(独り言)・・生きのびること、魂を残すこと・・

最近のコロナのダメージはすごいですね。

いろんな業種、業態で、大きな業績低下が発生しています。
とりわけ観光業、飲食業については、壊滅的と言っていいダメージが発生しています。

しかし、これは外部環境であり、自分の力ではどうしようもない社会の流れ。

政府に休業補償を叫び続けることも大事であるが、

こういう時こそ、自分自身の事業を見直す時だと思います。
自分は、この事業は、だれのためにやっていた事業なのか、
そのお客さんたちに、何を伝えたかったのが?

自分自身及び自分たちが行っていた事業の意義を改めて見直す時のように思います。

そして、こういう時に何をやるべきか?何を考えるべきか?
ですが、
1. 売り上げの低下を最小限にする方法を考える。
2. 自分、自社の事業の中で今でも売れる商品・サービスはないかを考える。
3. コロナ終息後の復活に備えるための準備。
   V字回復を目指すための業務の効率化、
   新商品、新サービスの開発
4. そして、自分自身・事業の魂は何なのかを考える。
5.そして、生きのびること。

自分自身のやっている仕事・商売に対する魂が残っていれば、必ず、復活できます。
今は、それを考えること。

すべての事業者で、考え方は違います。異論もあるかもしれません。

しかし、これだけは言えます。
事業者として生き残れる人は、上記の5つを考える人。

コロナ不況は、まだ始まったばかり、これからが正念場です。
1~5を考えると、忙しくなりますよ。
これからの時期、忙しかった人が、事業に成功する人です。

頑張りましょう。
 

(独り言)・・食糧危機への備え・・

日本の食料自給率は37%(カロリーベース)ですが、

現在、スーパーは大繁盛ですが、飲食業においては、仕事ができない状況。この状況で、飲食業向けの農産物がダブつく状況が推察されます。

この状況下でほしいのは、食べる人はのボリュームは飲食業があっても無くても同じなので、シンプルに、飲食業への供給がだめなら、一般消費者へ流す仕組みが求められているように思います。

まず、食品ロスをこれでなくす。少なくする努力が要りそう。

そして、食糧危機は言い過ぎかもしれませんが、
コロナが続く場合、最悪、各国が集団免疫を獲得するまで、続く場合を想定すると、

自国の農産物に対しても、保護主義的な政策をとるところが多くなってくると思います。

そうなると、今まで輸入していたものが、日本で使えなくなる状況が生まれてきそうです。

飼料に使われるコーン、味噌醤油他用の大豆、そして小麦。
少数派ですが、海外野菜(エスニック系)も影響が出てきそうです。

と考えると、今のうちに、代替品等の対策や、自給率を伸ばす対策が喫緊の対策として必要になってきそうですね。

サプライチェーンを考えると、いろんな工業製品も同じ状況が考えられますが、

アメリカ、中国からの輸入品対策(特に中国)は、必要になってくるように感じます。

Web 会議からリモート監査(薬事監査)

最近、Web会議システムを用いた会議が多い。

先日、フランスの企業とSkype を使った会議
昨日、顧問先の地元の企業とZoomを使った会議
そして今日は、ドイツと東京を結んで、Web-Exを用いての会議でした。

現在、必要に迫られて、ということもありますが、これからもっともっと進んでいくでしょうね。

それに、今日、別の仕事でリモート監査の提案をしました。

お客さんは、急ぎたい状況、そして、現在緊急事態宣言の状態、解除されたとしても、出張はかなり厳しい。
そんな状況下、資料の電子化がどこまでできるかですが、リモート監査の提案をしました。

GMP監査や、生データを見る仕事は厳しいものもあるけど、各分野で、徐々にリモートも可能になってきています。

うちの仕事としても、早く準備をしていきたい対応になってます。
Corona Crisis まだまだ続きそうなので。

薬事監査業務の簡略化

最近、というか今年に入ってから、薬事監査サービスに関する業務はめっきり減っている。
というか、全くである。新型コロナウイルスの影響で、国内の移動が制限され、訪問する病院や、工場といった施設も、訪問することに制限がかけられている。また、海外からの顧客と同行して行う仕事もあるが、その場合、顧客そのものが日本に来れない状況であり、受注する仕事が皆無の状態になっている。

