先日の障がい者差別解消法の研修会の模様がニュースで放送されていました。

障がい者差別解消法の研修会の模様がNHKのニュースで放送されていました。

http://www3.nhk.or.jp/lnews/saga/5084028461.html

芹田さんも言っていたけど、
障がい者に対するいろいろな理解不足が、この法律でクローズアップされている「差別」の原因になっています。

その「差別」に、みんなが気づかない、気づきにくいのであれば、
やっぱり、条例等により、積極的に理解してもらう、そういう対応も必要でしょう。

国連の障がい者の権利条約の日本での批准が、世界で141番目。
日本は先進国と思っている人も多いと思いますが、
この点では、日本はかなり後進国(発展途上国)なんです。

今は「気づかない」から「差別」と認識されていないことがたくさんあるんですが、、、

条例も必要と思いますが、長い目で見ると、
一番効果的なのは「教育」。

教科書レベルで取り上げてくれると、10年後、20年後には、日本人の感覚も自然に世界レベルにできると思うので、

日本の将来のために、厚労省や福祉の現場だけでなく、教育の現場、文部科学省にも頑張ってもらわんといかんですね。

合理的配慮って、歩み寄りということ

散歩がえり、唐揚げ棒を買って、上機嫌の祐太郎。
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昨日やってしまった、腰の状態はいまいち(一進一退?)すがで、できるだけ歩いてリハビリ中です。

ここから、少しまじめな話。–差別の境目の話–
。。。関心のある方へ。。。キーワード:「歩み寄り」

先日、祐太郎を投票に連れて行った時の話で、

投票所についたとき、
①祐太郎の投票にかんして補助が必要なことを伝え、「すこし列が少なくなるまで待っててください」と言われたこと。
②パニックになりながら、なんとか投票を終えて、私が
「ご迷惑をおかけしました」と言いそうになったこと、

障がい者の社会モデル、という、障がい者差別解消法の概念からすると、いずれも「差別」に該当するようなケースです。

これに関して、改めて少し思ったことがあるので、書いておきます。

法律で求めているものの中に、とってもわかりにくい言葉で、「合理的配慮」という言葉があります。

これをわかりやすい言葉にするのは、とってもむつかしい話ですが、

この法律で、障害者の権利として、一般の方、健常の方ができることは、障害をもった人にも、平等に行使、あるいは、同等レベルで、できるようにするよう社会が責任を持つべきであり、
健常者、一般の方と、物事を同等にできるようにしていないことを「差別」として定義しています。

また、別の言い方をすると、障害があることを理由に、本人の権利の行使(社会生活のケースを含みます)を妨げてはならない。社会は、障害があっても、健常者と同等に権利行使や生活ができるようにする義務がある。というものです。

上記のような概念がある一方で「合理的配慮」という、お茶を濁すような言葉があるのですが、これは、

お金がかかったり、実際に社会環境を整えることが、むつかしい場合、完全に行使できるような環境を整えるところまでは、必ずしも求めない、、というもの。

ということは、この法律が施行されたからといって、社会だけが一方的に責任を持つということではなく、障害を持った当事者のほうでも、できること、許容できること考えていく必要があるということ。

話が長くなりましたが、祐太郎の投票の場合、
投票の練習(意思表示の練習)は、当然、やりますが、投票のタイミングについても、

例えば、投票日の当日ではなく、きじっつ期日前投票で投票に行けば、そこには、投票に来ている人たちも少なく、投票の補助・介助を落ち着いて受けられる環境があります。

障害があって、投票の行使について、補助が必要な投票者の場合、

◆行政は、期日前投票を活用するよう、呼びかけること、
◆当事者として、期日前投票であれば、落ち着いて補助を受けながら投票ができること。

を双方(健常者と障がいをもった方)が歩み寄った形で考えることも、一つの「合理的配慮」の一例であろうと、思った次第です。

むつかしい内容で恐縮ですが、日本人の殆どといってよいと思いますが、当たり前の目線を変えていけるよう、今後も努力したい。

と、昨日の障がい者差別解消法の勉強会にて、そう思った次第です。

コンサルタントの仕事は、実は通訳!

