コンサルタントの仕事は、実は通訳!

私の仕事って通訳?
今日、改めて思った自分の仕事。

薬事コンサルタントの仕事で、お客さんが外国なもので、ほとんどを英語で仕事していますが、英語の通訳はあまり得意ではありません。

今日の通訳は、人 と 人 との通訳。

私のお客さんの社長さんもそうだけど、自分の気持ちを上手に表現できない。

金融機関へもしかり、
交渉相手や関連企業との話もしかり、
従業員との話しもしかり、

どうも、話がうまくかみ合わないことがよくあります。
というか、常にそういう状態の人がいます。

そういう時(話がかみ合っていないとき)に、
「この人は、こういうことが言いたくて、こう言ってるんですよ」
とか、
「この人はほんとはこういうことが言いたくて、こういう対応になってるんですよ」とか、

特に、今日の顧問先企業の社長さんとの相談では、
対 従業員へ、
対 金融機関へ
のコミュニケーションがあまり上手でない。

おのあたりが、うまく通訳できると、お客さんからの信頼度もかなり上がります。

「いろんな知識、考え方を指導する」が、一般的なコンサルタントという仕事への考え方。

しかし、実は(社長さんたち)の言いたいことを、
上手に表現して、通訳してあげること。

本日の最後の仕事は、社長さんとの面談でしたが、
従業員さんへの通訳を約束した結果、
社長さんの、営業意欲が増しました。

話を聞いただけのような気がしましたが、
最後は前向きの気持ちになった社長さんの満足顔をみて、相談は終了しました。

我ながら、いい仕事したような気がしました。

2016.07.09 ビジョンと目標 — 大事ですよ!!

人間、生きていくうえで、目標ってとっても大事なんです。
仕事(経営コンサルタント)で、企業さんを指導するときに、
”ビジョン” という言葉に、反応できる人・社長さんは、今からでも伸びる人です。

様々な、中小企業さんに、お邪魔して、会社の体制を立て直す。
そういう仕事が多いのですが、”ビジョン” に反応して、その意味を理解してもらえると、マーケティングのストーリーも、社長もその気になる、きっちりとした嘘のない計画・戦略を立てることが出来ます。

個人の人生でもそう。
自分自身の目標、ビジョン、将来の自分自身の姿をイメージし、探求してくことで、人は成長し、人の役に立っていく。

人生でも、企業経営でも、ビジョンはとっても大事なもの。
しかし、それを上手に育むには、また別の切り口がいるのも事実ですが、

意外と「ビジョン」という言葉に、反応しないひとが多いようも感じているのも、今日この頃です。

「自分で、何をしていいかわからない」
「自分が、何になりたいのかわからない」

でも、これって自分の生きがいを見つけるプロセスの中の一コマ。

シンプルに、自分はこういう人生を送りたい、
こういう人間になりたい、(これが、ビジョンですが)

そう思えた時、そして、それをどうやって達成しようかと考え始めた時、人生はとっても楽しくなります。

「楽しくなります」というよりは、
「こうなりたい」と思うことができれば、少々の逆風には簡単に耐えられるのです。

自分の気持ちに素直、社会的にロジック、
これが、ビジョンの大事なポイントですが、これは、NPOであろうが、任意の活動団体であろうが、変わりません。

組織としての共通目標、
スタッフの貢献意欲、そして、
充分なコミュニケーション

会・組織(NPO、社福)及び任意団体等を運営するにあったって、これらが、もっとも大切なポイントであることは言うまでもありませんが、将来的な目標は絶対に必要です。

ちなみに、私の最大級(てっぺん)のビジョンは、
「100歳で「ノーベル平和賞」を受賞する」

この点ははっきりしているのですが、

まず、100歳まで生きるためにどうするか、
100歳までに、やりたい事業は何なのか、
どうやったら、ノーベル平和賞というキーワードに近づけるか。

人生、試行錯誤を続けてながら、
楽しみながら、生きていくものです。

永くなりましたが、先日「ビジョン」の話をある方にして、
あれっと、思っちゃったので書いちゃいました。

あしたからも、きばくんやんせ!!

2016.05.02-04 萩往還マラニック 250㎞ 一応完踏!!

