(独り言)・・三神地区 障害者(児)教育と福祉 研修大会・・いい大会です。

三神地区大会2019チラシ_D5(独り言)・・いい大会です・・
あえて、独り言として書きます。
いい大会だな、、と、つくづく思ったので。
今日の夜は「三神地区 障害者(児)教育と福祉、研修大会」の打ち合わあせでした。
会議は、神崎市千代田中部小学校 校長室であり、
出席者は、同小学校の校長先生、特別支援学級の先生、神崎市、みやき町、基山町、鳥栖市のそれぞれの手をつなぐ育成会の代表。
教育の現場の方と福祉側(親の会)との合同の研修大会ですが。
日本全国、どこを見ても珍しい大会。
ただ、珍しいだけではない。
教育と福祉、日本の制度、行政(国や県、市町)どこをとっても、縦割りで、横の意見交換はない。
平成18年、障害者自立支援法(現在の障害者総合支援法)の施行以来、縦割りではあるけれど、
すこしずつ、歩み寄りながら、両制度の整合性が図られてきています。
しかし、この三神地区の大会は、記録からは1958年ごろ(約60年前)から続いている大会です。
「小中学校に、特別支援学級を設置して欲しい」という要望を、1957年ごろ、障害をもつ子の親と学校の代表とで、佐賀県庁に陳情し、この関係が生まれました。
同時に、佐賀県でも、手をつなぐ育成会(当時は”手をつなぐ親の会”)の歴史が始まりました。
全国的には、この数年前に、手をつなぐ親の会の活動は、東京から始まっていますが、佐賀県では、この陳情から会の活動が始まっています。
そして、合同の研修会を企画し、正確な記録は残っていませんが、少なくとも60年以上は続いている大会になります。
この三神地区の大会に続いて、佐賀県全体の大会(現”佐賀県大会”)が始まり、手をつなぐ親の会〈現”手とつなぐ育成会”)も佐賀県全域の市町に結成されていきました。
現在は、障害者自立支援法の成立以来、障害をもつ親の相談者(障害を持つ子供をもつ、モンスターペアレントとしての役割を兼ねる)としての立場も少なくなり、
現在は、会員数も毎年減少を続けています。
まあ、会員数の減少は、しょうがないとは思いますが、この大会はいい。
教育と福祉が一緒になって、最近の課題を話し合い、学びあう。いい大会です。
私は、誇れます。
会員数の減少、各市町の手をつなぐ育成会の解散、いろんな逆境が、この大会に押し寄せてきており、
いつまで続けれれるのか。。という大会にもなっています。
それは、それでしかたのないこと。
今日の会議でもそうでしたが、大会の開催を企画しながら、学校の先生とも、いろんな意見交換ができる。
なかなか、ないですよ。こんな大会(研修会)。
三神地区の特別支援教育研究会(学校の小中学校の先生方)と同じ地域の手をつなぐ育成会の合同研修会ではありますが、
どなたでも参加できます。無料、予約の必要なし。
今回のテーマは、”身近な差別を考える”と題して、”鳥栖市の差別解消条例の紹介”と”本人の立場から見た差別”を、参加した皆さんと考えてみたいと思います。
関心のあるかた、是非、参加してみて下さい。
私も、会の進行役でおりますので、是非、是非 おいで下さい。
ということで、きょうもお疲れさまでした。
おやすみなさい。

