医薬品開発とICH-Q10

今日は、先週からGMPの仕事で、現在報告書作成中ですが、
並行して、ある雑誌の投稿論文も今週中?この週末中?に書き上げないといけません。

頂いたお題は治験薬開発とICH-Q10.
ICH-Q10・・・医薬品の品質保証システムの話で、医薬品のライフサイクルを考えると、かなり幅が広い。
開発というところに焦点をあてると、すこし絞られてきますが、

ポイントはISOで要求されているマネジメントレビューとリスクマネジメント。

多くの経営者が分かりにくいと思っている研究開発の部分を、
いかに分かりやすく、マネジメントしやすくしていけるかが、これからのポイントになってくる。

医薬品開発においいて、GLPやGCPと比べ、GMPの分野は、外部の企業・団体とのコミュニケーションが少ない。
効率的なリスクマネジメントの方法、分かりやすいリスクマネジメントの方法により、

より効果的な生産管理の仕組みを考えるのがICH-Q10の目的です。

これから、各社で試行錯誤が続くと思いますが、
経営に役立つGMP管理・・・これを一つの方向性として、考えていただきたい。

自分自身の限界探し

昨日のスパルタスロンの話の続き。

マラソンを”おもしろい”と思ったのは、自分の人生と重なったから・・・とは大げさですが、重なったイメージをもっているのも事実です。

42.195km 初マラソンのときは、
はじめてのマラソンで、何が起こるんだろう。。と不安。
未知の世界への”旅”をイメージして走りだしました。もう13年くらい前?。

そして、意気揚々とはしり、ハーフを折り返し、1時間45-49分くらいで折り返したような記憶です。
ここまでは、楽勝と思いながら走っていたのですが、25km過ぎに、どうも前を走る人についていけなくなり、
ずるずると、ペースが落ち始めました。

さて、今から・・と、数回は思ったような気がしますが、前には進んでおらず、
老若男女・・どんどん抜けれ始めてしまいました。

それでも、あきらめたわけではないのですが、
25kmから30kmまで、、遠かった。
30kmから42.195のゴールまで・・・気の遠くなるような”遠さ”を感じてました。

35km付近では、今までに経験したことのない”きつさ”を味わい始め、
「こんなレース2度とでるか」。。と、思い、一人ぶつぶつ言いながら走ったのを覚えています。

ほんとにきつかった。
結果は4時間8分だったけど、最近かかった4時間30分の時よりも、百倍きつかったのを覚えています。
なぜ”百倍?”—それは、はじめての経験だったから。

しかし、そのあと、しばらく経つと。
4時間を切れなかったこと、
半年やめていたたばこを吸って、おいしくなかったこと?
そして、ゴールの時のそう快感?
自分自身の満足度。。などなど、重なり、

2週間後には、次のマラソンレースを考えるようになりました。
そこから、ランニング人生の始まり。

(中略)

そして、48歳の時、49歳で100kmマラソンに挑戦することを決意し、
大会目にに、1年間で3回以上フルマラソンを走ることを決意し、3回走りました。

そして、おととしの6月3日、はじめての”阿蘇カルデラスーパーマラソン”に出場しました。
結果は、思いのほか走れて、11時間26分。
朝5時にスタートして、夕方4時26分にゴール。

このレースが、今の自分を喚起したレース。
100km走れるんだ・・・という自分の力への賛美。
100kmの途中で降りてきた神様・・・途中2回ほど(55km過ぎと92km過ぎ)、体が軽くなりました。

なんじゃこりゃ。。。という感じですが、自分自身の体の不思議を感じた瞬間でした。
人間ってどこまで走れるんだろう・・・
皆が思っている、自分の限界って、ほんとに限界?

自分自身の限界って、どこなんだろう。と、

未知の世界への興味。これが現在マラソンを走っている理由。

走る距離を延ばせば延ばすほど、その気持ちがわいてくる。

これがm、現在の私のマラソンに対する興味。
自分自身の限界を探して、今日もトレーニングします。明日も。

鉄人系オジサンアスリート。
今はこの言葉を目標に、日夜頑張っています。

最後は、書きながら、疲れちゃった。

習慣化できるか

私は今、スパルタスロンのいうギリシャで行われるレースに出たいと思っている。

アテネからスパルタまで243.5kmを走破するレース。
間かんぺいさんが走って日本でも有名になったレースである。

このレースに参加しようとすると、
日本人枠が70人ほどあり、そこに記載されている条件が、
250km以上のレースに参加したことがあり、36時間以内でゴールした経験があること。
100kmのレースで10時間30分以内で走ったことのある人 とある。