2016年 5月2日から5月4日にかけて、開催された萩往還マラニック 250㎞に参加してきました。

開催数日前は、絶好調の感じで、タイムも40時間くらいでいけないかなぁ なんて甘い考えもありましたが、
蓋を開けてみると、やっぱり、史上最高というか、私の今まで経験した中で、もっとも過酷な、きつい大会でした。
なんとか走り終わって、まだまだ、修業の余地を感じ、私としては本当にかけがえのないいい経験をさせてもらったと感じています。

結果は、すべてのチェックポイントをクリアし、タイムも残り3㎞ちょっとで、残り時間35分と、ほぼ制限時間内完踏を目の前にして、撃沈し、時間は48時間を超えてしまいました。
一応、撤収中のゴール付近にたどり着き、記念写真。ちょっと寂しかったけど、人生ってこんなもん。ちょっとほろ苦い経験でした。

また次を頑張らないとね。

DSC_0625

DSC_0629

DSC_0632

レースは、5/2 18:00~ 数十人づつのウエーブスタート。
私はたぶん第4組あたりで、エイエイオー!! の掛け声で、18:06分ごろのスタートになりました。

スタートの前日、仕事が終わらず、午前1時まで仕事、午前5時には起床して仕事の続き、、という、少しハードな前日を過ごし、
会場入りしてからも、いくつか仕事の処理をしながら。15:00ぎりぎりに説明会会場に到着。

その後、仮眠・・を考えていたんですが、その時間も作れず、18:00スタート。かなり、ねむーい感じのスタートになりました。

DSC_0601

前半というか、一晩目は、暑ーい ランになりました。

最近、熱中症に弱いな。。と感じている私にとっては、初日から、きつーいランになりました。
それでも、時々、体温上がっちゃったなー と感じたら、歩きながらクールダウン。そして、ゆっくりリスタート。
体調も万全に感じていなかったので、ゆっくりとはいうものの、おそらく相応というか、ゆっくりが精いっぱいのスピードだったかもしれません。

上り坂の続くコースで、なかなか距離が進まず、22-3㎞の地点ですでに3時間(夜9:30を回ってました)あまり、イヤー先は長いなー と感じさせられました。

そして、明け方になり、漸く長門抜け、俵島へのルートに到着、(旧油谷中:87㎞地点)を通過、午前6時過ぎ。

午前7時ごろ、海が見えてきたころ、雨が降り出しました。
本日の過酷な一日の始まりです。

その後、雨は午後4時くらいまで降り続き、合計約9時間。雨に打たれながらはしりました。

俵島を過ぎて、立石観音、千畳敷と向かうところでは、完全に暴風雨状態。
正面、横から容赦なく強風が吹き付け、気を緩めると飛ばされそうになるくらいの、風雨でした。

私の経験した中では、史上最悪のランニングコンディションでした。
昨年の140㎞のときにも、一晩雨に打たれ、ついてないなーーとおもっていたのに、さらに強烈な悪天候。。。なんてこった。

DSC_0617

それでも、暴風雨の海岸沿いを何とかクリアし、日置エイドを通過し、次のチェックポイント 湯元温泉へ向かいました。
しかし、この時点で、何㎞?おそらく、130-40㎞を走ってきていて、体のぼろぼろ感は、今までで最高レベルに。(初めての経験領域に入るので当たり前ですが)

ラン友のリタイヤの連絡も入り、私自身も頭の中で、リタイヤの文字がちらついてました。
でも、「とりあえず、止まらずに進んで、タイムアウトならしょうがない」

そう思いながら、湯元温泉のチェックポイントに到着。すると、神の声が、
この次の静が浦のチェックポイントが悪天候のため、キャンセルになったとのこと。

前半の最大の休憩ポイントである、宗頭文化センターまであと20㎞あまり、その中の約12㎞がショートカットされることを知りました。
まさに天の声。もう少し、頑張る気持ちを取り戻し、仙崎公園での記帳を終え、宗頭文化センターへ向かいました。

しかし、全く走れず、ほとんどを歩いて、宗頭文化センターに向かいました。
結果、当初明るいうちに、ここまでこれてたらいいなと思ていたのに、ここのチェックポイント到着は午後9時30分過ぎ。
想定より、だいぶ遅れて到着。