(独り言)・・未知の世界へ・・

(独り言)・・未知の世界へ・・
知的障害(自閉症)の息子にも運動をさせる。
走ることにチャレンジさせている。
本人にとっては、何のことかわからないのだけれど、彼がどこまで成長してくれるかを見てみたい。
そう思って、運動をさせています。
重度の自閉症?重度の自閉症スペクトラムで、
うちの息子の特徴は、
「ひととのコミュニケーション能力が極端に低い」
「論理的思考能力がほとんどない」
”ひととのコミュニケーション能力が低い”ということは、
まず「言葉がしゃべれない」
「人のこころを察することができない」
「自分の感情をコントロールできない」
”論理的思考能力がない”ということは、
「これは、楽しい」「楽しくない」
「これは美味しい」「おいしくない」
「お金?」「意味がわからない」
というような、一問一答的には、感じることができるが、
「これって、こうだから、こうだよね」という、論法がわからない。
もう一つ例を出すと、
先日、くじゅうの下山途中、完全に日が暮れてしまったので、彼に懐中電灯を持たせました。
彼の足もとを照らして、自分で歩いてきてほしいと思いましたが、彼は、懐中電灯の明かりが出ることが面白いと思っているようだが、懐中電灯を使って、足もとを照らして歩く。ということをしない。
なぜか?
彼は、懐中電灯が、暗い中足もとを照らす道具であることを理解できていない。
懐中電灯を持たせて、使い方のわからない彼に、、、うーん。こうきたか。で、
最終的に、私が使っていたヘッドライトを、かれの頭に装着し、私が懐中電灯をもって、真っ暗な山の中、彼の足もとを照らしながら下山したしだい。
(でも、くじゅうの空の星はとっても綺麗でした)
こういう彼だから、彼のような人多たちの多くは、おとなしく生活できる環境を与えられる。
そこから、彼らの成長はない。じっと暮らす。
自閉症の子供、人は、こんなもん。
こういうことはできない、
こんなところでは生活できない。
自閉症の専門家らからも、論文を見ると、そういうレッテルが張られている。
でも、うちの子は、というか、こういう子、人も必ず成長する。
その機会さえ与えてあげられれば、必ず。
成長の方向性は、その子ども、人の性格、能力によっても、それぞれである。
うちの子には、何ができる?
全く暗闇のなかで、他の自閉症の子供のじれいなんか、全く通用しない。
この子は、この子、あの人はあの人。 人それぞれの特徴がある。
「論理的思考ができない」ということは、
ゲーム性のあるものは、難しい。
となると、もっと単純なもの。
それが「走ること」かなと。
走ったら、褒められる。
走ったら、唐揚げを買ってもらえる。
走ったら、そのうち気持ちよくなる。
走ったら、みんなとも混じり合うことができる。
走ったら、楽しい。
そう思ってくれたら、
走ったら、健康になるよ。
走ったら、いい死に方できると思うよ。(いろんな病気を併発する可能性は低くなる)
が、私の想定。仮説です。
彼には、理解できないと思いますが、
だれも知らない「未知の世界」がそこにあるような気がします。
私自身も未知の世界を見に行くことに、私自身の生き方があると感じています。
彼も道連れ(笑)
走ること、走らせること。
それは未知の世界への第一歩。そんな可能性を感じています。
おやすみなさい。

また一つ任を解いていただきました。

DSC_0847 また一つ任を解いていただきました。

弥生が丘地区社会福祉協議会の総会が本日午前中行われ、
会長職を解いていただきました。

弥生が丘地区社共発足以来の4年間。
区長職と同じく、日中は、地区にほとんどいない会長で、ほんとに申し訳ない限りの会長職でしたが、

地域福祉という言葉としっかり向き合った4年間。
区長職をいれると8年間でした。

この知識、見識は、これからの障害者福祉の現場で、活用できる財産となりました。

究極の福祉。それは、行政の福祉サービスではなく、地域の日人々、隣近所の人々が、自然に支えあえる環境をつくること。

それは、行政・制度の仕組みではなくて、人の心、自然に支えあう気持ち、を、少しでも多くの人にもってもらうこと。

それを実感できた、地域福祉の現場でした。

会の活動を支えていただいた、コーディネータのお二人、民生委員会の方たち、ネットワーク訪問活動者の方、婦人会、JA婦人部、食生活改善推進協議会、区長会のみなさんに本当に感謝です。