私はまだ250kmのレースを走ったことがない。
100kmは走ったことはあるが、最高で11時間26分。
標準記録に一時間も足りない。

マラソンはじめて、十数年。年齢51歳。
ウルトラマラソンのデビューが49歳で現在、100kmの完走歴4回。

現在ウルトラマラソンの10時間台の記録を目指して、トレーニングをしているところであるが、
スタミナ、スピードとも、まだまだ足りない。

今年に入って、300km/月以上の量の練習を続けているが、
なかなか記録は伸びない。
年齢のせいもあるかもしれないが、この練習量では、足りないようである。

最近、練習量を増やしているところであるが、
これもけっこうしんどい。

これを、習慣化できるとブレークスルーできそうな気もするが、
分からない。どの程度量を増やしていけば。。。

目標のレースに出るためには、
標準記録をクリアするためには、

体質から変えていかないと到達できそうにない。
体重も減らし、体脂肪率を10%前後まで落とす。

そして、練習量を増やして、標準記録を目指す。

こんな簡単なシナリオになるが、
仕事の量とのせめぎあい、時間の使い方が本当に悩ましい。
目標を決めたら突っ走りたいところであるが、そう簡単にはいかない状況もある。

ここをなんとかして、少しでも前に進みたい。
どこまで”習慣化”できるかが課題である。

金峰三山山岳マラソン・日記

今日、金峰三山山岳マラソンを走ってきました。
結果は、前回の5時間35分を33分短縮し、5時間02分で自己ベスト。
われながら。よく頑張りました。

ちょっと長文ですが、今回のレースについて書いてみました。

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金峰三山山岳マラソン・日記

金峰三山山岳マラソン。今回で3回目の出場となったレースです。
一回目は、4年前の夏、翌年6月に開催される阿蘇カルデラスーパーマラソン(100kmマラソン)を走ることを決意し、翌年の4月くらいまでに、3回フルマラソンを走ろうと思い、選んだマラソンレースの一つでした。

ランネットで検索し、たまたま見つけたレースですが、当時の私にとって実に特殊なレースでした。(これがトレイルランとの出会いなんですよね)

今回で21回を数えるこのマラソン大会ですが、極めて無名の大会で、参加者はウオークを含めて総勢400人。コースは30kmとフルの42kmそれにウオーキングがありますが、42kmのフルコースは280人余り、と普通のマラソンの大会にしてはかなり少ないレースです。
ちなみに、佐賀さくらマラソンはフルが8500人?その他を入れて一万人。(ホー。。すげ)
(またエントリーしたので、来年こそは走るよーん)
(話をもとに戻して、、、)
そんな大会であるが、コースは、有明海側からみるとよくわりますが、海から見て、左から、一の岳、二の岳、金峰山と3つ並んでいます。その山々を登りながら走る42kmのマラソン大会なのです。

今までのマラソンとは違い、どんなマラソンになるんだろう。。。と興味しんしんで参加した4年前の初回のレースでした。

結果は、6時間9分。初マラソンのタイムが4時間8分。それから考えても、途中何があったんだろう。。と思うような結果ですが、山登りが間に入るきつさを思い知らされたレースでした。途中、足は痙攣しっぱなし、足の痙攣をごまかし・ごまかしながら走った42kmで、それまでに経験したことのない“きつさ”を感じました。

さて、今年。3回目のチャレンジでしたが、前回のタイムが、前々回と同様足の痙攣に悩まされながら5時間35分と検討していたので、このタイムを上まわることを目標に走りました。

今年は、歳も51歳にもなり、マラソンの自己ベストがでなくなり数年になります。なんとか、この年齢でもマラソン、100km、ハーフそして10kmのレースでも自己ベストを出してみたい。そう思って走り込んで、2週間前(10月19日)も、自己ベストを目指して、フルマラソンを走りました。

結果、、、惨敗。
練習もしたつもり、でしたが、最初飛ばしすぎて、途中から撃沈。
同じことを、今年、阿蘇カルデラスーパーマラソンでもやってしまい。今年は、ターゲットとしたレースで、初めの飛ばしすぎで“玉砕”という言葉が、適当と思えるようなレースでした。

ご褒美を目の前にぶら下げる、ニンジン作戦も試みましたが、最初の飛ばしすぎに拍車をかけるようなことになってしまい、まさに玉砕の結果でした。

で、今日はというと、
直前の1週間の練習で150km超走り、食事はカーボローディング(がっつり炭水化物)ではなく、“野菜中心”、“ご飯を控える”で、体重を少し落とし(たような感じ)、で臨みました。そしてもう一つ、サプリは取らず、自分の“素”の力を信じ、走ることにしました。

そして、朝のレース1時間前、“ウイダーインゼリー”と“おにぎり”を並べ、しばらく考えて、おにぎりを選択。その後は、エイドの水分、食べ物だけで、調整し、42kmを乗り切ることを決意し、試合に臨みました。

朝9:00、スタートの合図で一斉にスタート。
いつもだと、ぐんぐん飛ばしてしまうところですが、自重・自重。
できるだけ、ペースを落として、登山のコースに入るのを待ちました。

とは言え、いつもの癖。すらっとしたお姉さんの近くを同じようなペースで走っていたので、最初の30分、山登りが始まるまでは、マークして一緒のペースで走りました。

マラソンする女性のうしろ姿はかっこいいので、ついついペースメーカーとして、ついていっちゃいますね。(これは癖?と言えるのか?・・・でも真実)

