、テロを行っているほうも正義を盾にしている。
掃討作戦を実施したアルジェリア軍も、人の命をどう思っているのか。
戦争中の日本もそうだったのかもしれないけど、その中では人の命は軽い。
しかしアルジェリアは、戦争中だったのか?
怒りをぶつけるところのない、悲しい事件。
夢が砕かれるような。。
よくぞ、生還してくれました。
http://toyokeizai.net/articles/-/12678?page=2