ありがとうございました。

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独り言・・・選挙に行く意味

(独り言) 選挙に行く意味

2月17日鳥栖市長選挙です。
私の住む弥生が丘。前回の県知事選挙の時の投票率、なんと23%。
個人的に、、前代未聞の投票率でした。

投票所で、朝6時半から投票箱を開票所に届けるまで14時間の勤務。
虚しい。

「選挙に関心がないんだから行く理由がわからない」
「鳥栖で仕事してないし、そもそも関心がない」
「誰に投票していいか分からない、どっちも知らない人だし」
「私が投票しても何も変わらない」

投票に行かない人、行っても意味ないと思っている人の気持ちはよくわかります。

しかし、自分の気持ち。
「投票に行ってほしい」

なぜ?。

それは、町の事、自分の住む地域のことをもっと知ってほしいから。
地域のことにもっと関心をもってほしいから。
自分の住む町にもともっと関心をもってほしいから。

選挙に行って、町の事、地域のことをもっと話をしてほしいから。
隣近所の人と、地域の人と、仲良くなってほしいから。

そうすることで、自分の住む町はきっといい街になります。

町の仕事に携わりながら、そう思っています。

選挙に行く意味。
世間で言うほど簡単じゃない。

しかし、選挙に行くことで、町は変わります。いい街にすることができます。
誰がいい、かれがいいじゃない。

選挙に行く意味は、そこにあるような気がしています。
町の事、地域のことにもっともっと関心を持ってほしい。

選挙、行ってくださいね。
私も祐太郎を連れて選挙に行きます。

その意味わかるかな、、、?

独り言、、、ちょっと嬉しいことがありました。

(独り言)先日ちょっと嬉しいことがありました。

先週の土曜日、地区社会福祉協議会主催の男の料理教室に主催者件兼参加者として参加しましたが、その日、祐太郎が仕事が休みになってしまい、家で留守番?の状態だったのですが、

実際に参加はできませんが、一緒にいるだけならいいだろう、、と連れて行きました。

私が、開会時の挨拶をしているときに、祐は私の横で高笑い。。わっはっはっは(機嫌が良かったようで)、で、私が彼の口を私の手でふさぎながら、挨拶。。。

その時、会場の後ろのほうで、婦人会からお手伝いをしてくださっているE﨑さんが(祐太郎が来ていることを)とっても嬉しがっていて、挨拶のあと、自分のところに寄ってきて、

「小学校の時、お父さんが手をつないで、学校に行ってたときの息子さんでしょ、、、大きくなったね。。」と。

と、横から、他の民生委員さんも、そうそう小さいころしか見てなかったけど、大きくなったね。。。

いやいや、もう23ですよ。
連れてくるの迷ったんですけど、、、。

いいよ、いいよ。ぜんぜんいいよ。と皆さん優しく仲間に入れてくれました。

何が、嬉しかったかというと、
今の家に越してきて、祐太郎小学校4年生。ここに越してくる前までは、小学校が近かったので、姉と一緒に集団登校に混ぜてもらっていました。

しかし、登校の距離が長くなり、祐太郎は集団登校には入れなくなりました。嫁が送り迎え。。。。それがかなり負担そうにしてました。

私は、見るに見かねて、学校は会社の横だから、と、
それから小学6年まで、2年と10カ月、私の通勤と祐太郎の通学で、2人で登校してました。

その時、他の小学生の集団登校が7時25分ごろ、近くを出発してましたが、祐太郎の歩く速度に併せて、我々は7時10分発。

途中、他の小学生たちに抜かれながら、時間をかけてゆっくり登校してました。

息子を学校に7:50-55分ごろとどけ、わたしはそこから走って、8時ぎりぎり、会社の正門をくぐる、、時々遅刻(笑)

この時のことを、何人かの方が覚えていて、祐太郎を見ると、この時のことを話してくれる時があります。

E﨑さんもこの時のことを覚えていてくれて、嬉しそうに祐太郎にも話かけてくれました。

今の鳥栖市の教育長からも、いつも見てましたよ、、、と時々言っていただきます。

あれで、祐太郎の存在を近くの方に覚えていただいたようで、
うちの息子のような子供たちが、こうやって「地域で暮らす、育む」の意味が出てくるんだよな。
と、地域で育む意味をかみしめて、嬉しくなった次第です。

これからどうなるかは分かりませんが、いままでこうなることを期待して、祐太郎の露出度を高めに地域でも
行動してきました。

最近、区長の役をしながら、どこでも連れていけることは少なくなっていましが、今回、息子に声をかけてもらって、
ちょっとだけ、嬉しくなったしだいです。

徒然に、長くなってしまいました。

おやすみなさい

(独り言)・・・これからの就労支援・って?

