今年の振り返り まずはマラソンから

今朝のランニングで今月の走行距離が410km、一年の走行距離は4204kmになりました。
我ながらよく走りました。

◆私のランニング中はメディテーション(瞑想)の時間。
悩み事萬歳の毎日を過ごしていますが、この時間のおかげで次の一歩を決めることができます。

あとは、どうやって進むか、一歩一歩の進め方を考えるのみ。
うまくいかないときも多いのですが、この時間のおかげで、ダメなら次を考えることができます。
気持ちを前向きにしてくれる大切な時間です。

そして、いつも悩みごとの相談を聞いてくれた3つの神様。
大山祇神社の神様、河内ダムのお地蔵さん、そして朝日(天照大神様)。
今年一年ありがとうございました。

大山祇神社参り:109回
お地蔵さん参り:211回
(同じ河内ダムを登る私の練習コースで、お地蔵さんで折り返して12.5km、大山祇神社を折り返して約16kmのコースです)

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◆記録で振り返ってみたいと思います。
今年で一番良かったタイムは、各距離で、
10km 鳥栖ロードレース 記録:46分54秒 (自己ベスト44分43秒 at 2008年1月)
 ・・・なんとか46分台
ハーフ 横島町いちごマラソン 記録:1時間39分(自己ベスト1時間37分22秒 at2006年2月)
 ・・・超久しぶりに100分を切りました。
フルマラソン :青島太平洋マラソン 記録:3時間42分16秒(自己ベスト1時間42分12秒)
 ・・・練習内容も充実し、一皮むけた感じのするレースでした。
100km サロマ湖ウルトラマラソン 記録:11時間46分 (自己ベスト11時間26分)
 ・・・阿蘇カルデラも走りましたが、どちらも暑さと、ペース配分が未熟でした。
その他
70km  萩往還70km 記録:8時間35分
42km 金峰三山山岳マラソン 記録:5時間02分 (自己ベスト33分短縮)

◆昨年(2013年)は、怪我が多く、1月の左足、ふくらはぎとアキレス腱の間付近の軽い肉離れ?から始まり、 
阿蘇カルデラ出走直前の転倒、そして右臀部の肉離れ、35km付近途中棄権、
9月に1月の肉離れの再発、10日前になんとか痛みがとれ、四万十川ウルトラマラソンに出走。
途中棄権覚悟でスタートラインに立ち、走っている途中で発生した膝の痛みと格闘しながらの完走。
この時、人生のドラマを感じましたね。

この悔しさから、今年6月阿蘇カルデラとサロマの2つの100kmを走る計画を立て、
100km走っても壊れない体を目標に、300km/月をノルマに練習することを決意し、
予定通り、6月の100km 2本 を走り、体も壊さず、乗り切ることができました。

記録は、目標としていた10時間台、あわよくば10時間30分には遠く及ばず、サロマ湖で11時間46分、自己ベストから20分遅いタイムでのゴールとなりました。

練習してきた割には、どこか虚しい結果でした。 

そして、次のレースとして想定していた、四万十川ウルトラマラソンの抽選に落選し、
同じ日に行われる 出水ツルマラソン(42.195km)に出走。

今年の練習量と一つだけ、ニンジンを目の前にぶら下げ、3時間40分台を目指して走りだしましたが、
この日、暑さが厳しかった(最高気温32度)こともありますが、最初飛ばし過ぎで、後半の途中気持ちもキレてしまい、なんと4時間30分の大敗北。

昨年の阿蘇以来、ほんとに悔しい思いをしました。

ここから、気分が変わりました。
もう一度、ニンジンをぶら下げ直し、
次は「絶対に取りこぼししない/できない」と決意し、練習量を増やしました。
体重も減らす決意をしました。(減量開始)
長い距離の練習に加え、6kmの短い距離の練習もするようになりました。

そして臨んだ青島太平洋マラソン。
サプリには一切頼らないようにしよう。「素で勝負」を心に決め。
レーススタート。

前半、ペースのつかみ方が分からず、4分50-55秒/kmペースで走りだし、
どこかで5分ちょうどくらいに落とさなきゃと思いながら、30km付近まではそのペースが続き、
そのあと、(予想通り?)急に失速してしまい、結果は、自己ベストに4秒足りない3時間42分16秒。