しかし、ほとんどの仕事はキャンセルではなく、スケジュールがキャンセルになっただけで、基本的には延期である。
いずれ実施する必要のある業務であるが、監査業務はそこそこ労力の必要な仕事であるので、延期と言われても、残された年度内で同じ量の仕事を処理できるわけではなく、仕事をするができなかった時間は、そのまま収入減となる。

そこで、現在準備している作業は、薬事監査業務の簡略化。特に報告書の書式を簡単な内容(所見のみ)として、報告書を作成する形式を準備中である。
とはいえ、何を見てきたのか、どう考えたのかについては、顧客にもわかってもらう必要があるので、監査記録については、網羅的に確認してきたことがわかるよう記載し、監査依頼者にも提示できるな書式で対応することを考えている。

現在は、この準備作業をしているところで、コロナ終息後の業務以来のラッシュ(勝手に想定)に備えようとしている。
現在の顧客は海外の顧客がほとんどであるが、国内の製薬企業や医療機器のメーカーにも、その顧客の対象を広げていくことを考えている。

この監査業務の簡略化により、出張から帰って翌日には、監査報告書が仕上がる。もしくは(元気があれば)、出張から帰ってくる途中で監査報告書を仕上げるスピードが実現できる。

早めに、この仕組みを作り上げて、ホームぺージ等で、具体的な手順を含め公開したいと考えている。

また、もう一つ。eTMF等の環境が整っていれば、リモート監査も実施を考えている。
実施医療機関の監査、TMFの監査(In processを含む)、治験総括報告書の監査等(これは通常リモートでもできる)をリモートでできる手順、プログラムも、上記と合わせて公開予定である。

リモート監査は、今後も需要は出てくると思う。
私の仕事としても、効率は上がりそう。

障害者福祉施設の意思決定支援システムの構築

現在、新型コロナウイルスの影響で、予定していた多くの仕事がキャンセル又は延期になり、
昨年の今頃は、気が狂いそうになるくらい忙しかったのに、催促される仕事がなく、比較的時間を自由に使って仕事をしています。

そんな中で、自分の中で、優先順位高く考えているのが、次の4つの仕事。

一つは、薬事監査の仕事のマニュアル化、低コスト化。
一つは、まっきーカレー事業の本格着手。
一つは、どんぐり村の再生計画(仕事となるかどうかは、今のところ不明ですが、全力で考えている)
一つは、障害者施設の意思決定支援プログラムの構築。(新商品の一つ)

の4つであるが、いずれの仕事も並行して、途中。

そのほかの通常業務も抱えながらの作業となるので、やっぱり進行速度としては遅くなってしまっています。

そんな中、今週中には、最初の原案を完成させたいと進めているのが、障害者施設の意思決定支援システムの構築。

昨日までの作業で、全体のプログラムと個別支援計画とのリンクが、何とか整理できたので、
これから、この仕組みの中でのもう一つの柱、「教育訓練プログラム」を作りこんでいきます。

イメージはあるので、それをマニュアル、具体的な手順書に落とし込んでいくところなので、
落としどころも見えているので、できれば今日中には、なんとかめどをつけたい。

そして、そのあと2つほど、仕上げの手順書を作成し、完了予定。

この仕組みが組みあがったら、私のコンサル仕事の、一つの商品・サービスとして、
販売を試みたいと思っているところです。

できたら、改めて、全容を公開します。

ということで、今日も頑張ります。(きばっせ いこかね!!)