しかし、悲しいかなこのレースでは、女性は少なかった。
42kmのコースにエントリーしている女性は、281人中31人。
そのうち、ついて行けそうな若い女性・・・というと、あまり見当たらなかったような。
私が全281人中69位で、その前にゴールした女性は4人。

ということで、その最初の30分のあとは、ほどんど女性が走っているのを見かけることはなくなりました。。。。というと、あとは自力のみ(笑い)。

そして、最初の“一の岳”登山へ、
ここは、以外とあっさり登り、山頂通過タイムが56分。
山頂にエイドがありました。このレース特有かもしれませんが、水、スポーツドリンクの他にコーラ。このコーラがうまい。ばっつぐん。

いつものマラソンだと、じわじわと汗をかいていきますが、山登りだと、しかもランを心がけているので、汗の噴き出し方は相当なものです。

山の上だから、寒い。特に今日は寒かったけど、体感の寒さとは別に汗だけは噴き出していました。頂上ではちょうど、日も照っており、少し暖かめのところで、コーラはうまい。
コーラをちょびっと堪能した後、下山開始、
途中で、コース審判として立っている女性ボランティアの人に、寒いですね、と声をかけながら、勢いよく下山。(かこいいとこ見せようと。。入り口だけ)

そして、二の岳へ、
しばらくロードを走り、1時間20分ごろ、二の岳への登山開始。
一の岳と比べると、登山の時間は長く、しかも、頂上かと思った展望所から、更に一旦下って登る・・・いやーなコース。それでも、マークした別の選手をしっかりとらえ、ながらも、なんとか頂上へ。山の中だと、抜きにくいし、後ろからも付いてこられていたので、息を一所懸命、整えながら、登り、走りだしてから1時間56分ごろ?二の岳を制覇。

二の岳では、途中の展望所と頂上がエイドステーション。2か所とも眺めは最高で、有明海が一望でき、気持ちのよい一瞬でした。

両頂上でコーラを堪能した後、二の岳下山。
ここは、最初は一人で勢いよく下っていたつもりですが、途中から、後ろから追われる形になり、抜かすのも大変なので、かなり集中して、忍者のように駆けおりました。

足はきつかったけど我ながら、足もよく動いた。途中のチェックポイントで、おばちゃんから、こけないようにね。と声をかけられ、、、そうそうと思いながらも、スピードを緩められず、そのまま、ロードまで抜けました。よっしゃー・・と。ときもちは叫んでました。

なぜか、、、これでちょうどレースの真ん中の2時間23分ごろ。
足が以外と元気だったので、どこまでもつかと危惧しながらも、いけるかもと思った瞬間でした。

そこから、30分あまりロード。途中、ちょうど真ん中?になると思うが、エイドステーションがある。ここで、フルーツポンチ。絶品。1回目だったか、2回目だったか、ここでフルーツポンチをおかわりしたのを覚えてます。

今回もうまかった。ここで、このフルーツポンチとおにぎりをいただき、いざ、3つ目の山、金峰山へ。

20分あまり走ったところで、金峰山のふもとに到着。ここで、3時間ちょうど。
おっ早え。
この時点で、いつもより少し早いのを実感。行けるかも。ひょっとして、ひょっとして5時間切れるかも。。などと考えながら、、、、いやいや、無理せず、止まらないように走ろう。
そんなことを考えながら、山頂を目指して走りました。はないな。登りました。

そこから、山頂までは、36分かかりました。
ふうふういいながらも、止まらずに登れば、こんな感じになっちゃいます。当然ですが、途中の登山の方たちよりはかなり早いペースです。

どこで、足が止まるだろう、どこで足が痙攣するだろうと、思いながらの登山でしたが、なんと、無事に、痙攣なしで、山頂まで到着。

一度、宮本武蔵の気分を味わってみたい。こうやって修行もしてたのかな。。などと
勝手に考えながら登りましたが、武蔵はここにこもっていただけ?だったような気もしますが。。

でも、坂本竜馬の次に好きな歴史上の人物。彼の強さにはやはり憧れます。

前回、前々回は、ここで、両足のふくらはぎ、太ももが痙攣し、しばらく動けなかったところですが、今回は、無事。いけるいける、自己ベスト間違いなし。を確信した瞬間。

あとは、5時間を切れるかな。とも思いましたが、欲を出すと、いつも裏目にでるので、今回は、「止まらずに走りきる」ことだけを考えて、以降を走りました。

結果、最後まで足は萎えることなく、動き続け、最後の6kmにいたっては、下りではあったけど、最後の登りの1kmを除いて、5分/kmくらいのスピードでも走れました。

結局、前回のニンジン効果。直接的でなく、間接的に聞いたのかもしれませんが、
悔しかったので練習量を増やし、レースでは、欲を出さないように走ったのがよい結果を生んだようです。

しかし、アスリートとしての調整はまだまだ。
次のレース、次のレースで、頑張ります。
近い将来、スパルタスロンに出場できる選手(アスリート)を目指します。

可能性。。。ゼロではないでしょう。がんばります。