とりこぼしちゃった。

30km付近で、これで休まず走れれば、自己ベスト、そして3時間30分台、間違いなしと思っちゃって、気が緩んでしまったようで、
失速が始まり、結局、自己ベスト付近の記録にとどまってしまいました。

この時、気持ちを切らさず、緩めず、あと5km走れていたら・・・は後の祭り。

しかし、終わってしばらくして、考えてみると、
10月の出水ツルマラソンの惨敗以後、ほんとによく頑張りました。
練習内容を変えたおかげで、記録もベストの時付近まで持ってくることができるようになりました。

「どうやって年齢に打ち勝っていくか?」
これが当面の課題ですが、糸口を見つけたような気がしています。

ニンジンと神様たちに感謝し、
来年は今年破れなかった記録を1つでも多く破り、
スパルタスロン、グレートレースに挑戦できるよう、頑張りたいと思います。

まだまだ往生際の悪いアスリートを目指します。

難所ヶ滝 宝満山 登山

今日、息子と難所ヶ滝から宝満山に登るコースで山登りに行ってきました。

午前4時。目覚ましで起きるはずが、(4時に目覚ましの聞いたものの)目が覚めたのは5時13分。
一人で唖然・・

4時に起きて、ちょっと仕事して、5時からいつもの大山祇神社への16kmのコースのランニングで、
午前7時前には帰ってきて、8時に家を出て、9時から登山開始。。これが、当初の頭の中の予定でしたが、
いきなりずれてしまいました。

結局、6時10分ごろ、ランニングスタートして、16kmのコースではなくて少しショートの12.5kmのコース。
7時20分ごろ帰ってきて、バタバタと登山の支度をして、9時に漸く家を出ました。

途中、若干道に迷い。
午前10時ごろ、宇美町の「昭和の森」の駐車場に到着。

そこから、難所ヶ滝を目指し、10時05分 登山開始。
目指すは、この光景。ワクワクしながらの登山開始でした。
(2-3日前は雨の予報だったので、前日天気予報を確認し、、ほんとにワクワクしてました)

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通常なら、昭和の森の駐車場から90分くらいで難所ヶ滝には、到着できるようですが、
それはそれ、息子と一緒に登るので、2時間くらいかな・・と、ゆっくり登山開始。

コースは、「昭和の森」から、川原谷を登り、途中、分岐をいくつか確認しながら「難所ヶ滝」へ、そこから、三都山、仏頂山、宝満山 へと続く、稜線の山道へ出て、宝満山まで。
そのあと、うさぎ道から途中で、川原谷に戻り「昭和の森」まで、帰るコース。

老若男女、いろんな人に抜かれながらゆっくりのペースでした。

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↑ いつもは文句言いながらだけど、今日は素直についてきました。

↓ 少し疲れると・・勝手に休みます。(カメラを向けると、条件反射のピース)
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それでも、予定より10分早い、110分後、午前11時55分ころ、難所ヶ滝に到着しました。

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↑ この写真は、「大つらら」、少し手前の「小つらら」。しかし、ここで氷がほとんど見えず・・・

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↑ 川原谷の大つらら 現場・・・但し、氷少なし。
↓ 氷が落ちて溜まってました。
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途中、”小つらら”のところで、「やっぱり、今日はすこし暖かいかな?」と感じながらの登山で、
だんだん期待は薄くなりながらの登りになりましたが、
それでも、目的地では、多少の氷とつららを見ることができたので、なんとか”目標”はクリアした感じです。

しかし、そこであった人に話を聞くと、先週(23日)はけっこう大つららができていたみたいで、
今日は「残念」とのことでした。

当初は、雪中登山もイメージしながらの登山でしたが、
今日の温かさは、正直いって、拍子抜けの感じで、難所ヶ滝の氷が少なかったのを見て、更にというか決定的に拍子抜け。
せっかく(念のためですが)”軽アイゼン” まで買ってきたのに・・・

寒波が続く1-2月が、いい時期のようですので、改めて、登ってみようと思います。
スケジュールで次にいけそうなのは、1月25日?かな。(早めに手帳に記入しておきます。寒波が来ていますように!)