(独り言)・・あえて苦手にチャレンジする。・・

私の人生、結局のところ”苦手へのチャレンジ”の結果が、今に至っているように感じます。

苦手?というと、私の場合、出てくるのが、英語とマラソンと国語。

英語?については、高校2年生?の時、一時期、英語の先生のことが気に入って、英語を好きになりつつある時期がありましたが、高校3年生になると、担任の先生が英語?だったような。で、先生があまり好きになれないと、その科目(英語)も、最終的に超苦手で、統一テスト、大学入試の共通一次でも、偏差値は39点より高くなったことはありませんでした。

マラソン?は、もともと運動神経は悪い方ではなかったので、短距離はそこそこ速く走ることができました。(運動会の徒競走は、小1~中3まで1着)が、マラソンとなると、超苦手で、順番でいくと後ろの方から数えた方が早いという状況でした。
中学校、高校では、野球部の練習で、冬場けっこう走らされていたように思いますが、真ん中よりは前だったかもしれませんが、同じ、野球部の仲間の中では、後ろの方、のような状態でした。

それが、今はというと、
独立以来、売上高の7割超のお客さんが、海外のお客さん。
当然のことながら、仕事のほとんどを英語でしないと商売にならない。

マラソン、毎年、10-11レースほどの大会に出場し、年間走行距離は、最近4000㎞を6年ほど続けています。100㎞以上のウルトラマラソンに関しては、速くはないけれども、完走するとそれなりに ”すごい” と言われ、私自身もまんざらではない気持ちになります。

国語について話せば、恐ろしいくらい成績の悪い生徒(統一テストで偏差値28点を記録)でした。

学生の時と、今とのギャップが恐ろしいのですが、
英語とマラソン、それぞれ、苦手から得意になるまでの時間?はそれぞれかなりかかっています。

英語については、会社に就職して、製薬会社の研究所という職場で仕事をしだしてから、今まで勉強してなかったことを反省し、”英語くらいは、話せるようになりたい”で、H製薬に入社後、英語の勉強を始めました。

そして10年。その間、薄い英和、和英の辞書を常に持ち歩き(今の携帯電話のよう)、重い上着を着ていつも歩いていました。

だからと言って、いちいち辞書を引いていたのかというとそうでもなく、要は、勉強する ”気持ちを切らさない” がメインで、辞書を10年以上もちあるいていたのだと思います。

マラソン。これは、息子がいるから、こうなってしまったもののように思いますが、もともとは
「野球が下手になってきたから」がメインの理由ではありましたが、「息子より長生きしたい」が本格的な理由として、ランニングを継続するようになりました。

そして、いまくらいの年齢になって、たくさん大会には出ているので、おっさんになって、今でも褒められることがおおくなっています(笑)

と、前置きが長くなりましたが、

こんな体験から、いちばん得たことは、というと、
「難しい」と思っても、”何とかなる” ということ。

厳しい状況に陥っても、”まだ何とかできる” と思うことができること。

マラソンに至っては、最長250㎞の大会ですが、限界と思っていた体力を超える競技であり、完走(完踏)してしまうと、人間の限界(能力)には、計り知れないほどの潜在能力が残っているということを、生身で感じました。