それでも、残り75㎞に20時間近い時間を残し、なんとか行ける。。と思いながら、
欲しくてほしくてたまらなかった、仮眠を約1時間とり、

午前0時ごろ、宗頭センターをリスタートしました。
DSC_0622

あと75㎞。体は、痛いけど、みんな一緒。
頑張るしかない。

暗ーい 夜道を、一緒になった人たちと、なんとか駆け足スタイルで、進んでいきました。

三見駅(ここで10分ほどの仮眠)を抜け、夜の音だけの海岸沿いを萩市内方面を目指しました。
走らなきゃ・・・でも、足が動かん。が、独り言で、悶悶としながら、前へ進んで行きました。

そして、午前7時ごろ何とか、虎が崎に到着。
DSC_0626

ここで名物のカレーを大盛でいただき、7時20分ごろ、虎が崎を出発し、東光寺経由で、萩往還道に向かう道に入りました。
この時点で、残り、45㎞ で残り時間10時間30分あまり。

きついけど、なんとか行けるだろうと、前へ進みました。

DSC_0628

そして、午前9時ごろ萩往還道に入り、
明木のエイドに到着したのが、午前10時ごろ? なかなか進まない足に苦労しているところで、
電話が鳴っているのに気づき、家内から、義母の訃報を聞きました。

走る前から、悪いのは分かっていたので、驚きはありませんでしたが、
義母から頂いた選別のカロリーメイド ジェル(リンゴ味)があったのですが、
食べると逝ってしまいそうな気がしていたので、大事に大事に、後ろのほうにとっておき、
午前3時過ぎ、走りながら食していたところでした。

食べちゃったかなラナーなどと思いながら、
あとは、完踏するしかない。。そのな思い出、走りを続けました。

午後、3時、佐々波エイドで、関門ギリギリでクリアし、時間的にかなり厳しくなっていることを知り、
そこからは、気合を入れなおし、走り続けました。

途中、先輩方からのアドバイスもあり、
夏木原のキャンプ場をなんとか、ぎりぎりの午後4時50分ごろ通過し、
これで。完踏間違いなし。を確信しました。

しかし、ことは思うように行かないもので、
萩往還道の最後の石畳を抜け、最後3㎞ちょい 残り時間35分。
走り出しましたが、なかなか、足が思うように動かず、歩き出してしまいました。

ここで、10分我慢して走ることが出来れば、制限時間内に完踏で来ていたのに、、、が後の祭り。

歩くと、体温が上がり、おまけに、背中にせおっていた水が底をつき、
走れない状態になってしまいました。

結果、制限時間内のゴールをあきらめ、
完踏のみを目指し、制限時間と少々時間がかかってしまいましたが、ゴールまでたどり着きました、

走行距離 238㎞ 48時間と20分くらい。
残念でしたが、かけがえのない経験をまた一つさせていただきました。

萩往還マラニックのスタッフの皆さま ありがとうございました。感謝です。

アー眠かった。終わり。

2016.04.09 海外からの飛行機の中。海外展開におけるローカライズという考え方。

いつものように、外国からの帰りの飛行機で、ドキュメンタリー系の番組を見ています。(映画も見ましたよ)

今日は「世界は今」というJetoroが作った番組をみました。
国内の企業の海外展開・グローバル戦略を特集とした番組ですが、いろいろありましたが、”お茶” と ”おでん” の話は面白かった。

おでんをタイで広めようと考えた、ファミマは、トムヤンクン味のおでんを販売しています。日本人には、ええ~っ て感じですが、現地ではうけているようです。

そして、お茶。日本のお茶、煎茶は、そのままでは、海外では不評。しかし、ミルクを入れて抹茶ラテは、欧米では、受けれられ、お茶をコーヒーやコーヒー牛乳で割ると、中国人に人気でした。

キーワードは、日本の商品の ローカライズ (現地商品化)

日本の良さをそのまま、海外にも分かってもらいたい。そのうえで、販売を広めていきたい(例えば日本酒)という取り組みもわかりますが、

やはり、現地のことを理解していないと、マーケティングなどできるわけもない。

これを突き詰めると、やはり、既存の商品(日本で売っている商品)を、少し変えて、現地向けに新たな商品としていく。

この努力がない限り、日本の農産物の海外展開の進化はないですね。納得の番組でした。

DSC_0344

私も、機会があれば、これからも海外展開を行いたい事業、企業を応援したいと思っていますが、マーケティングを考えると、必ず、この展開を考えることになるでしょうね。

2016.03.26 障害者差別解消法 学習会

おはようございます。
今日は朝ランなし。
明日、ハーフ走るので、少し休もうかな、、と。
でも、午前中にシューズが届く予定なので、試走くらいはするかも。。。(時間あるかな?)

