感情と礼節

パキスタンで、ビンラディン氏が殺害され、アメリカでは歓喜が起こっていた。

福島では、東電社長が、地元住民に土下座しろと言われ、土下座をしている写真がニュースになっていた。

ビンラディン氏がアメリカ国民の多くから憎まれていたことは言うまでもないことであるが、殺害の状況が明らかになるにつれ、

アメリカの感情が礼節?を上回ってしまっていることを感じた。

ビンラディン氏は、米軍が突撃してきたとき、武器を持っていなかったという。

それなのに、捕捉せずに、殺害という選択が行われ、アメリカは正当な殺害だったといっている。どこに、ロジックがあるのか。明らかに法を無視している。

捕捉し、法の場で正当にさばいていくのが、正しいやりかたと私は信じる。

しかし、氏を生かしておくと、それを旗印に新たなテロが起きる。これを考慮された殺害だったとは思うが、、、、いずれにしても解決策になっているとは思えないのは自分だけでではないだろう。

一方、東電社長の土下座の件、

こちらは法を破ったわけではなく、法律の想定を超える災害にあい、

その被害が住民に深く及び、住民の怒りをかっている。原発が立った時は、リスクを考えたうえで、補償も受けながら、建設に至ったはずである。

「福島県知事の東電社長に面会しない」行動にも違和感を感じた。

みんな感情に負け、礼節を忘れた行動になっている。

これが人間らしいといえば人間らしい行動かもしれない。だから悪いとも言えないところもある。

しかし、言い過ぎ、やりすぎは、やはり人間として、品格を疑うことにつながる。

みんながみんな感情に負けず、少しでも多くの人が礼節をもって行動することを、切に思願いたい。