「どんな環境でも生き抜いて行ける」といった感覚になりました。

人間の限界とは、その人その人が勝手に自分で決めた能力の範囲ということであり、限界付近まで到達したことがないのに、そんなことを口にする人は多い。

しかし、その限界と思っていたところを、越える経験をすると、人間の能力の無限大性を感じますし、

厳しい環境の中でも、生き抜いていくという”根性”と、”生き抜くための知恵を考える余裕”ができているようです。

今回のコロナの影響は、経済界ではすさまじい状況です。
だからと言って、具体的な対処法がアドバイスできるわけではありませんが、

コロナの場合、今までと全く違う、未知の商売環境になっていくと思います。しかし、こういうのが、怖くなくなります。

”厳しい”状況であることは、必然的に感じますが、
チャレンジする余地についても、虎視眈々と狙える心を得られたような気がします。

新型コロナウイルスの影響は、ほんと計り知れないし、増殖(感染)のスピードはかなり速い。

しかし、これらのウイルスにより、商売あがったりかもしれませんが、見方を変えれば、まだ、マーケティングの余地は必ず残っているはず。

そして、あえて「苦手を克服できる」
そういう心持になることができるようになりました。

そして、対ウイルス対策(商売)についても、状況は悪いなりに、隙間を見つけだすことができるようになってきます。

なぜか、根拠のない自信が私にはあります。
「なんとかなる」

商売についても、いままでやったことのない領域へのチャレンジも、必要なアクションのように思います。

新型コロナウイルスの影響は、これからしばらくの間、もっと拡大します。

さてこの環境、どこか ”苦手環境へのチャレンジ” する構図にもつながっているようです。

今後2年間、厳しいですよ。
時間はできるとおもうので、今、次のことを考えておきましょう。それが ”あえて苦手を克服する” ということ。

おやすみなさい。

(独り言)・ふと思ったこと・日本で感染拡大スピードが遅い理由・・

仕事しながら、コロナの感染拡大が他の国と比較して日本が遅い理由、、ですが、

一つは、日本人には、毎日お風呂に入る習慣があり、更にマスク着用の習慣が、他国より少くとも欧米より高い(かなり)。

更に、衛生管理というか清潔(ひどく言うと潔癖症)的な意識や傾向も他国と比べて強い。

そして、最も大きな影響があるのは、検査スピードがかなり遅いこと。だったのでは。とふと思いました。

日本人的にいうと、検査方法一つとっても、機械の性能だけでなく、実施者、実施場所、実施方法等を検証できたうえで、初めて、医療機関等で、検査が可能になります。

また、今回のようなPCRを検査に用いるようなケースでは、今までの経験値がない検査方法(特定のウイルスに対し)であり、まじめに対応しようとすると、検査機器があったとしても、「いやーうちではまだできません」という回答になってしまう。(これも何となく、想像がつく)

そして、こういうことを背景に、一般の診療所へ、検査を求める人が殺到しなかった。ことで、病院での感染クラスターの発生が、間接的に抑えられて、結果として、感染拡大のスピードが遅くなっている。

この状況が変わらないとすると、検査が進まないことで、多少の不安要素はあるが、日本の特徴が、感染を送らせていることになる。

例えば、韓国では、国全体の人口の約半分2600万人が、ソウルと仁川近郊に住んでおり、病院も、日本の大学病院とは比べ物にならないくらい巨大な財閥病院(日本の大学病院の10倍?)がいくつかあり、我々が、近所で見るような市民病院は少ない。

恐らく、感染の検査は、検査能力の優れているそういう医療機関ででも実施され、感染の確認スピードが速い、と同時に、その医療機関等での感染リスクが大きくなってしまった。

勝手な仮説ですが、ふと頭に浮かびました。

このパンデミック、おそらく2年くらい続くと、これも勝手に想像していますが、

どこの国も、封じ込めをあきらめて、感染拡大のスピードを遅らせることに躍起になりだしている。

パンデミック後の復興がいちばん早いのは、日本かもですね。

みんなで頑張りましょう!!

今日は鳥栖経営研究会の役員会でした。

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今日のお昼は、鳥栖経営研究会の役員会でした。

お昼のランチョンの会議はいいですね。
時間の使い方としては、無駄もないのでいい感じです。

今日の会議では、総会に向けた事業報告と、事業計画それぞれ、決算案と予算案。まだ〆ってないので、正確ではないですが、内容的にはほぼ了承されました。

そして、総会の日程についても、いつもは5月頭に開催していますが、そのころだと開催できない可能性もあるので、1月送らせて、6月の頭の開催予定としました。

これでも、できるかどうか分かりませんが、、

それと、来季からは、経営理念の研究会を例会の合間に開催します。今のとこり、特に講師を呼ぶことは考えておりませんが、

私から経営理念の考え方、使い方の講義をさせていただき、
そのあと、鳥栖経営研究会そのものの理念と事業の方向性を議論し、そのあと会員さんの理念をネタに、ディスカッションができればと考えています。

この内容で、研究会の会員さん、鳥栖商工会議所の会員そして鳥栖を含む地域に貢献する構図ができればと考えている次第です。

会長1期目は、ほとんど何もできませんでしたが、2期目もさせていただくことになったので、少しは会の活動を通して、貢献できるよう、頑張りたいと思います。

最近、コロナで時間できたから、、余裕ができていて、
また、忙しくなったら、、できないかな、とも思いますが、
言ったらやらんといかんしね(笑)

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今は我慢と準備の時

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日米で強烈な同時株安(欧州はこの後)が続いていますが、国も、企業も、投資家も、先の見えない時は、我慢と準備のとき。