さて、今日は午後13:30から、
「障害者差別解消法の学習会」があります。
うちの会(手をつなぐ育成会)で初めて、特別委員会とも共催になります。

障害者の「社会モデル」と「医学モデル」
この考え方の違いをまずは学習します。

えー、こんなことが「差別」になるの。。。。
4月以降、「社会モデル」が、基本的な考え方になります。

今までの法律は、当事者(障害者本人、保護者、支援事業者)のみが考えればよかった法律ですが、

この「法律」と「考え方」は、当事者以外の人が障害者の存在を改めて考えないといけない法律なんです。

今までは、障害を持っている方の
「泣き寝入り(障害をもっているからしょうがない)」が妥当
とされていたところが、変わる。そんな法律です。

良かったら、勉強しに来てください。
きっと、気づきがあると思いますよ。

時間:13:30~
場所:鳥栖市社会福祉会館 2F

チラシ

2016.03.25 GCP監査というお仕事

昨日から、京都にでてきておりますが、
内容はGCP監査というお仕事です。

監査にもほんとにいろいろありますが、私が業としているのは、GMP、GLPおよびGCPなどの薬事監査。
この他に、GVPといって、副作用情報の収集・報告業務が医薬品、医療機器の会社にはありますが、その業務に対する監査も私の仕事になります。

監査業務はもともと、第3者的に実施するのが基本ですので、
薬事法で監査を整備した時も、本来なら、完全に独立した機関が必要と考えたはずですが、現実として、その当時、特に日本ではそういう機関、昨日はありませんでした。

なので、自己点検とか、第2者監査、内部監査という役割が現れ、現在に至っています。

仕事の内容としては、薬事と知識と、品質管理の知識が必要です。
この2つがあれば、あとは、業務、現場に合わせて、工程管理のエッセンスを適用していけば、業務の流れ、品質を抑えることが出来ます。

昨日と今日の仕事はGCP監査のうちでも、実施医療機関の監査という仕事、病院で実施される臨床試験の監査です。
臨床試験は、試験のフェーズが上がっくると、複数の病院で、同じ薬の効果・副作用を確かめる試験を行います。

すべての臨床試験施設(病院)を監査するわけにはいきませんから、抽出して、いくつかの病院を訪問して、監査を実施します。

今回はその臨床試験施設の監査で来ておりますが、
日本では、こういう仕事を代行する人材、機関はまだまだ少ない。国内での同業者?片手で、23本?使えば足りるくらい。

ブルーオーシャンじゃないですか。。。とよく言われますが、
それはそれなりに、むつかしいビジネスですので、お客さんをどうつかんでいくかは、ブルーオーシャンでも、課題になります。

さて、これからこのビジネスをどう料理するか。
経営コンサルタント(中小企業診断士)としての、腕の見せ所ですね。ふふっ

さて、いきますか。

2016.03.12-13 萩往還マラニック 練習会

いろいろ収穫の多かった 萩往還マラニック練習会でした。
まずは、誘っていただいたU村先生、一緒に参加されたウルトラランナーの方々に感謝です。ありがとうございました。

練習会振り返っておきます。(長いです)
夕方17:49分、長門市の仙崎駅からスタート(私は遅刻したので、一つ先の駅から)合流し、そのあとは萩往還マラニック250㎞のコースを約90㎞走る練習会でした。

参加目的の第一は、「道を覚えること」でしたが、
私以外の参加者は、毎年、この練習会に参加されている方で、皆さん250㎞を数回以上走ったことのあるベテランばかりで、この目的は私の目的でした。