(独り言) これからの就労支援、、て?

先日、某社会福祉法人から、職員研修での講演依頼がありました。

演題は「これからの就労支援を考える」(仮)でした。

これからの就労支援。。。で、何を話そうか、ですが。

就労支援という言葉ができてから、10年ちょっと。前半の数年は、工賃倍増がテーマで、われわれコンサルタントの立場から、就労支援施設で、ビジネスを考える指導、教育、ビジネスモデルの提案を多数やってきました。

工賃倍増、、、(最近は工賃向上)・・・これも終わったかな。

しかし、障害者福祉の現場からの商売は、かなり障壁が高く、結局、工賃倍増には程遠い結果になっています。

A型を始めるも、充分な生産性を確保できず、事業所の閉鎖。
B型で工賃倍増、目標3万円といいながら、いまだに月額3000円の工賃のところも少なくありません。

とは、外見からみた就労支援ですが、
実際の就労支援事業所に通っている利用者さんたちの、職業能力を鑑みると、一般企業の方が考え方さえ変えてくれれば、一般企業で働ける利用者(障害者)も多数いる反面、

お金の価値も分からない、働く意欲をそ物も持っていない利用者も多数います。

これらを全部、ひっくるめて、同じ就労支援という言葉ひとつで、支援の現場を考えることはできないと思います。

最近、障害者支援の現場で、最も重要視されてきているキーワードとして、「障害者への差別解消」と「障害者の意思決定支援」

この二つの言葉を「就労支援」という言葉に充てて考えてみると、「障害をもった方の生き方の支援」

学童期(小中学校、特別支援学校)を経て、障害者の就労支援施設に入り、施設の移動はあるかもしれませんが、人生の多くの時間を過ごす場所になります。

就労支援施設であれ、生活介護の施設であれ、重症心身障害者の施設であれ、その本人の生き方に焦点をあてて、支援をしていくことが、最も大切なことではないかと思っています。

内部の利用者さんに向けては、その人の目線になって、その人の将来を考える。何ができるようになったら、(今より)豊かな生活を送ることができるようになるのか。

その人たちのために、就労支援施設の立場から、学童期の子供たちへできることはないか、

その人たちのために、就労支援施設の立場から、一般就労(企業)の場に対して、できることはないか。

そんなアプローチで就労支援の現場を運営できたら、その施設へ憧れて入ってくる利用者も多く出てくると思いますし、
希望の職場で働けることで、豊かさを感じることができるかもしれない。

保護者にとっても、きっと安心て子どもを預けられる施設になっているのだと思います。

ここで、書いていることを障害者福祉の現場でお話ししても、「今のうちには無理でしょう」との言葉が
聞こえてきそうですが、

できなくても「ここを目指すことはできるでしょ」と、私は話したい。

目指せば、きっと到達します。目指せば、社会もきっと変わってきます。

などなど、頭につらつら浮かんできました。
話しを纏められるかな(笑)