山登りと一緒で、根拠もなく動くといいことはありません。

少なくとも、ピークが見えるまでは、じっと我慢。

晴れた時の準備ができているところが勝ちです。今から勝負どころですよ (^-^)v

私は別にハム痛と戦ってます(笑)
走るのを休んで (笑)(笑)

写真はモクレン。
風になびいて、美しい 白 です(^-^)

(独り言)・・ちょっと自慢話?・・

もう30数年前の話になりますが、
うちの親が私の大学学生中に払ったお金の総額:は70万円以下?
正確に計算するとたぶん65万円くらい。

4年間を集計すると
入学金:12万円(当時)
授業料:入学~3年生前期まで:0円
授業料:3年生後期~卒業まで:5.6万円×3=16.8千円
仕送り:全部で:2万円×18か月分=36万円
合計:648,000円くらい?

数字は正確ではないところもありますが、
家の収入はあんまり多くなかったので、授業料免除を申請したら通って、
大学3年生の前期まで授業料免除でした。後期から半額免除で、半期112,000円の半額を3回払いました。

仕送りはというと、入学してしばらくは、月2万円と米、野菜?、宮崎市内のアパートから、実家に帰るたび、
米と家にある野菜をもってアパートに帰ってました。
そして、2年になるころ、仕送りを断り、アルバイトだけで、生活するようになりました。

とは言え、バイト先がスーパー、パン屋さん、すし屋さんだったので、夕食は、まかない的な食べ物で何とかなりましたし、
寿司屋さんと私のよく通っていたバイク屋さんからは、かなりごはんご飯をごちそうになってました。

それに、中型バイクも自分で買ったし(免許は家から出してもらったような)、2,3,4年の夏休みは、
北海道、信州、北海道と2週間くらいのバイクの貧乏旅行もしました。

親に「野球したい」と言ったら「勉強しろ」と、承認を得られず、
「大学院に行きたい」と言ったら、「さっさと就職しろ」と。

大学院は、別に学費もかかるので、親からすると「もうやめてくれ」の雰囲気もありました。

勉強は、、、少しやる気になったのは、3年生の後期、研究室に入ってから、、ですが、
成績は悪かったですねぇ。

授業はでるものの、理解しようとしていなかった。
最近、大学で講義することもありますが、後ろの方に座っている学生の気持ちはよくわかります(笑)
俺と似てるなぁぁと。自分もあーだったよなぁと(笑)(笑)

今、コロナ問題で、卒業式が話題になりますが、
私も、卒業式には、出ましたが、その時は私への卒業証書はありませんでした。

なぜ?、まだ、その時点で単位が足りていなかったから。
3月29日?最後の追試があり、何とかパスして、3月30日付で卒業証書をもらいました。

会社へ写しを見せる必要があったので、卒業証書をもらって3月31日、卒業証書をもって、就職先のH製薬にもっていき、
そのまま、社員の男性寮に入寮。持って行ったのは、ボストンバック1つの儀替えのみ。
布団は別で送っていたので、寝床はあり。

卒業の話にもどすと、
いちおう4年で卒業しましたが、成績は、クラス40人中24番目の成績。
残りの16人は留年か退学なので、結構厳しいクラスではありましたが、超ぎりぎりで卒業。
”優”、”良”、”可”が、単位ごとにつけてあったような気がしますが、パスした単位は、ほとんどが”可”。

今考えても、奇跡的な卒業でした(笑)(笑)(笑)

大学の前半、退学して、もう一度勉強しなおそう(医者になろうと思いました)と思ったこともありましたが、
結局、思い悩みはしましたが、勉強という勉強をしないまま卒業してしまいました。

大学4年間は、学業は勉強しないままではありましたが、
体育祭(宮崎大学で当時ありました)と学園祭の時の、応援団長、団長という学科のリーダー役はさせていただきましたし、
天気が良い日にふらっとでかけ、日南海岸をバイクで走った思い出などが、自分自身の今の人格を作ってくれたような気もします。

こんなことを、ニュースで流れた、卒業式中止等の情報で思い出しました。

私の話など、どうでも、良い話ですが。。。

おやすみなさい。