今日の登山は「下見登山」とうことで、まっいいか。って感じでです。

話は変わりますが、
何箇所か険しい登りはあるけれど、一人だと、トレイルランの練習にはちょうどいいコースのようにも見えました。
誰かのブログでは、昭和の森から35分とか。。。。そんなもんだろうな。。と思いながらの難所ヶ滝到着でした。

難所ヶ滝からは、そのまま、滝の横を登り、三都山から稜線沿いのコースに入り、仏頂山、宝満山へと向かいました。

難所ヶ滝から、1時間くらいで宝満山かと見込んでいましたが、
難所ヶ滝からの稜線沿いの山道へのルートまでが以外と時間がかかり、仏頂山まで、1時間10分、そのあと30分で宝満山で、午後1時くらいに宝満山登頂と思っていましたが、30分遅れの午後1時30分に宝満山の山頂にたどり着きました。

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途中、12時を回っていて、自分もおなかがすいてきたので、
2-3度、弁当(めし)食おうと、息子を誘いましたが。。。なぜか拒絶され、結局宝満山の山頂で昼食(午後1時30分過ぎ)。

彼にしてみれば、山に登るときは「山頂で食事」を決めてるのかもしれません。
但し、彼の場合、おにぎりを食べる出なく、フライドチキンとスナック菓子(じゃがりこ、ポテロングなど)そしてドーナツが昼食でした。

いずれも彼の好物ですが、ふつうのお弁当を食べないので、こんなのが山登りの時の昼ごはんになります。

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↑ 宝満山山頂

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↑ もくもくと じゃがりこ を食す。。。一応条件反射のピース。

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↑ 下山直前の山頂から

宝満山からは、うさぎ道・・・(うさぎ年なので、この道の名前に魅かれました・・・ってうそ)
を通って、下山開始。途中から、登ってきた川原谷に戻るコース。

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↑ うさぎ道 標識

今回の登山で、祐太郎との登山は、これで5回目。
8月:高千穂の峰(霧島)
9月:宝満山(竈戸神社から)
10月:久住山
11月:英彦山
12月:宝満山(難所ヶ滝)
毎回、登り始めは、相当に不機嫌で、私が体力に物を言わせ、
かなりうるさく文句をいっている息子を、(前半は)手をぐいぐい引っ張って登り、
途中からは、少し先を行って、あきらめてもらい、ゆっくりついてきてもらうよう、登ってきました。

しかし、今回は、ほとんど手を引っ張って登ることはありませんでした。
うーうー いう文句も少なかったかな。

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午後2時下山開始、いつものように下りでも途中何度も”へたり”ながらながらの祐太郎の下山でしたが、
2時間20分後には、駐車場に到着。

私の携帯電話の万歩計は32800歩あまり。
6時間余りのトレッキングでした。地図を見ると、ほんとにいろんな(トレッキング)コースのある山々で楽しい時間でした。

次、1月25日、、たぶん再挑戦。
雪よ降れ、寒波よ来い(恋)。
祐太郎くんにも改めて付き合ってもらいましょう。また、うーウー言うかな。

来年の予定?

今年最後の出張で大阪まで来ています。
一昨日の朝、事務所のみんなを集めて来年に向けての私の考えていることを話しました。

年が明けてから始めるリンカーズさんの事業
そして、GxP QA コンサルティング業務の 東京事務所計画。
それに伴って、現在雇う予定である1名に加え、もう1-2名の増員を計画していることを話した。
資金繰りを行うための準備、人を雇うための準備を年末年始はやることになる。

途中の仕事もあるので、忙しい年末年始になるが、、、でもいつものとおりかな?

年が明けて1月はというと、日程が決まっているバンクミーティングが1件、
決まっていないものが3件。すべて顧問先の案件で、1月はヘビーな案件が重なっている。
それに加え、監査の業務も・・・あけといて・・が2-3件あるがまだ、日程を決めないうちに、予定を入れられそうな日が一日一日減ってきている。

考えただけで、可処分時間を超えた仕事量になってしまっているが、
さて、どうなるでしょう。

いつもなんとかなっていくので、
頭(脳)に汗をかくくらい考えて、乗り越えたいと思います。
来年も突っ走ります。

アスリートと呼ばれてみたい

朝4時に起床して、仕事を少々やって、5時30分こらからランニング。
ほぼ日課のようになりました。

今朝も5時をすぎると時計をちらちら見てしまい、、、どうも体は走りたがっているようでした。時間を少しずらして、午前6時、、大山祇神社までのコースへスタート。ここんところ寒い日が続いていたので、今日は霜もなく温かかった感じです。