おかげさまで、暗い中でのコースは、道を覚えられたかどうかは、わかりませんが、萩往還道に関してだけ言えば、3回目なので、だいぶ道を覚えました。

体力面では、走り方については、先輩方からもいくつか指摘は受けましたが、個人的な感覚としては、最近の走り込みの分の体力はだいぶついてきている感じでした。

最後の佐々並市から、ゴールまでの長ーい上り坂を含む最後の峠越え(80㎞→90㎞)も、休まず走って登り切ることができたので、我ながら、体力を感じました。

走り方について
上記の体力とも絡みますが、走り方のフォームも、ひとつつかんだような感覚もありました。キーワードは「リズムとばね」

「リズム」は、多くは、呼吸で、スースーハ―ハーの基本は変わらないのですが、登り、下り、山道で、それぞれ、切り替えて足を出すタイミングを作って走りました。呼吸に合わせて、足が動く。。といった感じでした。

それから「ばね」については、表現が難しいのですが、
軽ーく、膝を緩め、前に出す足は斜め外、そして呼吸に合わせて、体をゆする。(この時、力を入れない)

でも、リズムに乗ってくると、長ーい上り坂でも、ペースもじわっと上がってきました。

この走法が、フルマラソンレベルで、どこまで使えるかどうかはわかりませんが、この距離を走ってわかる感覚でした。

最後に、足の裏とかかと(足底腱膜炎)
今日も今回もいちばんの不安材料でした。
左足の足底、かかとの調子がいまいち、痛み止めのロキソニンを忘れ、不安なまま、走り出しました。

予想通り、前半から、痛み。ぜーんぜん治ってない。
このまま痛みが続くようなら、走らいながら、萩で練習会やめようかな。と頭をよぎっていました。

しかし、萩到着が、23時を過ぎ、ここでリタイヤしたところで、結局、自力でなんとかしないといけない。
歩いてでも、最後まで行くしかないか。。と開き治り、違和感を感じながら、最後までのランでした。

痛み止めを忘れたからって、痛いだけで、もともとの体の状態は変わらないんだから、痛みさえ我慢すれば走れる。
そんな気持ちになりました。

上記の総合的な結果から、この状態でも、250㎞は、何とか走り切れるかも。
というか、少なくとも、チャレンジする自信はつきました。

それと、今後の調整ですが、火曜ぐらいまで、足の具合を見て、日曜日の鶴見川マラニック(60㎞)は、見送ろう(DNS)にしようかと考えています。

体力面では、今の練習の仕方でカバーできそうですし、足の痛みが最も大きな心配の種。少なくとも、いま、90㎞走って満足できているので、痛い足は休ませるほうが得策。。。そんな感じで捉えてます。

いずれにして、5月2日 18:00のスタートですが、その光景が浮かんでくる状態になりました。まだ、それまで、フルマラソン2個を含む調整はまだまだ続きますが、ワクワク感。というか、ぶち当たる気持ちはできてきました。

あとは、体を壊さんようにせんとね。(気を付けます)

DSC_2359
DSC_2364

2016.03.11 宮崎大学工学部 非常勤講師

出張帰り。

GCP監査という仕事で、東京出張 2日から帰ってきたところですが、
このことも投稿しておかないとなぁと。

わが母校、宮崎大学工学部の非常勤講師の委嘱。
DSC_2316

実はかなり うれしい。

私の愛する母校ということもありますが、
学生に向けて話をしたいことがあり、そちらのほうが強いかもしれません。

高校、大学を卒業し、しょうがない世界ではありますが、人口の中に占めるサラリーマンが多い。
おそらく、自営業、会社社長を除く方々が、(一部社長もサラリーマンはおりますが)、サラリーマン。

日本の人口のおそらく90%を超える人がその分類に入るでしょう。

何が言いたいかというと、

生き方として、サラリーマンと経営者という2つの道があるということ。

「どこかに就職する」というのも、一つの生き方ですが、
「自分で起業する」「いつか社長になってやる」という生き方もあり。

たぶん、後者の考え方のほうが、人生は100倍面白い。と思います。

思わないと、その100倍の意味も分かんないので、わかんない人が、おそらく90%はいるんだろうなと思う。

でも、伝えたいのはこのあたり。

おそらく、
「思えたら勝てるよ」「必ず、人生が有意義になる」「人生を後悔しない」
これだけは言えるような気がします。

だって、というか、私はそれで、人生を楽しんでいます。
幸せですね。私って。

でも、学生に言いたいのは、悔いのない人生を送ってほしい。
そのための一つの道を、大きく、力ずよく目指してほしい。

学生さんにしれみたら、「わかんないよ そんなこと」なんでしょうけど。
自分の夢、どんなに、しょうもないことでもいいから、夢、とひとの前で語れるものがあれば、そこから人生を始めなきゃ。