私の仕事って通訳?
今日、改めて思った自分の仕事。

薬事コンサルタントの仕事で、お客さんが外国なもので、ほとんどを英語で仕事していますが、英語の通訳はあまり得意ではありません。

今日の通訳は、人 と 人 との通訳。

私のお客さんの社長さんもそうだけど、自分の気持ちを上手に表現できない。

金融機関へもしかり、
交渉相手や関連企業との話もしかり、
従業員との話しもしかり、

どうも、話がうまくかみ合わないことがよくあります。
というか、常にそういう状態の人がいます。

そういう時(話がかみ合っていないとき)に、
「この人は、こういうことが言いたくて、こう言ってるんですよ」
とか、
「この人はほんとはこういうことが言いたくて、こういう対応になってるんですよ」とか、

特に、今日の顧問先企業の社長さんとの相談では、
対 従業員へ、
対 金融機関へ
のコミュニケーションがあまり上手でない。

おのあたりが、うまく通訳できると、お客さんからの信頼度もかなり上がります。

「いろんな知識、考え方を指導する」が、一般的なコンサルタントという仕事への考え方。

しかし、実は(社長さんたち)の言いたいことを、
上手に表現して、通訳してあげること。

本日の最後の仕事は、社長さんとの面談でしたが、
従業員さんへの通訳を約束した結果、
社長さんの、営業意欲が増しました。

話を聞いただけのような気がしましたが、
最後は前向きの気持ちになった社長さんの満足顔をみて、相談は終了しました。

我ながら、いい仕事したような気がしました。

2016.07.09 ビジョンと目標 — 大事ですよ!!

人間、生きていくうえで、目標ってとっても大事なんです。
仕事(経営コンサルタント)で、企業さんを指導するときに、
”ビジョン” という言葉に、反応できる人・社長さんは、今からでも伸びる人です。

様々な、中小企業さんに、お邪魔して、会社の体制を立て直す。
そういう仕事が多いのですが、”ビジョン” に反応して、その意味を理解してもらえると、マーケティングのストーリーも、社長もその気になる、きっちりとした嘘のない計画・戦略を立てることが出来ます。

個人の人生でもそう。
自分自身の目標、ビジョン、将来の自分自身の姿をイメージし、探求してくことで、人は成長し、人の役に立っていく。

人生でも、企業経営でも、ビジョンはとっても大事なもの。
しかし、それを上手に育むには、また別の切り口がいるのも事実ですが、

意外と「ビジョン」という言葉に、反応しないひとが多いようも感じているのも、今日この頃です。

「自分で、何をしていいかわからない」
「自分が、何になりたいのかわからない」

でも、これって自分の生きがいを見つけるプロセスの中の一コマ。

シンプルに、自分はこういう人生を送りたい、
こういう人間になりたい、(これが、ビジョンですが)

そう思えた時、そして、それをどうやって達成しようかと考え始めた時、人生はとっても楽しくなります。

「楽しくなります」というよりは、
「こうなりたい」と思うことができれば、少々の逆風には簡単に耐えられるのです。

自分の気持ちに素直、社会的にロジック、
これが、ビジョンの大事なポイントですが、これは、NPOであろうが、任意の活動団体であろうが、変わりません。

組織としての共通目標、
スタッフの貢献意欲、そして、
充分なコミュニケーション

会・組織(NPO、社福)及び任意団体等を運営するにあったって、これらが、もっとも大切なポイントであることは言うまでもありませんが、将来的な目標は絶対に必要です。

ちなみに、私の最大級(てっぺん)のビジョンは、
「100歳で「ノーベル平和賞」を受賞する」

この点ははっきりしているのですが、

まず、100歳まで生きるためにどうするか、
100歳までに、やりたい事業は何なのか、
どうやったら、ノーベル平和賞というキーワードに近づけるか。

人生、試行錯誤を続けてながら、
楽しみながら、生きていくものです。

永くなりましたが、先日「ビジョン」の話をある方にして、
あれっと、思っちゃったので書いちゃいました。

あしたからも、きばくんやんせ!!