最近、グレートレースにどうも目が行きます。今まで運動・スポーツはずっとしてきたけど ”アスリート” の域にはどうも達していない。

私も欲張りな性格で(ビジネス、生活、社会の中で)いろんな ”したい” ことがありますが ”アスリート” もその一つ。「アスリートと呼ばれてみたい」が欲。

牧崎茂 51歳、いろんなところで肉体的な衰えも感じますが、グレートレースを見ると、まだまだ可能性を感じてしまう。これがモチベーションとなって、朝のランニングになってます。

来年はフルマラソンで3時間30分台、100kmで10時間台、それに萩往還の140kmに加え、どこかで200km超のレースにも出てみたいと思っています。

この気持ち(モチベーション)、続いてくれるといいな。

いつかは”アスリート”

鳥栖市手をつなぐ育成会 ふれあいクリスマス会

今日は鳥栖市手をつなぐ育成会のクリスマス会

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年々、参加者が減ったり、本人さんの年齢幅も大きいので、
中身に非常に苦労するクリスマス会ですが、今年もなんとか開催することができました。
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今年は、ショートバージョンで、
体育館で子供たちにゲームで楽しんでもらい、

2階の研修室で、地域の福祉サービスについての勉強会。
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来年はまた、趣向を考えないといけないけど、
さて、どうするか? 
手をつなぐ育成会は、古い団体ですが、会員が減り、高齢化。
今まで活動してきた努力が、徐々に報われ、福祉サービスが充実してくると、
以前は、身近な相談相手だった、親の会(育成会)の存在意義が薄れてきているようです。

それはしょうがないこととして、
障害者の権利擁護を含め、まだまだ、必要な福祉サービス、
そして何よりも、「障害者の社会モデル」の周知については、今から始まったようなもの。

会の存在意義を示しながら、
みなさんの意見を代弁する存在でなければならない団体ですが、
苦しい状況は続いてます。

若いお母さんたち、集まってくれないかな・・・

青島太平洋マラソンを振り返り

昨日の青島太平洋マラソン。
結果は3時間42分16秒 自己ベスト。。。と思いきや、
6年10か月前の出水ツルマラソンの記録を見ると、3時間42分12秒。
4秒事故ベストに足りなかったことが判明。

しかし、この4秒はどうでもいい感じもしてます。
やっぱり、3時間30分台の記録、、、あわよくば3時間20分台の記録がまだまだほしい。
そう思うと、いずれにしても、まだまだの記録で、
ここでやめずにもっと練習しろ・・・っといわれているような記録です。

ちょっと休んで、目標とする次のレース探さなきゃ。
ということで、2月のマラソンを探すこととします。

レースを振り返ると、
午前5時40分ごろ、大会会場の駐車場に到着。
それから、7時までは仕事や食事をしながら車の中でリラックス。
いつになく緊張感もなく、かなり自然体で、開始を待つことができました。

自然体・・がいいんですよね。
この自然体は、練習量に比例するので、練習できていれば・・の話ですが、
今回はよく練習できていました。(我ながら)

結果として、あそこでこんな練習しとけば・・と思うこともありますが、
それは次の練習の課題にとっておくこととします。

午前9時ちょうど、スタートの合図があり、一斉にスタート。。。
でも、かなりの人数でもあるので、ピストルの音からしばらくは
ほとんど動かず、、、
歩行開始、、、
のろのろ走り開始、、
といった感じで、スタート地点までが1分45秒。

そのあと、最初の1kmまでが、8分56秒?でした。
1kmを過ぎてからはスペースができてきて、まずは、マークすべき人探し。
5分/kmくらいで走る人を探して、とりあえずついていこう。
そう思い、短パンランニングの私よりは年上かな・・と思うランナーに付き、その後の5kmを走りました。