私の場合は、大学をでて、会社に入った時、一つの発起があった。
そして、息子が生まれて、自閉症と診断されたとき、発起があった。

それが、今の生き方になっているのだけれど、
でも、その時の気づきは、できるだけ多くの人、若い人に伝えたい。

たぶん、私みたいな人間の多くいる組織は、きっと強くなる。そう思います。

頂いたテーマは、「技術者倫理と経営工学」
まー、楽しい、講座にしたいな。

私の思っていることを、形にしていくいいチャンス。
いやー、楽しみです。

2016.03.07 オーロラツアー休暇 終わり

3月1日 フィンランドのイバロ空港に到着し、
サーリセルカという町まで、オーロラを見に来ておりましたが、

ちょっと、物足りなさが残る見え方でしたが、一応、3月3日 オーロラを肉眼でみることができました。
自分で持ってきたカメラでは、写真を撮ることはできず、ひとのカメラですが、映しているところを、撮らせていただきました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

これは、現地でツアーに参加して撮った写真ですが、
ホテルに帰ってから、外に出てみたら、やっぱり同じようなオーロラが出てました。

オーロラを見ながら、森の中を散歩中、出会ったカップルもも、写真撮影。
星もきれいに見えていたので、星の撮影もしてました。

この人たち曰く、「この2日以内に、もっときれいなオーロラが見れるよ」っと。
滞在は、もう一泊でしたが、その一日に、改めて期待を込めましたが、

残念ながら、翌日(3/4)の夜は曇り。オーロラを観測することはできませんでした。

それでも、サーリセルカに滞在中。きれいな雪景色
晴れた日にはダイヤモンドダストも見ることができたので、これだけでもいい休暇になりました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

今回の旅行では、若干仕事に追われながらも、東京QA事務所のほかに、是非やりたいと思っている事業である、
カレー屋事業(まっきーカレー)の事業構想を練る時間が作れたのは、良かったと思います。

この事業構想の肝は、小説。
これも、書いたこともないのに、是非書いてみたいと思っているので、思いついた企画ですが、
カレー屋事業について、資金調達から、マーケティングまでを綿密に小説として、計画してみたいと思っています。

小説なので、単なる事業計画ではなく、主人公がおり、主人公の行動を小説にしたてていくというもの。

文才? あるとは思っていませんが、ないとも思っていません。
自分なりの描写はできるんじゃないかと思います。

主人公は、私と息子。
わたしの人生は、息子の障害(自閉症)とともにあります。

久光マン、久光製薬の社長になることを夢に見ながら、仕事に、勉強に励んでおりましたが、
息子の誕生により、考え方がかわり、独立、福祉の世界に飛び出していく、自分。

息子の誕生から、様々な経験をし、遂に、カレーや事業をやろうと思いつく。
その理由は、小説の中でも述べますが、「障害者雇用に最も適した事業」と思えたから。

ここに、プロのコンサルタントとして、培った、知識、考え方を、フル導入して、
事業を始め、展開していく。

この展開のところについては、小説として、発表するにはタイミングも考えないといけません。
まずは、いざ、事業を始めるまでの過程を、ブログをを中心に小説として、かいて行き、

事業が始まってから、マッキーマレー構想の全容を、独自に出版して、有料、無料で、公開していこうと考えています。

まっ、こういうことを考える時間を作れたことは、今回の最大の収穫の一つ。

思ったところまで、仕事は終わっていないので、帰りの飛行機の中も、仕事の処理をしながらになりますが、

久々に、仕事に追われず、自分で時間の使い方を選べた、休暇でした。

帰り、ヘルシンキにも、2泊3日滞在しました。

今回の旅行では、英語は通じるのか?と思っていましたが、
いろいろなことで、英語表示がないものもありましたが、しゃべると、ほとんどの方に通じました。

いい国ですね。