施設の方、、、お楽しみに(笑)(笑)、、です。

おやすみなさい。

2018.03.05 今日は 鳥栖市手をつなぐ育成会の役員会でした

今日の夜は鳥栖市手をつなぐ育成会の役員会。(独り言)
総会の日程決めやら、事業計画の振り返り、これからの計画の話でした。
単年度の計画では、なかなかできていないことも多いのですが、言い始めてから、、とか、計画して、できない年があっても、また計画に書いて、、とか。
会長職がマル10年にもなると、うまくいったこと、行かなかったこと、できなくても、、、、こうすれば何とかなるもんだな、、、などなど、考え方も老獪になってきたように感じます。
まだまだ、老け込む気は、さらさらありませんが、自治会活動の区長職(7年)とこの福祉活動(20年)の会長職(10年)の長さは、老獪さを自分で感じてもよい時期にきているのかなと思います。
いちばんは、自分自身の気持ちを(この業界の中で)コントロールできるようになったことが、老獪に感じるのかな。
自分自身の生き方を見つめなおしたい時期にも来ております。
だからこそ、節目の一年。
やり残した仕事を、できるだけきれいにして、人生の次の山を目指したいと思う今年の3月です。

明日(か、少なくとも次は)は、診断士の仕事の今年とこれからの展望、、、を書きたいと思います。

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2017.08.27 大阪へ 

本日、午前中まで、第57回九州地区手をつなぐ育成会 佐賀県大会があり、
私は本人さんたちのレクリエーションを担当しておりましたが、大会は、いろいろ反省点も多いのですが、無事終了しました。

それから、午後はというと、急いで事務所に行き、仕事、残務です。
残務が積もりすぎていて、どうしようもないレベルに達しようとしておりますが、他にも気になることもあり、精神的な疲労(心労)もピーク。
そして、ゆっくりですが、残務の処理を進め、夕方から、大阪へいどうしてきました。

明日は、ここで、GCP監査のお仕事を一日して、そのあと、東京へ移動します。
本日の監査の続きで、臨床試験のファイルを閲覧しに行きます。

でも、予想は、サイトの方にもけっこう資料が残されている可能性、、、
ということは、明日一日でのサイト監査ですが、相当時間に苦しみそうです。。。昼飯抜くかな。

と、単に、本日の投稿は日記のようになっていますが、
現在取り掛かっている、GCP監査とGMP監査それぞれ、3つづつレポートが溜まっています。(合計6つ)

かなり溜まってしまっておりますが、優先順位をつけて、処理可能な日程を、クライアントに伝え、淡々と処理を進めていくしかなさそうです。

大切なお客さんのお仕事があり、その前に、いくつか別の仕事が先に入ってしまっていたので、こんな感じになってしまったのですが、
真面目に、真摯に取り組んでいくのみ。

頑張らんば。

2017.08.26 本日猛烈に忙しい日

第57回九州地区手をつなぐ育成会佐賀県大会と区の班長会、息子の世話など、猛烈に忙しい日でした。
最後に、このブログを書いていますが、ここから書くと愚痴になりますね。

手をつなぐ育成会の九州大会では、成年後見制度のセッションの責任者ということで、シナリオを描いて、登壇者に託したのですが、いまいち、私の望む方向の議論は進んでいなかったように思います。

まあ、自分が登壇してしゃべるのではないので、こんなもんだろうとは思います。

もっと、もっと、法人後見についても意見が欲しかったのですが、現状の手続き的な情報の意見交換が多かったように感じたのは、残念な点でもありました。

しかし、全国育成会や、現在の成年後見制度の改善についても、少しずつでも進んでいることが分かったのは収穫でした。
今後のこの制度の展開に期待したいと思います。

で、そのあと、区の班長会で、会の懇親会にも参加せず、自宅に帰り、班長会の資料作成。そして、20時からの会議。

会議終了後、自宅に帰り、息子の風呂の確認をして、事務所へきて、現在、作業中。23:30分。

仕事の進み具合としては、まったくスケジュールビハインドの状態が続き、かなり、ストレスが溜まっています。
こういう時に、手をつなぐ育成会、町の役の仕事が来ると、思ってはいけないとは思いつつ、ストレスという言葉が、頭に浮かんできます。

いけないこと、、とは、思うけど、自業自得とは思うけど、どげんかせんといかんです。
お客さんに迷惑をかけるし、私の精神状態にもよろしくない。

最近、書き続けていることですが、リセットが必要なようです。

それでは、今日のところは帰って、明日の大会2日目とそのあとの出張に備えたいと思います。

では、では。