1km5分と思っていたら、
この人、4分50秒/kmのペースで走っていて、
5km過ぎるあたりから、ペースアップしていきました。

なので、いったんその人から離れ、別の人を探し、
その人とほぼ並走。

この人は5分ちょうどでしばらく走っていたけど、
途中から、一緒に走っていた人のペースが落ち出したので、そのまま前に出て、
ビアマンの着ぐるみの選手につき、走る。

ビアマンへの声援はすごく、
私もその声援の元気をもらいながらしばらく走りました。

そのあと、14km過ぎあたりから、何故か、私のほうのペースが上がりだし、
いかんいかんと思いながら、4分50秒くらいのペースで、走り、
気がつけば、20kmのラップでも1時間39分(グロスで)ハーフも1時間44分で通過。
ネットの記録でいけば、1時間40分くらいではしっている。私にしては少しハイペースの走りになっていました。

それでも、あまり飛ばさないよう5分/kmを心がけながら、
25kmを1時間2時間04分、
30kmを2時間30分ちょうど で走りぬけました。

このあたりで3時間30分台で走れるかもと思い、
自己ベストは硬いな。。と油断したような気持ちになり、
とまりさえしなければ、自己ベスト、3時間30分はでる。。。そう思いながら走りました。

しかし、31km過ぎからの失速は。。。またか、、というくらい、足がとまり始め、
おまけに、足の甲のアーチのところが痛み出しました。

いつもは、練習の1.5km~2.3kmあたりで出現する痛みで、そのまま走っていると治るんですが、
この時出た痛みは31kmすぎ。

結局、個の痛みは最後まで続き、(実は今も痛い)
苦しいランが始まりました。

ここから、トロピカルロードに入り、普通なら気持ちのいいコース。
しかし、昨年と同様、かなりきつい。
粘れる足が残っていませんでした。

右のハムストリング、
両足のふくらはぎも、痙攣の信号を出し始めたので、
足が痙攣しないように、だましだまし、、走りました。(ゆっくりになりますが)

しかし、遅かった。
いつもの事とは言いながら、
失速のレベルがはなはだしい。。

結果、グロスでは3時間44分ちょうど。
最後の12kmに1時間14分もかかってしまいました。
でも、考えてみると、6分10秒くらいでは走っていたみたいです。
しかし、相当に遅く感じたし、きつかった。

マラソンの最後の2.195の長さかな。。とか、
練習で40km走をしようとして、30kmでやめた、
30km走をしようとして20kmでやめた、

ぁの2回の練習が悔やまれます。

それと、減量・・途中まではよかったけど、
最後の詰めが甘かったかな。。目標の体重にはいきつきませんでした。

こんな課題の残ったレースでしたが、
課題が残って良かった。

すこし休んで練習を開始すれば、
また気力が戻ってくると思うので、それでなんとか再挑戦に入ろうと思います。

来年は、本格的なウルトラとトレイルにチャレンジします。
5月:萩往還140km
7月:霧島エクストリームトレイル60km
9月:富士登山レース 5合目コース
他はいつもと一緒。かな。

でも2-3月にフルマラソン探さなきゃ。やっぱり。

青島太平洋マラソン(宮崎)

マラソン結果報告。6年10か月ぶりの自己ベスト・・付近。
ネットで3時間42分16秒。
前半少し飛ばし過ぎの4分50秒/kmのペースで走り、途中調整して30kmまでの通過タイムは予定通り、5分/kmで2時間30分ちょうど。
これだと、3時間30分台硬いじゃん・・・と思っていましたが、
案の定、31km過ぎから失速が始まり、このタイム。
でも、今年締めくくりのレースとしては、満足です。
やっほー。風呂入って、ビール飲むぞ~。

詳細は、また別で書きたいと思います。

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切りのいいところで青太(青島太平洋マラソン)へ

今日は雨の中のランになりました。
行距離も今朝の16kmで12月 11日目で200kmになりました。
連続練習日数も25日になりました。(我ながらこれがすごい)
あと数キロで、今年4000kmにもなります。

なんで、そんなに走ってんの?って数字ですが。。。
 一言でいうと、往生際が悪い、、あきらめが悪い、、ということですが、6年前(6年10か月前)に出した記録が気になってしょうがない年でした。なかなかブレークスルーできない自分に・・”喝”を入れながら、結局、こうなっちゃいました。

今日で、今年河内ダムのコース201回目、大山祇神社100回目のお参り完了。
明日、明後日は練習する時間が取れそうにないので、切りのいいところで、青太にのぞむことになりそうです。往生際の悪さで、”がちんこ勝負”。楽しみです。
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